「……で、どこに行くんですか?」
「ん?」
 マンションを出て、しばらく経ったとき。
 まだ自分でも知っている場所の信号待ちで訊ねると、私とは対照的にごくごく普通の顔で彼がこちらを向いた。
 ……なんですか、その顔は。
 まるで『わからないだろ』と楽しんでいるみたいで、自然と眉が寄る。
「……もぅ。まだ内緒なんですか?」
「うん」
 ……そんなあっさり。
 もう少し何か言ってくれるんじゃないかと期待していただけに、うなずいてギアを入れた彼に苦笑が浮かんだ。
 ……もー。
 そんなふうにされると、余計気になっちゃうのに。
 でもやっぱり、彼は教えてくれなさそうだ。
「教えてくれてもいいじゃないですか」
「そのうち、わかるって」
「……ホントに?」
「多分」
「…………うー……」
 くすくす笑いながら国道を折れた車は、そのまま厚木方面へと進んでいく。
 ……厚木……。
 だけど、当然ぴんと来るような場所はなくて。
 最初に『ドライブ』だと言ったから、もしかしたら本当にドライブだけなのかもしれない。
 なんの目的もなく、ただただ……普通に走るだけの。
「…………」
 時間が時間だけに、普段は混雑を見せるこの道も、さすがに空いていた。
 ……なんか、気持ちいい。
 吸い込まれるような暗闇に伸びる、街灯に照らされて浮かんでいるまっすぐの道。
 ……特別な場所を走ってるみたい。
 いかにもここは自分が昔から知ってる場所なのに。
「え?」
 前を走っていた車が、左折して見えなくなったとき。
 ふっとスピードを緩めた彼が、ダッシュボードに手を伸ばした。
「……? なんですか?」
 彼が取り出したのは、1枚のCD……っぽいモノ。
 今かかっているのは彼がよく聞くアーティストの新しいアルバムなので、変える理由がわからなかった。
「いや、孝之がくれたんだけどさ」
「……お兄ちゃんが?」
「うん」
 うなずいた彼がCDを入れ替えると、同時にすぐ読み込みが始まった。
 ……お兄ちゃんがくれた、ディスク。
 彼が選んだ曲なんてピンと来ないせいか、ちょっとだけ不安だったりして。
「……あ」
「うわ」
 信号が青になって彼がアクセルを踏み込むと同時に、曲が流れ出した。
 聞こえてきたのは、クリスマスソングの定番中の定番。

