「こんばんは」
案内された席に、促されるまま腰を下ろす。
…そう。
ここは、お店の外見からしても、見紛う事無く『ホストクラブ』に違いなかった。
……って言っても、遊びに行った事なんて無いんだけど。
「未成年が来ていい場所じゃねーぞ?」
「んー…。でもほら、保護者同伴だよ?」
今は見えない、暁さんと音羽さんの姿。
でも、お店の出入り口の方を仰ぐようにすると、小さく肩をすくめた彼がソファへもたれた。
「…まぁ、大目に見てやるか」
「ありがと」
いつもと同じ口調なのに、いつもとは全く違う雰囲気。
…男の人って、こんなにも変わっちゃうんだ。
髪型や服装がいつもと違うだけで……纏う雰囲気がガラっと変わるなんて思わなかった。
絶対に、無いと思ってたのに。
……いくら『ホスト』を演じて居ても、彼はいつもと変わりないって…。
「…ん?」
「……何でもない」
…なんだか、すごく『反則』って感じがする。
……演技だって、分かってる。
この空間全ては、全部作り物なんだって事も。
………だけど。
それでもやっぱり、真っ直ぐに彼の瞳を見る事が出来なかった。
…どきどきして、苦しくて。
「……………」
…どうしよう。
もしかしたら、ゲームだと分かりきっているこの時間から――…抜け出せなくなってしまうかも知れない。

――― 孝之 takayuki ―――

「何飲む?」
「え?」
思わず見とれていたらしく、顔を覗き込まれてようやく気が付いた。
「…あ。えー…っと。……それじゃ、アイスティーでも」
「相変わらず好きだな、紅茶が」
ふっと笑って注文してくれた彼の、その横顔。
それだけが唯一、いつもの彼と同じような気がした。
「どーぞ」
「…ありがとう」
コースターを押して差し出されたグラスを手にして、ストローで含む。
……冷たくて美味しい。
その感想が、どれだけ自分が今火照っているかを物語っているようで、ほんの少しだけ焦ってしまう。
「………」
「ん?」
ストローを噛んだまま彼を見つめていると、足を組んでソファの縁に腕を乗せてから、こちらを見た。
…その顔。
髪型も違えば、服装も……違う。
そのせいで、本当にやっぱり違う人みたい。
……ちょっぴり、口調も違う気がするし。
「…あ」
「……あ?」
ほのかに漂った、香り。
それで、思わず声が出た。
「……この香水、好き」
「…へぇ。誰か付けてるとか?」
「ん。好きな人がね」
「ごほ!?」
水割りが入ったグラスを口へ運んだ彼が、そのままの格好でむせた。
…たーくん。
何もそこでそんな反応しなくても…。
折角カッコ良かったのに、笑っちゃいそうになるじゃない。
「…好きなヤツが居るなら、こんなトコ来ちゃダメだろ」
「んー…。でも、『絶対楽しいから』って言われたし」
「……簡単に信じるな」
「同じ事、きっとその人も言うと思う」
にっこり笑って眉を寄せた彼に首をかしげると、僅かに瞳を丸くしてから小さく笑った。
…なんか…。
らしくないな、って思う。
でも、彼のこんな一面を見れた事は、やっぱり嬉しい。
……いつもと、全然違うんだもん。
なんだか、まるで本当のホストみたいだ。
「それにしても、随分気合入ってんな」
「え?」
「髪型も、化粧も、服も。…好きな男が居るようには、全然見えない」
ほんの少しだけ、上から物を見る仕草を彼が見せた。
…うん?
もしかしたら、気に入らないとかって事?
「…そう…かな。そうでもないと思うけど」
「…………」
まばたきをして見つめるものの、彼は言葉を続けなかった。
……その代わりに、じぃっとまるで観察しているみたいな…視線を感じる。
…嫉妬、とはきっと違う。
でも、あんまり面白くなさそうな事は確か。
…………むー…。
私は別に、『ホストクラブに行こう』って言われたから、こんな格好して来たわけじゃないんだけど…。
とはいえ、そんな事を言ってもたーくんが信じてくれない事くらい分かってる。
…何となくだけど、そんな気がした。
「たーく…じゃなくて。………えーっと、孝之サン?」
「…何だよ」
「知らないの?お化粧の意味」
「……意味?」
首を傾げて彼を見ると、訝しげに眉を寄せた。
…分からなくて、当然だと思う。
こんな事、いつもの彼とは話した事なんてないし。

