『いやー、ひっさしぶりに見るガチもんだったわ』
「だろーな。俺もさすがに引いた」
 今日はもともと出勤じゃない土曜。
 なのに早朝から起きていることが、まず俺にとってはありえないレベル。
 まだ始まっちゃいないが、もう間もなくセンター試験が開始される。
 昨日は夕方帰ってきた羽織が、リビングでこれみよがしに過去問を解き始めた。
 それを見て葉月がアドバイスをはじめ、帰宅した親父がさらに英語の焦点を教え始めた。
 ミルフィーユカツと五角形の小鉢での和え物に、カマスのフライ。
 どれもこれもアイツのための夕食で、お袋のはからいかと思いきや葉月ときたからため息もんだぜ。
 どっちがお袋か、わかりゃしねぇっつの。
 一時休戦のかわりに夕食をとったが、化学の解き直しをしていた羽織の手元を見てさすがにこれはヤバいと感じ、仕方なく俺が直々に見てやった。
 人の時間を費やしてやってんだから集中すりゃいいのに、ときどき悩んでるフリして時計見てるんだよな。
 余裕なさすぎだっつの。
 ただまぁ、祐恭がちょろっと顔出したことを幸いとし、バトンタッチ。
 21時前という、できれば明日本番ならとっとと寝ろよって時間だったが、そこからビールとつまみが出てきたこともあり、ある意味正月の延長みてぇな感じだったけどな。
 途中から、羽織は葉月と数学を解き、間違えたところを祐恭が見る形になったが、あれはあれでなかなかオツな光景だった。
 ……にしても、葉月だよ。アイツ。
 数時間前まで自分のことで精一杯だったはずなのに、なんで羽織の面倒までみてやろうとするかね。
 お人よしのレベルが違いすぎて、逆に心配になる。
 アイツのことはほっといて、まず自分のことちゃんと心配してやれっつの。
 そういう意味を込めて目線を送っていたものの、葉月は毎回笑いながら首をかしげるだけだった。
 ちなみに、曹介さんは1時間もしないうちに引き上げ、そのまま連携を取りに警察署へ向かってくれた。
 羽織には言っていないが、ことの顛末をざっくりと両親へは報告済み。
 これで、葉月がうっかり単身で近所のパン屋へ行こうとしても、さすがにどっちか気づいて止めるだろう。
『孝之見た? 中身』
「見た」
『だいぶエグくね?』
「エグいどころかアウトだろ。完全に立件モンだぜ」
 通話の相手は、先日のデータをまるっと送ってやった優人。
 アイツの腕もコンプラも信頼できるレベルなので、おすそわけってところか。
 強制わいせつに、拉致未遂。
 ほかにも件名つけるなら相当出てくるだろうし、あっちはまあある意味解決ってトコか。
 ただ、当然あっちはあっちでツテもあるだろうし、金払ってさよならってこともありえる。
 が、そこは曹介さんを信頼しているので、直接的な行使を改めてしてくることは考えにくい。
 葉月がひとりにならなければ、な。
 しかし、ワけわかんねぇのは、なんで今まで音沙汰なかったのに、急にアイツを欲しがるようになったのかってとこ。
 自分の娘とはいえ、もう何年も顔すら見せてないうえに接触もしてないはず。
 いくら自分がある種の地位を築いたとはいえ、完全な素人に手を出すメリットがわからない。
 ……落ち目か? ひょっとして。
 はたまた、何か隠してるのか。
 ま、いーけど。わかんねぇし。
「まあ、捕まんねぇ程度に遊べ」
『せんきゅー。よきにはからう』
 ケラケラ笑った声を聞いてから通話を終え、財布と一緒にポケットへ。
 今日の天気はいい。
 まさにドライブ日和。
「……お前早いな」
「え? おはよう、たーくん」
「ルナちゃん、いつも早いわよ? あんたと違って」
「あっそ」
 階段を下りてリビングへ顔を出すと、すでに身支度を整えたっぽい葉月がいた。
 恐らくは起きてるだろうと思ったが、相変わらずパジャマのお袋と違い、すでに荷物もすぐここにまとめてある。
 つっても、今日は単なるドライブ……ではない。
 が、荷物はそこそこでいいはずなのに、なぜか葉月は小さめのボストンを持っていた。
「今日、泊まるのか?」
「ううん、そういうわけじゃないんだけど……持って行きたいものがあるの」
 軽装の俺と違い、葉月は一泊可能にも見える。
 これから出向くのは、湯河原温泉郷。
 まあ、せっかくだし泊まってもいいけど、そりゃあな。
 ただし、空き部屋があるのかってことと、ぶっちゃけ手持ちの金で足りるかどうかは怪しい。
 当然各種カードは使えるだろうが。
「恭介さんとはあっち待ち合わせなんだよな?」
「うん。先に行ってるって言ってたよ」
 ざっくりと今日の話を恭介さんから聞いてはいたが、何をするのかまでは正直聞いてない。
 ただ、葉月と湯河原まで来てほしい、ってだけ。
 湯河原という地名は、今の俺には思い当たることだらけ。
 だが、少し前まではまったく縁のない県西の温泉地でしかなかった。
「んじゃ行くか」
「ん。お願いします」
「気をつけて行ってらっしゃいね」
「はい」
 車のキーを持ち直すと、お袋が葉月へ笑みを見せた。
「頼むわよ」
「ああ」
 が、俺に見せた顔はどこか心配そうで。
 まあそうだろうけど……つか、ぶっちゃけ俺は知らないことをお袋は知ってるうえに、まだいくつも隠してるはず。
 そのあたり聞いていいか悩んだが、まだ恭介さんから聞いてない部分もあり、今回は控えることにした。
 俺じゃない。本来知るべきは、葉月だからな。
「いいお天気だね」
「昨日より、暖かいな」
 玄関のドアを開けると、予想以上に日差しが暖かく感じた。
 だが、風は十分冷たい。
 まだまだ春にはほど遠い季節だな、とガラにもなくふと思った。
 
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