「……ったく。俺が車洗うと雨降るんだよな」
 視線を前に向けた途端、自然に眉が寄った。
 せっかくの、秋晴れの本日。
 彼女を乗せて、どうせなら箱根まで――……とドライブがてらわざわざ東名の下り方面に乗った途端、雨が落ちてきた。
 この前、車洗ったばかりなのに。
「……勘弁してくれよ」
 ため息をつきながらスピードを上げていくにつれて、フロントガラスに激しく当たるようになっていく雨。
 ワイパーを動かしながら走るものの、かなり見にくいほど降り始めてきた。
「……下道で行ったほうがいいかもな」
 ぽつりと呟いてから厚木ICの看板でウィンカーを出し、そのまま出口へ。
 すると、やはり彼女も残念そうに声を漏らした。
「……箱根、行きたかった?」
「え? あ……ちょっとだけ」
 やっぱ、そうだよな。
 せっかくの休みに彼女と出かけられると思いきや、まさかこんなことになるとは。
 俺の行いが悪いんだろうか。もしかして。
「……残念だけど、一旦帰ろうか」
「うん。そうですね」
 インターを降りてすぐの信号で冬瀬方面へ車を向けると、彼女が苦笑を浮かべた。
 絶対、遊びに行きたかったはずなのに。
 でも、こんな雨の中どこかへ行っても、これといって――……。
「……羽織ちゃん、さ」
「え?」
「どっか行きたいトコ、ある?」
 カチカチと響く、ウィンカーの音。
 パネルに光っている矢印を見ながら呟くと、彼女がシートにもたれながら軽く上を向いた。
「……んー……別にないですよ?」
「そう? じゃ、適当に流して帰ろうか」
「はぁい」
 微笑んでうなずいた彼女にバレないよう、小さく笑みが漏れた。
 ……ふ。
 別に行く場所がないというなら、好都合。
 信号が変わると同時にアクセルを踏み込み、左へ折れてそのまま走らせる。
 ないのなら、作ってしまえ、今日の予定。
 ……字余り。
 まぁ、いい。
 とりあえず――……今日は、俺の願いを聞き入れてもらおう。

 せっかくのドライブデートのはずだったのに、外に出た途端雨に降られてしまった。
 ……残念。
 実は、すごく楽しみだっただけあって、やっぱりため息が漏れてしまう。
 でも、それは彼に気付かれないようにこっそりと。
 だって、私がため息ついたなんて知ったら――……彼は絶対に申し訳なさそうな顔をするから。
 いつも、なんだかんだ言ったって、とても優しい彼。
 だからこそ、私がそんな顔をしたら……彼は絶対に気にするだろう。
 私は、彼と一緒にいられるだけでも十分幸せなんだから、そんなことで彼に気負ってほしくはなかった。
「……え?」
 雨が当たるガラス越しに景色を見ていたら、彼が途中で道を折れた。
「ちょっと、寄り道」
「……もぅ。先生、そうやって変なところで曲がるの好きなんだから」
 こうしてドライブしていると、彼は知らない場所なのに平気で道を曲がる。
 結局、最後はちゃんと知っている道に戻るからいいけれど……。
 でも、こんなときの彼はすごく楽しそうで、いつもの“大人の男性”とは違い、まるで男の子みたいに見える。
「……山……?」
 珍しい。
 ……っていうか、こんな場所来たことないかも。
 徐々に、木々に囲まれた細い道に入るのを見ていたら、珍しさからか思わず首をかしげていた。
「寄り道したいんだけど。いい?」
 ふいにスピードが緩んだかと思いきや、彼が顔を覗きこんできた。
 でも、別にこれといって焦る用事はない。
 ドライブも終わりってことだし、だったら彼の提案には賛成。
「うん。いいですよ」
「そう? じゃ、お言葉に甘えて」
 笑みを浮かべて彼にうなずくと、妙に嬉しそうな笑顔が返ってきた。
 ……ん?
 なんか……危ない気がするのは、気のせいかな。
 これまでの経験上、こういう顔をしているときの彼は、大抵何かを企んでいる。
 じぃっと彼の横顔を見ていたものの、やっぱり何やら楽しそうにしていて……。
「あ、ち、ちょっと待って! やっぱり、帰りましょ?」
「駄目。今、いいって言ったろ? せっかく知らない場所なんだし、こういうトコ行きたくなるじゃない」
「なっ……!?」
 キュ、と小さくタイヤを鳴らせて車が曲がった場所。
 急に視界が開けたかと思いきや、瞳が丸くなった。
「……や……っ! 帰る!!」
「もう遅い。ほら、降りるよ」
 ドアに手をかけてこちらを見た彼に、必死で首を振ってみせる。
 だ、だって……だってここは……!
