「お。祐恭ー」
「悪い。ちょっと遅くなったな」
「いいっていいって。羽織ちゃんも、来てくれてありがとうね」
「とんでもないです」
 店に入った途端、主役に声をかけられた。
 武人に苦笑を見せるも、笑顔で出迎えてくれる。
 彼のこういう社交的なところは真似ておいて損はないと思うのだが、やっぱり自分は違うわけで。
 などと比べていたら、ほか連中が写真を撮りたいというので、武人たちから離れる。
「……お前、まだ飲むのか?」
「え? ダメなの?」
「ダメっつーか……」
「あきちゃん、強いもんねぇ」
「うふふ。まぁねー」
 カウンターに座ってカクテルを受け取りながらニヤリと笑う姿は、学生のときから何も変わっていないアキだった。
 さっきはビールで、今度はカクテルか。
 この分だと、しっかりチャンポンして帰るんだろうな。
 瞳を細めて小さく笑うと、羽織ちゃんを隣に座らせてバーテンに何か注文したのが聞こえた。
 ……って、おい。
「こら」
「ん? 大丈夫よ、ノンアルコールだから」
「ホントだな? 信じるぞ」
 ひらひら手を振られ、その仕草がいかがわしいゆえに若干信頼度が下がる。
 が、まるで大人の扱いを受けられたことが嬉しいかのように、どこかわくわくした顔の羽織ちゃんを見ると、邪魔をするのもためらう……って、それじゃダメだろ。
 大きくため息をついてから楽しそうな彼女の横に腰かけると、暫くしてからきれいな色のカクテルが運ばれてきた。
「……これは?」
「ふふーん。祐恭からいつも言われてるんじゃない?」
「……? 言われてるって?」
「『My Sweet Honey』って」
「っ……え」
「うん。……あらー? やっぱ、図星ぃ?」
「俺はそんなことばかり言ってない」
「でも、言うときもあるんでしょ?」
「どうかな」
 ふい、と横を向いてふたりから視線を逸らすと、楽しそうに笑う声が聞こえた。
 瞳だけ向けると、わずかに口をつけてカクテルを含んだ瞬間が見える。
 ……格好のせいか、やけに大人っぽく見えた。
「ん、あまーい」
「でしょ? だから、羽織にはいいんじゃないかなーと思って」
「うん。おいしい……」
 頬杖をついて彼女を見ると、きょとんとした顔でこちらに向き直った。
 ……ったく。
 まばたきを見せてから口元へ手をやった彼女に、自然とため息が漏れる。
「ひとくち」
「え?」
「……アキ」
「あー、おいしー」
「お前……ほんと、いい加減にしろ」
 舐める程度に含むと、案の定アルコールの味がした。
 おいしい、じゃない。
 ひょっとしなくても、羽織ちゃん飲めるくちか。
 ……まぁ、孝之の妹でもあるんだしな。
 親父さんは飲めないくちだが、お袋さんは確かかなり飲める人。
 飲めるのは何も不思議じゃない。
「飲んじゃダメ」
「え? でも、アルコールじゃないんじゃ……」
「それ以上飲んだら、ペナルティね」
「っ……ペナルティですか?」
「そう」
 さりげなく頬へ指を這わせ、つい、と顎を人さし指で捉える。
 こくん、と動いた喉が目に入り、口角が上がった。
「っ……」
 どうなってもいいの?
 囁くように唇だけで告げると、目を見張った彼女が慌ててグラスから手を離した。

 二次会が始まって、しばらく経ったころ。
 俺は彼女らから少し離れて、友人らと久しぶりに話し込んでしまっていた。
 だから、カウンターへ戻ったときそこに彼女の姿がなく、少しだけ焦る。
 まさか…………と。
 嫌な汗が背中を伝いそうになりながら、代わりにそこへ残っていたアキに声をかけると、代わりに…と言っちゃなんだが、空にしたグラスから俺に視線を向けた。
「羽織ちゃんは?」
 周りを見ながら再確認。
 すると、口をつけていたグラスをテーブルに置いてから指をさす。
「あそこ」
 アキが指したほうを見ると、新郎新婦に交ざって何やら楽しそうに話しこんでいる彼女が見えた。
 3人とも笑顔を浮かべているので、いい雰囲気だということはわかったのだが……なぜか、アキは苦笑を漏らす。
「……どうした?」
「え?」
 アイスティーを含んでから彼女を見ると、一瞬どうしようか迷ったような顔を見せた。
 だが、小さくため息をついてから苦笑し、いつもの顔に戻る。
「……もう、時効よね」
「何が?」
「羽織のこと」
「……羽織ちゃん?」
「うん。……タケと棗さんは結婚したし、羽織には祐恭がいるし……ね」
 ふっと三人を見てから肩をすくめ、視線を合わせてから口を開いたアキ。
 意味深な言葉。
 そして、いつもと違う彼女の雰囲気。
 それで、自然と喉が鳴った。

