「ねーぇー。帰るのやーだー」
「……今、何時だと思ってるんだお前は。とっとと帰れ」
 夜だというにもかかわらず、未だに人の流れが多くあるココ。
 でも、駅前と考えればそれは当然かもしれない。
「ねー。なんで私だけ帰るの?」
「別に美観だけじゃない。……もちろん、彼女だってすぐに送る」
「……え……?」
 不満そうな彼女を見てから、先生が私の頭を撫でた。
 ……帰れ、ってこと……?
 確かに明日だってまだ学校はあるし、今はもう――……時間も遅くて。
 …………でも。
 やっぱり我侭は止まらなくて、『送る』と言われた途端に寂しさがこみあげた。
「ちぇー。だったら、私も一緒にいろんな話に混ぜてくれればいいじゃない」
「お前は関係ないだろ」
「でも! コレくらいはその……関係あるんじゃない?」
「ない」
 にやっとした顔で『コレくらい』を彼女が指で示すものの、当然のように彼はあっさりと切り捨てた。
 そんなふたりのやり取りを見ていたらつい、苦笑が浮かぶ。
 ……でも。
 こんなふうに笑みが浮かぶようになっただけでも、相当自分が安定しているんだと思った。

「せ……んせいの、SP……?」
「そう」
 ものすごく真面目な顔で彼女が言い出したのは、そんな突拍子もないことだった。
 だけど、先ほどまで彼女が見せていたいたずらっぽさとか、ふざけた感じはまったくなくて。
 『SP』と言ったのは、本気なんだと改めて思わされた。
「ほら、うーちゃんって普段学校じゃ『イイ先生』みたいにもてはやされてるじゃない? だから、結構勘違いしちゃう子が多いのよねー」
 大げさにため息をついた彼女――……美観ちゃんは、『現にウチのクラスでも何人かいるし』と眉を寄せた。
 ……確かに。
 先生の学校での評判は、どちらかといったらいいほうに入る。
 背もあるし、声も通るし……それにあの車。
 とにかく、いろんな意味で目立つ人だとは思う。
 だから……いつだって、『大丈夫だよ』って彼に言ってもらえていても、私は不安がどこかに残っていた。
 上を見たってキリがないんだから、どこを見ても果てはない。
 だけど、もしも――……私よりずっとステキな人が現れたとしたら……そのとき彼は、それでも私を選んでくれるんだろうか。
 彼が私にはもったいなさすぎるほどステキな人だから、私はいつだって……見えない何かに怯えてないとは言い切れない。
「……もてはやされてるって。別に俺は、普段から――」
「いーから、うーちゃんはちょっと黙ってて」
「…………」
 め……ずらしい……。
 ため息をついて心底嫌そうに口を開いた彼を、瞳を細めた美観ちゃんがぴしゃりと一喝した。
 といっても、別に珍しいというのはそういうふうに彼が言われたことが――……ではなくて。
 むしろ、そう言われて『わかった』とばかりに黙った彼が、珍しかった。
「でね? 『彼女がいる』って噂をまいても何をしてもまったく効果がないから、それじゃあ1件1件しらみつぶしに潰して行こう! ……みたいに、思ったってワケ」
 そう言って肩をすくめた彼女は、同い年のはずなのにやけに大人びて見えて。
 ……なんだか……すごい。
 でも、泰仁さんの妹だって聞いて納得できたのは、もしかしたら部分部分で彼とダブって見えるところがあるからかもしれない。
「……だから」
「……? え?」
「まさか、うーちゃんにホンモノの彼女がいるなんて思わなかったから……嫌な思いさせて、ごめんね」
 申し訳なさそうに両手を合わせた美観ちゃんは、ぺこっと頭を下げながらもう1度『ごめん』と続けた。
「ううん、そんな……だって、あのときは……やっぱりびっくりしたから」
「まぁね。むしろ驚いてもらおうと思ってやったことだから、結果としてはオーライ……だったのかも?」
「……美観」
「う、うそうそっ! ごめんってばあ」
 宙に視線を飛ばして満足げに笑おうとした彼女は、鋭く低い彼のひとことで慌てたように手と首を振った。
 ……でも。
「……ん?」
「どしたの?」
 お互いに小さな声で囁き合っていたふたりをじぃっと見つめていると、ほどなくしてから私に気づいたらしく、同じような表情でこちらを向いた。
 ……似てる。
 きっと、ふたりをそれぞれ別個に見たらわからないんだろうけれど、こうして並んでいると、やっぱり雰囲気は同じモノをまとっていた。
「……よかった……」
 ただ、一言だけ。
 彼と美観ちゃんを見ていたら、ぽろっと笑顔と一緒に零れ落ちた。
 そんな私を見て、ふたりは不思議そうに顔を見合わせる。
 ……でも、嬉しかったの。
 誤解をふたりに解いてもらえたこともそうだし、彼と……またこうして笑い合えるようになったこともそう。
 そして――……。
「……え?」
「これからはそれじゃあ……改めて、よろしくね?」
 おずおずと片手を美観ちゃんに差し出すと、少し驚いたような顔をしてから、ものすごくかわいい笑顔で大きくうなずいてくれた。
 もしかしたら、こんなふうになることすらできなかったかもしれない。
 誤解を背負ったままでいたら、きっと……彼女を嫌いになってしまっていたはず。
 ……だから、嬉しかった。
 本当に、よかったと思えた。

 彼女とは、“友達”としてこれから先も付き合っていけるであろうことが。

 きゅっと握ってくれた手のひらの感触は、きっとしばらく忘れないだろうと思う。


「あ。電車くるから……そろそろ行く」
「ああ帰れ」
「気をつけてね」
「ありがと、羽織。……うーちゃんも少し見習ったら?」
「ほっとけ」
 スマフォを見つめた美観ちゃんが、思い切り瞳を細めてから彼に『いーだ』と口を横へ引っ張る。
 でも、そんな表情をした彼女もやっぱりかわいいと思った。
「じゃあ……明日からまた、学校でよろしくね?」
「うん……! ありがとう」
「へへー。んじゃ、ばいばーい」
「気をつけるんだぞ」
「はいはーい」
 ぶんぶんと大きく手を振った彼女は、何度かこちらを振り返りながら、改札へと小走りで向かって行った。
 そんな姿を、彼と車内に残ったまま見送る。
「行ったな」
「……ですね」
 ふと顔を合わせたとき、どちらからともなく笑みが浮かんだ。
 たったこれだけのことなのに、本当に本当に……幸せなんだと思える。
 きっと、こう思えることこそが――……本当の幸せ、と定義されているんだろう。
「それじゃ、帰ろうか」
「……はい」
 ぽんぽん、と頭を撫でてくれた彼が、エンジンをかけてからギアを入れた。
 行き先はもちろん……私の家。
 帰るのは、やっぱり寂しいと思う。
 だけど――……。
「……ん?」
「ううんっ。……なんでもないです」
 ぐるっとロータリーを回ってから大通りへ出た彼に、笑みを浮かべて首を振る。
 大丈夫。
 もう――……ひとりで泣いたりしなくて、済むんだから。
 ふっと返してくれた彼の笑みが嬉しくて、心底から穏やかな気持ちになれた。


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