「……やだぁ……」
「あ、そ。じゃあ置いてく」
「えぇっ!? や、それはもっとヤダっ!」
 さっさと車を降りてしまった彼に慌てて首を振ると、助手席に回ってからドアを開けた。
 それはそれはもう……にっこりと、意地の悪い顔で。
「……うぅ」
 …………ここ、って……本気?
 やだよぉ……。
 思わず口を“へ”の字に曲げたまま、眉を寄せる。
 彼が寄りたいといった場所。
 そこは、見た目で私にもすぐにわかる――……いわゆる、ラブホテルだった。

 ……ラブホテル。
 まさか自分がこんなところに来るなんて想像もしなかった。
 なぜか手際よく部屋を取った彼に連れられて、エレベーターで上にのぼる。
 ……うぅ。
 なんとなく、普通のホテルとは造りの違っている室内。
 だからこそ、は……恥ずかしさ満点なんですけれど。
 なんとなく正面を見ることができなくて、前を歩く彼の足元だけを見てしまう。
 すると、すぐにその足が止まった。
「……え……?」
「どうぞ」
 にっこりと笑ってドアを開けた彼を見ながら、先に部屋へ――…入った途端。
「……普通……」
 思わず、そんな観想を口にしていた。
 だって、想像していたのと全然違うんだもん。
 普通のホテルみたいに、きれいな玄関。
 普通のスリッパと、かわいい感じのするキャラメル色の内扉。
 そこを開けて中に入ると、ダブルベッドが置いてあって……確かにちょっと内装は普通のホテルよりカジュアルっていうか、ちょっとファンシー? な感じだけど、私が想像していた部屋とは全然違っていた。
 大きな液晶テレビ。
 ゆったりめのソファ。
 ……うわぁ、ゲームとカラオケまであるんだ。
 冷蔵庫もついてるし。
 それだけじゃなかった。
 なんと、マイナスイオンの出る空気清浄機まで置いてある。
「……すごい」
 思わずくるくると部屋の中あちこちを見ながら呟き、続きになっている奥へ足を向ける。
「うわぁ」
 そこは広い洗面所だった。
 トイレもきれいだし、タオルなどのアメニティも普通のホテルと変わらない。
「……お風呂だ」
 ガラス張りのドアを開けると、そこはバスルームになっていた。
 しかしながら、普通のホテルに備え付けてあるバスルームよりも、ずっと広い。
 だけど、何よりも目を引いたのが――……よくプールとかで使われる、ビニールマットだった。
 空気が入っていて、気持ちよさそうではある。
 ……でも、どうしてこんなところに。
 用途が浮かばず『?』でいっぱいになりながら部屋に戻ると、ソファへ腰かけていたずらっぽく笑っている彼と目が合った。
「ずいぶん楽しそうだね」
「……そ、そんなことは……」
 つい、はしゃぎすぎたかもしれない。
 だって、初めて来たんだもん。
 しかも、こんなにキレイだなんて思いもしなかった。
 ぺたぺたとスリッパを鳴らして彼の隣に座ってから、リモコンを取ってテレビをつける。
「っわぁ!?」
 途端、慌てて電源を切る。
「……なんで消すかな」
「だ、だって……あっ」
 彼がリモコンを取って、もう1度テレビの電源を入れた。
 ――……と。
 室内に響く、女の人の声。
 ……うぅ。
 思わず目を閉じてうつむく。
 すると、彼がわざとらしい声をあげた。
「羽織ちゃん、好きでしょ? AV」
「す、好きじゃないもんっ!」
「そう? 俺に隠れて、2回も見てたじゃない」
「隠れてなんか……」
 隠れて見たのは、1回だけだもん。
 ……って、そんなこと言えば、また何か言われるから黙っておくけど。
「…………違う番組にしてください」
「そう? じゃあ変えてあげる」
 眉を寄せて彼を見上げると、小さく笑って普通のチャンネルに戻してくれた。
 ……一安心。
 でも、ひとつ気になることが。
 そもそもの原点ともいえる、大きな疑問だ。
「……ねぇ先生。どうしてこんな所に寄ろうと思ったんですか?」
「ん? いや、走ってて見つけたから」
「……それだけ?」
「そうだけど?」
 ……そんな簡単な理由で入っちゃうの? ラブホに。
 思わず眉を寄せると、いきなり彼が抱き寄せた。
「っひゃ……!」
「何か期待してるの?」
「っ……ち、違いますよ!!」
「そう? 別に俺は、期待してくれても構わないんだけど」
 いたずらっぽく笑った彼が肩をすくめてから立ち上がり、部屋の中をぐるりと見回した。
「でも、ホントきれいなんだなー。ここって」
 まじまじと、あれこれ私と同じように視線を這わせている彼。
 ……が。
 ふいに、視線を合わせてからにっこりと笑みを浮かべた。
「……え?」
「羽織ちゃんに、いい物あげようか」
「……いい物じゃないからいらない」
「そういうこと言うワケ? じゃあ、強制的に着せる」
「きせっ……えぇ? ……なんですか?」
 くるっと背を向けた彼がベッドに向かうと、何かを手にしてから戻ってきた。
 その手にあるのは、透明の袋に入った白い布……のような物。
「……なんですか?」
「さぁ? 開けてごらん」
 それを受け取り、テープをはがして中身を出――……!