「元々、お化粧って『魔除け』が始まりだって、知ってた?」

「…魔除け?」
「そう。ほら、よくテレビとかであるでしょ?特定民族の人達が儀式で(ほどこ)す、色鮮やかなお化粧」
「……あー。…つーか、あれも『化粧』なのか?」
「そうだよー」
…見つけた。
やっぱり、何だかんだ言っても、たーくんはたーくんなんだね。
……って、こんな事を言ったら彼は、当たり前だろって笑うかもしれない。
「この髪型も、そうなんだよ」
「…何が?」
「私、限られた人の前でしか髪は下ろさない事にしてるの」
くすっと笑って続け、彼の反応を伺う。
――…けど。
ほんの一瞬だけ瞳を丸くしたものの、彼はすぐに笑みを見せた。
…まるで、何か企んでいそうな顔で。
「…へぇ。じゃあ、何?化粧もその格好も、俺を寄り付かせない為の対処って事か」
「初対面の男の人には、昔から気をつけるように言われてるから」
「……その割にはナンパに引っかかるクセに」
「なぁに?」
「別に」
身を乗り出してこちらを見上げた彼がわざとらしく肩をすくめ、手を組んだ。
「…あ」
その時、ちらっと見えた物。
それは余りにもこのお店の雰囲気と、今の彼の格好からは『不釣合い』のようにも見える。
…普通、もっと高い物を付けるんじゃないの?
彼らしい配慮か分からないけれど、嬉しさもあって笑みが浮かぶ。
「ねぇ、孝之サン。…それ、どうしたの?」
「ん?……あー。コレか」
彼の手首を指差すと、腕を曲げた仕草のお陰で今度ははっきり見る事が出来た。
シルバーに赤の文字盤が目立つ、クロノグラフ。
それは間違いなく、自分が彼の為に選んで贈った、あの時計だ。
「…まぁ、貰ったんだけど」
「誰に?」
「内緒」
「……えー。そんな事言ったら、お客さん気を悪くするよ?」
「何でだよ」
「だって、そうでしょ?そんな答えじゃ、誰だって『彼女』かと思うじゃない」
「いーんだよ、別に。俺は本職じゃねーんだから」
途端に彼が見せた、『素』の部分。
…折角、これまで『Mystic Blueの孝之』だったのに、これじゃいつもと一緒。
たーくんが珍しく気合入れてるから、私だって色々気をつけたのに。
……もー。
「…笑いすぎ」
「あはは!だってー」
彼に注意されても、笑いが止まらなかった。
…もう、だめ。
これまでは、『ホスト』みたいに振舞ってたから、それっぽく見えた。
服装も髪型も違って、本当に惹き込まれそうだったんだから。
でも、こんな風に話し始めちゃったら、やっぱり私にとっては『たーくん』で。
そんな彼がホストを装っているのが、ちょっとだけ面白かった。
だから、笑いも止まらな――…
「っ…!」

「…それじゃ、本気で相手してやる」

ぐいっと肩を引き寄せられた途端、耳元でぼそっと囁かれた。
途端に、身体が反応を見せる。
……違う。
たーくんじゃ、ない。
口調は一緒なのに、接し方が……違う。
…やだ。
折角落ち着きかけたのに、また、どきどきする。
情けなくも、頬が染まる。
…っ……普段だって、こんな風にしないくせに…!
なんだか、物凄く反則だ。
「…すげーいい匂い」
「…ちょ…!」
「っつーか、俺の前でも髪下ろせよ」
「……あ…!」
パチン、と言う小さな音の後で、これまで上げていた髪がはらはらと音を立てて滑り落ちた。
「…っ…」
…その、瞳。
たーくん、いつもそんな顔しないじゃない。
……なのに、こんな時にこんな場所で見せるなんて、やっぱりズルい。
何も言えなくなるし、何だか本当に別人みたいで、正視出来ない。
それくらい、妙に(あで)やかな印象があった。
「…好きな男がいるんだろ?」
「っ…そ…れは…」
「だったら、簡単に笑顔なんか見せんな」
肩を引き寄せられたままで髪をすくわれ、さらりと音が聞こえた。
…だけど、すぐに彼はまた手を伸ばす。
間違いなく、髪に触れられているだけなのに。
なのに、どうしてこうも神経が鋭くなっているんだろう。

