久しぶりに、夢を見た。
 私がまだ、小さかったころの夢。
 お兄ちゃんが冬瀬の制服を着てて、私はランドセルを背負ってて。
 ……懐かしい。
 今ではもう、随分と昔の話だ。
 お父さんの顧問の下、3年間弓道をしていた彼は、やっぱり当然ながら人気がそれなりにあって。
 男子校っていうこともあって、試合に行くたび他校の生徒からいろいろ言われたと聞いていた。
 ……だけど。
 いつも彼は、私のそばにいてくれて。
 いつだって、彼の隣に私の知らない女の子はいなかった。
「羽織」
 どんなときも、彼は笑顔をくれて。
 優しく、護ってくれて。
 ……そして。
 無条件で――……愛してくれた。
 私が、彼の、妹だから。
 …………妹だから。
 だから、当然なんだ。
 彼がそばにいてくれるのも、優しくしてくれるのも、何もかも。
「お兄ちゃん……」
 いつもと同じように、彼に近寄ってその手を取る。
 こうすれば、彼はいつだって握り返してくれて、私に笑みをくれた。
 ……くれた……。
 そうだよね? お兄ちゃん。
「え……?」
 ふ、と目の前が振れた。
 明るい日差しの中、こちらを見ていた彼が立ち上がり、私を見下ろして――……笑う。
「……お兄ちゃん……?」
「ここから先、お前は連れて行かない」
「え……?」
「お前はもう、一緒に行けないんだよ」
 嘲るように、突き放すように。
 彼は、私にそう言った。
 ――……いつもと何ひとつ変わらない、優しい笑顔で。
「っな……!?」
「早く行かなきゃ、遅れちゃう」
 光の中現れた、長い髪の女性。
 にこやかに笑みを見せて、当然の如く彼の腕を取る。
「……お兄ちゃん……?」
「ねぇ、先生。行きましょ? 私と」
 彼を呼んで、手を伸ばして立ち上がったのに、彼はこちらを見てくれなくて。
 代わりに彼が見ているのは、彼が触れているのは…………そう。
 あの夜、彼が小さく名前を呼んだ、あの――……泉先生だった。

「っや……ぁ!!」
 大きな声と同時に、身体が起きる。
 鼓動が早鐘のように打ち付けていて、息をするのもままならない。
 ……嫌だ。
 ひどい嫌悪感と、孤独感と。
 そして、拭いきれないほどの嫌な汗。
 ……もう、ヤダ。
「……っ……う」
 昨日から、私……泣いてばかりだ。
 滲んだ涙を流れる前に拭い、膝を抱くように布団へ顔をうずめる。
 嫌だ。
 こんな毎日、嫌だ。
 ……自分のせいだって、わかってるのに。
 だけど、どうしようもなくて。
 謝っても、許してもらえない気がする。
 ここまでこじれてしまったからこそ、きっと……もう手遅れなんだ。
「……起きなきゃ」
 今日は、全国一斉模試が行われる。
 休みだけど学校に行かなきゃいけない。
 ……それだけじゃなくて。
 休みなのに………いろんなものを見なきゃいけない。
 それが、すごくつらかった。
「……はぁ」
 絵里に会ったら、きっと言われると思う。
 昨日の夜も、幾らがんばってもなかなか眠れなくて、思い出すたびに涙が出たから。
 瞼が重い。
 ……腫れてるんだろうな。
 笑えない自分。
 こんな状態で学校に行って、彼や彼女を見て……泣かずにいられるだろうか。
 夢の中で、恋人みたいに寄り添っていたあのふたりを見て。
 服を着替え、バッグにいくつかの教科書と筆記用具を詰める。
 ……ごはん、食べる元気ないや。
 スマフォと一緒にバッグを持って部屋を出ると、階段を降りる前にやっぱり足が止まった。
 ……お兄ちゃん、いるのかな。
 答えを知るまでもない考えが浮かび、相当自分が参っていることがわかる。
 きしむ階段を1段ずつ降り、リビングを覗く。
 だけど、そこに彼の姿はなかった。
「…………」
 ……私、安心してる。
 この前までは、あんなに彼と関わりを持とうとがんばってたのに。
 ……我侭な子。
 だから…………お兄ちゃんにも神様にも嫌われるんだ。
 あんな夢まで、見させられて。
「あ、おはよ」
「ッ……! ……あ……」
 靴を履いていると、背中に声がかかった。
 びくっと一瞬震えた身体を両腕で抱くようにしてから、ゆっくりとそちらへ顔が向く。
「……羽織? 大丈夫?」
 案の定、声の主である葉月はつらそうに眉を寄せた。
 ……そんなにひどい顔してるんだ。
 それが容易にわかって、小さく苦笑が漏れる。
「だいじょぶ。……先、学校行くね?」
「え? あ、ごはんは?」
「……ううん。お腹、空いてない」
 慌てた彼女に緩く首を振り、言葉を続けられる前にドアへと向かう。
「……っ!」
 このとき。
 振り返ったりしなければよかった。
 ……そうすれば、あんなにつらそうな顔をしてる彼を見ずに済んだのに。
「……ってきます……ッ」
「っ! 羽織!?」
 葉月の声に反応せず、足早に家を出る。
 バス停まで逃げるように走り、しばらくそのままで進んでから――……足を止める。
 彼に、あんな顔をさせたのは私だ。
 私がいけないんだ。
 ……我侭だから。
 どうしようもなく、嫌な子だから。
 お兄ちゃんが幸せになるのは、私も嬉しいのに。
 ……なのに、彼が私を置いていってしまうのが、怖くて悔しくて許せなくて。
 …………酷い妹。
 ぽたぽたと頬を伝う涙を拭いきれなくて、小さくしゃくりが上がる。
「……もぉ……ヤダ……」
 どうして、こんなことになっているんだろう。
 ……どうして……?
 彼のあのつらそうな顔が浮かび、ただ嗚咽を漏らさずに泣くのが精一杯だった。


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