 『恋人たちのクリスマス』

 だけど、ちょっとだけ私が知っているのとは曲調が違っていた。
 ……なんかこう……ユーロビートみたいな……。
「……すごいな。これもユーロになってるんだ」
「あ、それじゃあやっぱり……」
「うん。クリスマス仕様のユーロだってさ」
 私がちょうど聞こうと思っていたことを、彼が先に教えてくれた。
 ……なるほど。
 そういわれてみれば、納得もできる。
 …………って、ちょっと待って。
 今、先生……うわって言った……よね?
「先生」
「……何?」
 ぽつりと呟いて彼を見ると、どこか気まずそうに視線を合わせないまま。
 ……むぅ。
 もしか――……しなくても、彼自身はどうやら私が言いたいことを理解してくれているらしい。
「今、随分すごい反応しましたね」
「……そう?」
「もぅ! 聞こえましたよ? ……なにも、『うわ』はないじゃないですか!」
「……いや、でもね……」
 彼に身体を向けると、苦笑を浮かべながら一瞥してギアを入れ替えた。
「この時期になると必ず街中でかかってるだろ? ……だから、なんかなー……って」
「私、これ結構好きなんですよ?」
「へぇ。そうなの?」
 ……確かに、彼らしいといえばらしいと思う。
 でも、やっぱり……自分は好きな曲で。
 だから、まさかそんなふうに言われると思ってなかったし。
 ……まぁ、仕方ないんだけれど。
「悪かったよ」
「……もぅ」
 シートにもたれていると、彼が手を伸ばして――……頭を撫でてくれた。
 ……えへへ。
 別に、怒ってるわけじゃない。
 それはもちろん、彼も当然わかっているんだろう。
 ……だから、笑顔のままなんだし。
 でも、やっぱり嬉しい。
 彼がこんなふうに……頭を撫でてくれるのは。
「え?」
 小さく聞こえた、唐突な声。
 それで彼を見る……と……。
「な……なんですか……?」
 何やら、ものすごくいたずらっぽい笑みを私に向けた。
「……まぁ、今ならわからないでもないけど?」
「え? ……何がですか?」
「この曲のタイトル」
「……タイトル?」
「そ。……あー、ただし日本語のヤツじゃないよ?」
 ちっち、とばかりに指を振った彼がハンドルを握りなおし、車線を変えた。
 その顔は、やっぱり楽しそうなまま。
「…………タイトル……」
 ……えっと……『恋人たちのクリスマス』じゃダメなのかな。
 普段、この名前でしか見慣れてなかったせいか、ぴんと来ない。
 ……って、そんなことを言ったらそれこそ『勉強不足』なんて怒られちゃいそうだけど。
「え……と…………英語のって、あるんですか?」
 恐る恐る。
 それはもう、本当に恐る恐る彼に小さく聞いてみると、それはもう本当に大げさに驚いてみせた。
「えー。知らないのー? 好きなんじゃなかった?」
「……そ、それは……。好きなんですけど……」
「でも、知らないんだろ? ……いただけませんね? 受験生」
「……ぅ」
 やっぱり、言われると思った。
 でも、彼の反応を見ていると、どうやら私がそう言うのをわかっていたみたいだ。
 ……きっと、だから聞いたんだよね。
 …………多分。
「この曲は、『ALL I WANT FOR CHRISTMAS IS YOU』って言うんだよ」
「……オール……?」
「そ。意味、わかるよね?」
 信号が黄色になった途端に彼がアクセルを踏み込み、そのまま突破してしまった。
 ぐっとシートベルトが身体に当たったものの、それは一瞬のこと。
 ……っていうか、先生。
「……黄色は『止まれ』なんじゃないんですか?」
 大分昔に、彼に聞かれたこと。
 『信号で、黄色は何?』
 それで私は、『注意して進め』だと答えた。
 ……だって、お父さんもそうだけど……お兄ちゃんにいたっては、止まる気配すらなく今の先生と同じようにしてたから。
 むしろ、『踏み込んで突破』とか言ってた気が……。
 でも、その話をしたときの先生は、やっぱり今と同じように楽しそうに笑って言ったのだ。
 『黄色も赤と同じで、止まれ、だよ』って。  だから、その意味を込めて彼に言ったんだけど……。
「ん? でもほら、道空いてるし」
「……それは関係ないんじゃ……」
「大丈夫だって。別に、信号無視したワケじゃないんだから」
「うー……それは、まぁ……」
 『だろ?』とばかりに笑った彼に、何も言えなかった。
 ……うー……。
 …………まぁ、ほかに車も見当たらなかったし、いい……としよう。
「……え?」
「それにしても、これが好きだったとはね」
「な、なんですか……?」
「別に?」
 意味ありげな含み笑いをした彼を見ると、こちらを1度見てから、あのいたずらっぽい顔を見せた。
 ……楽しそうな顔。
 でも、なんとなく彼が意図することはわかるので、これ以上は言えないんだけれど。
 ……だって、これ以上聞いたら……絶対彼は許してくれないから。
「……もぅ」
 ――……なんてことを考えていると、曲が終わって次へと移った。
 なんていうか、結構いろいろなジャンルの曲が入っているらしい。
 だけど、全部に共通するのはクリスマスソングという点。
 それらが、昔の物から最近の物までと幅広くユーロビートに調されている。
 ……お兄ちゃんって、こういうところはマメだよね。
 車のディスプレイも、季節とかイベントごとに変えてるし。
 そして、曲も当然そう。
 夏は夏らしいモノ。
 冬は冬らしいモノ。
 ……そして、今の時期は――……クリスマスのモノを。
 きっと、ダッシュボードの上とかには、クリスマスっぽい何かが載ってるんだろうな。
 最近彼の車をまじまじと見るような機会もなかったけれど、想像は容易にできる。
「……でも、本当に静かですね」
「だね」
 彼が先ほど言った通り、私たち以外には車がほとんど走っていない。
 だからこそ、なんだか……とっても不思議な気分。
 街灯の淡いオレンジ色に照らされて、なんとも言えない色合いを見せているまっすぐな道。
 そこは、まるで専有道路みたいで……。
「……これだけ飛ばせると、気持ちいいね」
「もぅ。飛ばしちゃダメですよ?」
「んー。善処するよ」
「そうしてください」
 ぐんっと踏み込まれたアクセルで彼に苦笑を見せると、こちらを見た彼も同じように笑った。
 ……こんな時間に、彼とふたりきり。
 これまでする事のなかった、深夜のドライブ。
 ……えへへ。
 クリスマスという日のこの贈り物は本当に嬉しかった。
 しかも、『彼から』のモノだから余計に。
「……何がおかしい?」
「ううんっ。……嬉しくて」
 こちらを見ずに呟いた彼に首を振ると、『それはよかった』と彼が続けた。
 ……どこに行くんだろう。
 でも、楽しい場所に違いないはず。
 わくわくしながら流れるメロディについて話し込んでいたせいか、いつの間にか徐々に変化を遂げていた風景には、まったく気付くことができなかった。



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