「羽織ね、タケのこと好きだったことがあるのよ」

「…………は……?」
 一瞬、何を言われたのかわからなかった。
 しばらくアキを見つめてしまい、ぽかんと口が開いたまま改めて3人に視線を向ける。
 そこには、屈託なく笑う羽織ちゃんの姿。
 ……彼女が……武人を?
「そうなのか?」
「うん。まあ、3年前だから……まだ羽織が祐恭のことをよく知らないときだけどね」
 そんな話は聞いたことがなかった。
 今日も、彼女は何も言わなかったし――……それに。
「3年前の教育実習でね、タケは冬瀬第一中学に行ったの。ほら、タケって孝之と仲良かったじゃない? だから結構家に遊びに行ってたらしいのよね。羽織にとってみれば、学校で見るタケ以外の姿も見れて……それで、きっと好きになったんだと思う」
 昔を思い出すようにして話すアキを見ていると、なんとなくいつもと違う雰囲気があった。
 まるで彼女の姉のような……そんな印象だ。
「……だけどね」
 ふっと3人へ視線を向け、小さく続ける。
 その視線が、寂しそうな色をまとっていたことはすぐにわかった。
「たまたま棗さんが羽織の家に来てて……で、タケがひと目惚れしちゃったのよね」
「っ……」
 それを聞いた瞬間、あとに続く展開が読めた。
 彼女がどうして武人を諦めたのか。
 それ位、彼女の性格を考えれば納得もできる。
「羽織、昔からそうなのよね。好きな男ができても、その人に好きな人がいれば自分の想いを殺して仲を取り持ってあげちゃう。……あのときの羽織、見ててつらかったわよ」
 瞳を細めて3人を見るアキからは、そのときどれだけ彼女が健気に振舞っていたかがよくわかった。
 だからこそ……何も、言葉が出てこない。
「あのふたりにとって羽織は恩人なのよ。……羽織がいなかったら、今ごろ結婚なんてことになってないと思う」
「そんなに世話焼いてたのか?」
「そりゃあもう! ……羽織らしいっていえば、らしいけどね」
 苦笑を浮かべて新しいカクテルを含むと、打って変わって今度は何かを企んでいそうな笑みを見せた。
 ……なんだよ、その顔は。
「だから、羽織が祐恭を譲らなかったって聞いたときは、正直言って驚いたのよ」
「……あー……」
 そういうことか。
 いや、でも俺に言われても困るんだけど。
 んー……。
「……それは、俺がよっぽど――」
「祐恭、相当愛されてるわね」
「……は……?」
 頬杖をついて笑みを見せた彼女に思わず口を開くと、楽しそうに笑った。
 そんな言葉を言われるとは思わなかっただけに、眉も寄る。
「羽織が絶対に譲らなかった男なのよ? あんたは。……昔好きだった男の話聞いてヘコむなんて、らしくないんだからね」
「……別に、ヘコんでない」
「強がらなくていいわよ。……でも、あんたのこと相当好きみたいだから……ちゃんと幸せにしてやってよね」
「当たり前だろ?」
 アイスティーを含んで笑みを見せ、ついでにしっかりうなずく。
 すると、一瞬驚いた顔を見せてから、おかしそうに笑って肩を叩いた。
「…………」
 そんなアキから線が向かうのは、もちろんあの3人。
 どうやら、喋りながら写真を撮っているらしい。
 ……仕方がないな。
 アイスティーをそのままに彼女の元へ向かうと、先に武人が気付いて笑みを見せた。
「楽しんでるかー?」
「ああ、まぁな。……それにしても、ずいぶん楽しそうだな」
「あはは。そりゃあなー。羽織ちゃんのお陰で、今の俺たちがあるようなもんだし」
「そうそう! 羽織のお陰よね」
 ふたりに笑みを向けられた彼女は、慌てたように首を振って屈託のない笑みを浮かべた。
 ……真の強さってのは、こういう子のことを言うのかもしれない。
 彼女は、武人にフラれたわけじゃない。
 ましてや、告白すらしていないし。
 だとすれば、自分の好きなヤツがほかの女とくっつくのを見ていることほど、つらいことはないだろう。
 それでも、彼女はあえてその道を選んだ。
 ――……本当に武人のことが好きだったから。
「…………」
 改めて、彼女をまじまじと見てみる。
 だが、今の彼女からは、武人への想いや未練なんかはまったく伺えなかった。
 ……隠してる……とかでもなさそうだしな。
「…………はー」
 我ながら、昔の好きな男のひとりやふたりの話を聞いたところで動揺するとは思っていなかっただけに、少し驚いた。
 ……なんつーか、ものすごく悔しいんだよな。
 今は俺の彼女だし、俺以外は見向きもしてないと思う。
 それに、彼女にとって初めての男で、俺にしか許してくれないこともたくさんあるだろう。
