「ちょっと散歩行かへん?」

夕食の片付けを終えたあと、窓からぼんやりと外を見ている沙都に、俺はそう声をかけた。振り向いて嬉しそうにこくりと頷いた沙都に微笑んで見せて、すでに用意していた彼女の上着を手渡した。4月とは言え、夜のこの時間はまだ肌寒い。

「ほら」
玄関を出たところで、後ろに立つ沙都に向かって手を差し出す。
「え?」
「手。誰かさんはおっちょこちょいやからなあー。すぐこけるし」
伸ばした手に戸惑う沙都をそんなふうにちゃかしながら、躊躇いがちに動いた彼女の手をぐいっと引っ張って、自分の隣へ引き寄せた。
「・・・・・・そんなことないもん」
「ほんまに?」
「・・・・・・たぶん」
拗ねたように呟く彼女を笑って、俺たちはゆっくりと歩き出した。外はもうすでに真っ暗で、でも空に浮いた満月が辺りを明るく照らしている。何も言葉にせず、ただ彼女の手を握り締めて歩いていく。

ふと、花の香りが鼻腔を掠めた気がした。沙都も何かに気付いたように顔を上げ目を凝らすような仕草をする。少し離れた場所に一本きり立っていたのは、もうかなり樹齢を重ねているであろう、桜の老木だった。堂々と枝を広げたそれは、未だ薄紅の花弁を纏っていて、暗闇の中でぼんやりと浮かび上がっているように見えた。

「きれい・・・・・・」
傍まで寄ってその老木を見上げると、沙都は感嘆の声を漏らした。
「すごいなあ・・・・・・。こんな近いとこにあるのに、今まで気付かへんかったわ」
俺の言葉に頷いた沙都が、ゆっくりと桜の幹に手を伸ばす。白い彼女の手が、満月の下で青白く浮かび上がっている。
「もう何年、ここに立ってるんだろ・・・・・・」
大木を見上げた沙都が、微かに笑みを浮かべる。彼女と同じほうを見上げて、思わず息を飲んだ。夜空に浮かぶ満月が桜色を際立たせて、それはいっそ幻想的にすら見える。

「・・・・・・また、イギリス行くことになった」
もうずっと、いつ言おうかと悩んでいた言葉を、俺はなぜかすんなりと口にしていた。背中を向けたままの沙都が、微かに身体を震わせる。
「・・・・・・どれくらい?」
「1年か2年か・・・・・・もしかしたらもっと長く」
「そう・・・・・」
呟いた沙都にたまらず手を伸ばしかけたとき、ふいに沙都がこちらを振り向いた。彼女の顔には、微笑みが浮かんでいた。
「大丈夫だよ、私のことは気にしなくても。待つのなんて慣れてるし、2年だって3年だってすぐだし」
「沙都」
「・・・・・・待ってても、いいならだけど」
最後の言葉にだけ表情を曇らせた沙都を、俺は思わず抱きしめていた。待つのは慣れていると言った彼女の笑顔が痛々しくて、そう言わせた自分が情けなくて。
「待っててもいいよね・・・・・・?」
耳元で、涙声になった沙都の声が聞こえる。身体を震わせる彼女の背中を撫でて、少しでも彼女を不安にさせた自分に心の中で舌打ちする。こんなふうに、泣かせたいわけじゃないのに。

「・・・・・・一緒に行かへんか?」
「え・・・・・・?」
抱きしめた耳元で呟いた声に、沙都がびくりと反応した。
「いつ帰って来られるか分からへん、仕事も辞めやなあかんし、家族や友だちとも離れ離れになる。言葉も通じへんから、苦労させると思うけど―――」
彼女の細い身体に回した手に力を込める。もう一度会えたあの時から、二度と離すつもりなんてなかった。この温もりを手放すなんて、今の自分には到底出来そうにないから。
「2年も3年も、また離れるなんて我慢できへん」

「そ、れ・・・・・・本気・・・・・・?」
身体を離した沙都が、また涙を溜めた瞳で俺を見上げる。
「本気」
「私、英語出来ないよ・・・・・・?」
「何とかなるって」
「料理だって下手だし、要領悪いし、それにっ・・・・・・」
「それに?」
「私・・・・・・邪魔にならない・・・・・・?」
「それだけは絶対ない」
「―――っ!」

堰を切ったように零れ落ちる涙を拭ってやって、俺はもう一度沙都の身体を抱き寄せた。あやすように背中をぽんぽんと叩いて、泣き声を堪える彼女を、子どもにするかのように宥める。

「なあ沙都、それで返事はどっち?」
幾分落ち着いた彼女から身体を離して、目を赤くした沙都の頬を捕えて笑いかけた。
「一世一代のプロポーズなんやで?これでも、めちゃくちゃ緊張しとんのやけど」
茶化していった俺の言葉にようやく笑顔を浮かべた沙都の瞳を覗き込んで、俺はもう一度尋ねた。
「俺と・・・・・・一緒に来てくれるか?」

やっと泣き止んだはずの沙都の瞳に、また涙が浮かぶ。
「あーあ、沙都泣き虫すぎ」
「だって・・・・・・壱が泣かすから・・・・・・!」
「悪かったって。で、返事は?」

俺の言葉に、子どものようにごしごしと瞳を拭って、沙都は顔を上げた。後から後から溢れてくる涙に困ったような顔をして、それでも俺の瞳を真っ直ぐに捕えて、笑顔を浮かべた。
「・・・・・・喜んで」

その笑顔は、本当に嬉しそうで。俺は思わず心臓を押さえて桜の幹にもたれ込んだ。
「はー、良かったあー」
「壱ってば、ほんとに心配してたの?」
「ほんと。心臓ばくばく」
確かめてみる?と言うと、恐る恐る沙都が俺の心臓に向かって手を伸ばす。そんな彼女の素直さを笑いながら、俺は彼女の手を引いて自分の腕の中に収めた。
「隙ありすぎ」
「・・・・・・もう」
怒ったように見上げる彼女を笑ってから、頬を捕えて唇を落とす。耳元で滅多に言わない言葉を囁くと、沙都が驚いたように目を見開いて、そして泣き笑いのような顔で微笑んだ。
「―――私も、愛してるよ・・・・・・」


また瞳を濡らす彼女に苦笑して、もう一度彼女の身体をきつく抱きしめる。
腕の中の温もりを感じながら、いつかと同じ月が薄紅色の花弁を照らすのを、俺はひどく幸せな気持ちで眺めていた。


- End -

 


ハルキさんから頂いたというか、強奪させて貰った小説です。
このお話は、ハルキさんの小説の「ツキアカリ。」というお話の短編なんですが、
相変わらず、壱君カッコよすぎですよあなた!
ちなみに、「ツキアカリ。」は頂いて帰って、うちにも飾らせていただいております。
もうね、あれですよ。
「こんな風にプロポーズして欲しい」と思いました。本気で。
一緒にイギリス付いて行きたい位です(迷惑
文中にある、「それだけは絶対ない」という一言でノックアウト。
惚れ直しました(*´▽`*)
ハルキさーん!!強奪許してくださって、本当にありがとうございましたv
え?許してない?
・・・じゅわっち!(逃


そんな、ハルキさんのサイトはこちらから↓
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