「……で?」
「え?」
「お願い決まった?」
 新聞を畳んでテーブルへ放った彼が、ソファにもたれてから手を頭の後ろで組んだ。
 ……ぅ。
 その顔、ちょっとだけ苦手なんですけれど。
 わずかに瞳を細めて、見下ろされるみたいな感じ。
 その表情はまるで、『早くしないと時間切れ』なんて言ってるように見えてくるから不思議だ。
「…………」
「…………」
「……せめて、スカ――」
「却下」
 もう1度、言ってみる。
 ……性懲りもなく、とか思ってるのかな。
 やっぱり、『いいよ』なんて言ってくれそうにはない。
「……あの、先生。ひとつ聞いてもいいですか?」
「聞く分には、幾つでも問題ないけど」
 途端、少しだけど表情を変えた。
 ……先生って、もしかしたらすごく正直な人なんじゃ。
 別に、これまでも考えたことがなかったわけじゃないけれど、特に今日はそんなふうに思った。
「……どうしてこの格好じゃなきゃダメなんですか?」
「ソソられるから」
「…………」
「…………」
「……え……?」
「何?」
 なんだか今、とってもすごいことをさらりと即答されたような気がするんだけれど……気のせい?
 ……そ……そそられる……とか言った? よね?
「…………」
「……なんだよ」
「や、あの、それは私のセリフなんですけれど……」
 恐る恐る彼を見つめてから、口を開く。
 ――……と。
「っわ……!?」
 瞳を細めた彼が、いきなり私を抱き寄せた。
「……正直に生きたいんだよ。俺は」
「え……っ?」
「これまで、ずっと……これでもいろいろ自分なりにがんばってたんだから」
 耳元にたっぷり吐息をかけられながら、彼の声が響く。
 それは……もちろん、わからないわけじゃない。
 だって、自分でも不安になるくらい――……彼は本当に、私に触れてくれなかったから。
 それが、このセンター試験を控えている私のためだって言ってくれたけど、でも本当はちょっとだけ……ううん、とっても寂しかった。
 抱きしめてほしい。
 キスしてほしい。
 ……もっとそばに、いてほしい。
 センターっていう大きな緊張が先に待ちうけていたからこそ、余計に私はそう思っていた。
「だから、これくらいは許してほしいんだけど」
「……っ……」
 ほんの少しだけ色っぽい瞳で見つめられて、ぞくっと身体の1番深いところが震えたような気がした。
 ……いじわる。
 先生はいったい、私に何を言わせようとしているんだろう。
「……で?」
「え?」
「お願い、は?」
 指先で頬から顎を撫でられ、小さく喉が鳴った。
 ……こんな顔、ズルい。
 それに、こんな……こんな急に艶っぽい声も。
「…………」
 出かけた言葉が、唇を結ぶと同時に身体の中へ戻る。
 だけど、彼はそれをしっかり感じ取ったらしく、口元に笑みを浮かべてからゆっくりと顔を近づけた。
「……いいよ? なんでも」
 本当にこのときを楽しんでいるかのように笑い、じっとりと意味ありげな視線をあちこちへ向ける。
 ……えっち。
 別に彼が何かしたとかいうわけじゃないんだけれど、でも、なんとなくそんなことが浮かんで、わずかに頬が赤くなった。
「……んー? 何考えた?」
「な、なにもっ……考えてません……けど」
「そう? じゃ、どうして赤くなってるワケ?」
「っそ……それは……」
 目ざとく見つけられて、慌てて首を振る。
 ……うー。
 そんな顔されても、ホントなんだもん。
 別に私は、そんな、やましいようなことを考えたつもりはない。
 むしろ、その……何て言うか。
 …………。
 ……でも、先生がえっちな顔するから……いけないんだ。
「…………」
「ん? なんでもどうぞ」
 もしかして、彼はずっと私がお願いするのを待ってたのかな。
 何食わぬ顔をしてみせてたけど、ずっと……どきどきしてくれてたんですか?
 『ん?』と少しだけ首をかしげて笑った彼に、小さく口を開く。
 ……まるでずっと待っていたかのように先ほどから催促されている、彼への『お願い』を。
「……それじゃあ……」
 彼から視線を外し、改めてまっすぐ見つめる。
 ……お願いなんて最初から決まってたんだから。
 こうして彼とふたりきりになれたときから――……よりも、ずっと以前に。

「抱っこ……していてもらえますか?」

 赤くなった頬のまま彼に呟くと、一瞬意外そうな顔をしてから――……すぐにふっと優しく笑った。
「いいよ」
 しっかりと、うなずいてくれながら。


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