 ……それはわかっている。
 だけど――……。
「……先生?」
「え?」
 どうやら彼女を見たままで考え込んでいたらしく、ぽんぽんと腕を叩かれた。
 そこでようやく、我に返る。
「……あー、ごめん。ちょっと考えごと」
「大丈夫ですか?」
「うん」
 小さく笑みを見せてうなずくと、安心したように彼女が微笑んだ。
 そんな彼女を――……そのまま抱き寄せる。
「わっ!?」
「……祐恭?」
 驚いたような武人に意地悪っぽい笑みを見せ、そのままでしっかりと宣言。
 たまには、こういうのも悪くない。
 いや、むしろこうできる場所だったら、いくらでもしてやりたいくらいだ。
「彼女なんだよ。俺の」
「……え?」
「せ、先生っ」
 慌てて身体を離そうとする彼女を逃さないよう力強く抱きしめていると、目を丸くした武人が彼女と俺とを見比べた。
「……マジで?」
「ああ。大マジ」
 にっと笑ってから彼女の頬に手を当て、目元に唇を寄せる。
 ――……例の、あの写真のように。
「「あっ!?」」
「パンフと一緒だろ?」
 新婦とともにハモった武人に笑みを見せると、途端におかしそうに笑い始めた。
 ……ちょっと待て。
 その反応は、予想外だ。
「……こら。何がおかしいんだ、お前は」
「いや、ごめんごめん。そっかー、祐恭の彼女って羽織ちゃんだったんだー」
 そう言いながら苦笑を浮かべて首と手を振り、彼もまたどこか安心したような笑みを見せた。
 ……その顔。ひょっとして………。
「……タケ」
「ん?」
 彼の腕を掴んで女性陣に背を向け、そっと内緒話。
 俺の考えが間違っていなければ……コイツは、昔から鈍い男なんかじゃなかったはずだ。
「お前、羽織ちゃんがお前のこと好きだったって……知ってたのか?」
 眉を寄せて呟くと、視線を一瞬逸らしてから申し訳なさそうに小さくうなずいた。
 ……やっぱり。
 まぁ、普通わかるよな。
 だけど――……だ。
「じゃあ、お前……」
「だからものすごく申し訳なかったんだよ。学校でも家でも、笑顔で棗のことをすすめてくれて。最初は気付かなくてさ。……けど、だんだん『あれ?』って思うことが多くなって……」
 そのときを思い出すように呟く彼の顔には、すまなそうな表情が浮かんでいた。
 だが、次の瞬間。
 こちらの予想をはるかに上回る答えが返ってきた。
「……もし棗にフラれてたら、羽織ちゃん好きになってたかも」
「なっ……!」
 目が丸くなるというよりは、呆れて口も開く。
 いい加減なヤツ……じゃないからまだいいようなものの、危うく張り倒すところだった。
 だって、そうだろ?
 そんな都合のいい話、あるか!
「だ、だからっ! あっちがダメだから、こっちっていうわけじゃないぞ!? ただ、好きなヤツのために一生懸命尽くしてくれるとこ見て……やっぱ……惹かれる、じゃん?」
「じゃん、じゃねぇだろ」
 慌てて首を振りながらしどろもどろに続ける武人をいつしか睨んでいたらしく、語尾が徐々に小さくなっていった。
 ……冗談じゃないぞ。
 んな都合のいいことは。
「駄目だからな」
「……何が?」
「もう、俺のモンなんだから」
「わかってるって!」
 ジト目をもう1度送って自然と落ちた声のまま呟くと、ぶんぶんと首を縦に振ってから苦笑を浮かべた。
 ……ったく。
「どうしたんですか?」
「……別に」
 ため息をついてからふたりに向き直ると、不思議そうな顔が並んでいた。
「せっ……せんせ……!」
 改めて彼女を抱きしめ、照れた笑みを浮かべている新郎新婦に正面から対する。
 宣戦布告……とは違うが、こうしておいて悪いことじゃないからな。
「俺が、誰よりも幸せにする」

 『お前にはできないくらいに』

 そういう意味を込めて、自然と出た言葉だった。
 もちろん、矛先は武人。
 どうやら彼もそれを感じ取ったらしく、一瞬目を丸くしてから笑みを浮かべた。
「俺だって、お前に負けないくらいに幸せにするよ」
 ぎゅっと新婦を抱き寄せた武人に、自然と笑みが漏れる。
 武人の言葉で幸せそうに笑う新婦。
 こういう幸せな顔を見ているのは、気分がいい。
「……先生、苦しぃ……」
「あ、ごめん」
 どうやら、力を込めて抱きしめすぎたらしい。
 眉を寄せて俺を見上げた彼女を慌てて離すと、照れながら笑みを見せた。
 ……この笑みがあるから。
 だから、俺はこれだけ強く生きられるに違いない。


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