「……これ……!」
 思わず、喉が鳴った。
 サテンの生地でできている、つるつるとした服。
 それは、純白のナース服だった。
 ……でも、丈がものすごく短いんですけど。
 恐る恐る彼を見ると、意地悪っぽい笑みを浮かべてまっすぐ私を見ていた。
「まさか……」
「着て」
「っ……」
 うう、言うと思った。
 などと思ってしまう自分が、少し悲しい。
「や……やです!」
 ぶんぶんと首を振って否定する――…も、ずいっと顔を近づけてきた。
 ……うぅ。
 先生、そんな顔しないでくださいよぉ……。
 断りにくいじゃないですか。ものすごく。 「見たいんだけど?」
「……やだぁ……」
「なんで?」
「だって……恥ずかしいもん……」
「見るの俺だけだよ? 着てほしい」
「あ、やぁっ……ん!」
 ぐいっと腕を掴まれてから耳元で囁かれ、思わず身をよじる。
 すると、あっさり腕に収められてしまった。
「……二度とないチャンスだよ?」
「こんなチャンス……いらないもん……」
「そういうこと言うんだ? ……俺が見たいって言ってるのに?」
「……うぅ、いじわる……」
 服を握って眉を寄せると、再び顔を覗きこむように顔を近づけてきた。
 ……ズルい。
 先生、やっぱりズルいです。
「で? 着てくれるの? くれないの?」
「……い……」
 『イヤだ』と唇を動かそうとすると、彼が瞳を細めてこちらを見た。
 ……うぅ。強制ですか……? もしかしなくても。
「……着ます」
「へぇ? それはそれは」
 ……うぅ、それはないですよ。自分が着ろって言ったんじゃないですかっ。
 唇を尖らせて彼を見ると、にっこりと笑みを浮かべた。
「じゃ、待ってるから」
「…………うん」
 この状況で『いやです』と言ったら、いったいどんな手を使って『うん』と言わされるかわかったものではない、というのも実はある。
 さすがに、ここへ置き去りにされるようなことはないだろうけれど、もしかしたら『うんって言うまで、じゃあコレを見ようか』なんてさっきのAVを流しっぱなしにされないとも限らない。
 ……はぁ。
 思わずため息をつきながら洗面所に向かうものの、足取りは当然重たかった。
「…………」
 なんだかなぁ。
 大きな鏡の前に立つ、ナース服を持った自分。
 そんな情けない姿を見て、それはそれは大きくため息が漏れた。
 ……でも、すごく嬉しそうだったんだよね。先生。
 この前の裸エプロンといい、これといい……先生、こういうの好きなのかな。
 などと勝手な想像をしながら服を脱ぎ、下着の上にこれを着る。
 するりと滑る布の感触が、少し冷たくてぞくっと背中が粟立った。
 ……それにしても、ナースキャップって難しいんだね。
 あれこれ試行錯誤しながら、ピンで留め――……。
「…………うわぁ」
 鏡に映った姿を見た途端、思わず口元に手を当ててしまった。
 やけに短いナース服で、下着が見えるか見えないかというギリギリのライン。
 それ以外は作りがちゃんとしていて、だからこそ、余計にヤラシイ感じがした。
 ……恥ずかしい。
 ていうか、やっぱりやめておけばよかった。
「…………うぅ」
 とはいえ、やっぱり彼に強く言われると何も言えないんだよね。
 先生、それを知ってるからあんなふうに言うんだ、絶対。
 小さくため息をついてドアから顔だけを覗かせると、ニュースを見ていた彼がこちらを向いた。


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