――…まるで、直接肌にでも触れられているみたい。

それくらい、彼の指の感触を感じる。
…変な…感じ。
いけないって、気がする。
別に、彼は彼で、私が良く知ってる『瀬那孝之』に間違いないのに。
……それなのに……何か、違う気がした。
こんな風に、する…?
たーくんは、これまでこんな顔しなかった。
…まるで……本気で誘ってるみたい。
「っ…」
顎に手を当てられて瞳を捕らわれ、喉が鳴ると同時に気持ちが揺れた。
「…(おと)してやろうか」
「え…?」
瞳を細め、これまでに無い雰囲気で彼が囁く。
その言葉でさえも、心の奥底を刺激するような感じがした。

「…なぁ。葉月」

「っ…!」
微かに笑った、口元。
…それをしっかりと見ていたはずなのに、いつの間にか彼は耳元で名前を呼ぶ。
「…な…んで」
「…さぁ?」
小さく笑って、肩をすくめて。
さりげないようなその仕草も、今の……顔も。
…それだけじゃない。
……あの、声。
あんな吐息を目一杯含んだ声なんて、耳元はおろか、普段だって囁いた事も無いくせに。
「…………」
彼であるはずなのに、彼のようには見えない。
…ホストみたい。
本気で、私の一挙一動を楽しんでる。
この……擬似恋愛(シミュレーション)を、創り上げている……主役。
笑い方も、囁き方も――…何もかも。
妙な雰囲気が漂っていて、本気で……惑う。
…たーくん、じゃないみたい。
ううん、『みたい』じゃなくって…ホントに、彼じゃないと思う。
「…どうした?ンな顔して」
「……え…?」
「堕ちそうで、恐いか?」
「っ……そう言うわけじゃ…」
はっ、と短く笑った彼が顔を近づけ、瞳を覗くようにわざと下の角度から視線を向ける。
…策略と言う名前の『深み』にハマっているんじゃ…。
見たくないような気がするのに、視線を逸らせなくて。
『やめて』とも思うのに、『やめないで』とも願う。
……ズルい。
これまで見せてくれなかった、私の知らない部分をこんな所で見せるなんて。
未開の部分をいかにも『小出し』されてるようで、ちょっとだけ悔しかった。
「…………」
――…でも。
彼がそう出るならば、私も…そうしていいって事だよね?
別に、彼に対して内緒にしている部分があるなんていう訳じゃない。
そうじゃないけれど…。
…でも、ここは『ホストクラブ』なんでしょ?
擬似恋愛が、許される唯一の場所。
暗黙の了解で、お互い『これはゲーム』だって取り決めが為されている場所。
……そう言う意味では、ある種の治外法権とも呼んでいいかもしれない。
「…ねぇ、孝之サン?」
「ん?」

「どんなお願いまで、叶えてくれるの?」

彼が先程したように首を傾げてみせると、自然に笑みが浮かんだ。
私は、彼が知ってる『瀬那葉月』じゃなくて。
『Mystic Blue』に遊びに来た、ただのお客さん。
…そう思えば、なりきれる事だって出来る。
――…多分、だけど。
「…どんな願いも、叶う場所だけど?」
低い声で、凄い事を囁いてくれる。
…どんな事も、ね。
それじゃあ――……この状況にかこつけて、『男性心理』とかも教えてくれるのかな。
……勿論、『私が彼に疑問に思っている事』限定で。
何も知らない、相手役の彼。
その、余裕綽々の表情は……いつまでも崩れないのかな。
彼に、改めて身体ごと向き直りながらも、やっぱり浮かぶのは笑顔だった。
「それじゃ、最初は……まず聞いて貰おうかな」
不思議そうな彼に首をかしげ、指を一本立ててみる。
…そう。
彼が良くやる、『人差し指』を――…『チェックメイト』の意味を含めて。


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