「どうして羽織といるの?」
 彼女に腕を引かれるまま、向かったのは中央広場。
 そこに置かれている白いテーブルに座っての彼女の第1声が、コレだった。
「どうしてって……俺じゃなくて彼女に聞いてくれ」
「だって、羽織から聞いたんでしょ? ……全部」
「……まぁな」
 1度、絵里ちゃんが視線を外した。
 ……この彼女でさえ、口に出すことに抵抗があるのだろうか。
 どうやら、俺に対して“同情”みたいなモノでも抱いてくれているのかもしれない。
「じゃあ、どうして一緒にいるの? 先生が好きになった羽織とは、違ったんでしょ?」
 身を乗り出すようにテーブルへ腕を乗せた彼女とは反対に、椅子へと背を預ける。
 ……正直、彼女のこの言葉に関して、素直な返事が浮かんでこなかった。
 というのは、俺でも自身の気持ちがちゃんとわかってないから。
 俺は今、彼女が嫌いだと言えるだろうか。
 そう考えると、すぐに……『Yes』と即答ができない。
 だけど、『好きか?』と聞かれても……同じように即答できなくて。
「……悩んでるんだ?」
 ふぅん、と意味ありげに相槌を打った彼女に、外した視線を再び向ける。
 ……何もかも、わかってるって顔だな。
 相変わらず整った顔立ちで、今も真剣な顔つきのまま。
 それが、やはり俺には少し違和感があった。
「そういう意味では、特別なのね。やっぱり」
「……何?」
 今度は、彼女がわずかに俺から視線を逸らして呟いた。
 ……特別?
 その言葉の意味が、俺にはわからないい。
「羽織ね、私より……ずっと賢いの」
「……彼女が?」
「そう。昔から、勉強だってできたし、私よりもずっとずっと大人びた考え方してた」
 予想だにしなかった、答え。
 ……いや。
 頭のどこかでは、予想できていたのかもしれないが。
「ああやって男ごとに態度を変えたり、その相手好みの女になりきれる……。あれって、賢くなきゃできないことよ?」
「賢かろうとなんだろうと、人を欺くだけの能力に長けても意味ないだろ」
「……それは、知らないから言えるのよ」
 静かな口調のままで。
 彼女は、まっすぐに俺を見つめた。
「……知らない?」
「そういうことは、羽織がこれまでどんなふうに生きてきたか知らないから言えるの」
 なんとも意味深な言葉に、思わず眉が寄る。
 ……確かに、俺は彼女のことを知らない。
 これまでの間、彼女がどれだけの人間に接して、どれだけのことをしてきたのかも……何もかも。
 だけど、そんなにすごいことなのか?
 たとえそれがどんなモノであろうとも、18の少女をあそこまで変えてしまうような人生なんて…… 壮絶としか言いようがないんじゃないだろうか。
 目の前の彼女の表情と口調から、そんなことが頭をよぎる。
「羽織にとって、先生は特別なのよ」
「どうしてそう言い切れる?」
「これまでずっと、私は羽織と一緒にいたから。……だから、それが根拠」
 再び出た、『特別』という言葉。
 確かに、彼女はこれまでの間ずっと羽織ちゃんを見てきた“幼馴染”だ。
 きっとほかの人間が知らないようなことも知っているだろう。
 ……それは、わかる。
 それはわかるが……。
「……ほかにも、そう言える男なんて幾らでもいたんじゃないのか?」
 頬杖を付いて視線を下げると、自然にため息交じりの言葉になった。
 ――……が。
「……なんだよ」
「先生、羽織のこと本当にちゃんと見てきた?」
 小さく笑われたかと思うと、鋭い言葉で突かれた。
「……見てきたつもりだ」
「つもり、じゃダメなのよ。……ちゃんと羽織のこと、わかってくれてると思ったのに」
 少し呆れたかのように視線を逸らすと、彼女が今度はため息をついた。
 ……その言葉が、なんとも意味深で。
 確かに俺は、彼女を知らないことのほうが多いかもしれない。
 だけど、彼女と一緒にいられた間は、いろいろ知っていると思っていた。
 自己満足程度かもしれない。
 ……でも、それでも胸を張ってこれまではそう言えた。

「あの子が、こんなふうに自分自身を見せるなんて……初めてなのよ?」

 さらりと言われた、こと。
 それで、瞳が丸くなる。
「これまで、絶対に男にあんな姿見せなかった。なのに、羽織はバレたってわかって開き直ったでしょ? ……それでまず、私はびっくりしたの」
「……けどそれは……たまたまとか、気まぐれとかなんじゃないのか?」
「違う。そんな簡単なモンじゃないわ。だいたい、そんなふうにリスクわざわざ負う必要ないでしょ? 騙されてたってわかったら、誰だっていい顔しないんだから。そんな人間と一緒にいたって、自分が傷つくだけじゃない」
 正論だ。
 現に、俺だって『騙された』と知ってから、彼女に対して笑みは出ないし……プラスな感情は抱けていないから。
 ……だけど、彼女が俺と一緒にいたがる理由はある。
 それがあるから、絵里ちゃんの言い分にプラスの感情なんて出てこなかった。
「なのに、こうして今も先生と一緒にいる。……あの子がそんなことするなんて、信じられない」
「彼女は、『俺』じゃなくて『俺の家』が目当てらしいけどな」
「まさか! あの子は、金銭に(とら)われるような子じゃないわ」
「それこそ、まさかだろ。それじゃあどうして俺に固執する? 彼女に対していい感情なんてもう……持ち合わせてない俺に」
「それは……わからないけど」
 互いに、視線が落ちる。
 ……そして、沈黙。
 彼女にわからないことが、俺にわかるはずないだろう。
 俺にはもう、十分に理解しようという前向きな気持ちが、正直言ってないんだから。
 ……以前までとは違う。
 あの、彼女が愛しくてすべてを欲しい……と思っていた、あのころとは。
「でも……でもね? あの子、先生と会ってから……びっくりするくらい変わったの」
 まるで何かを思い出したように、彼女が顔を上げた。
「……それだけは確かよ?」
 まっすぐに瞳を見て言われ、何も言えなくなる。
 ……そんなこと言われてもな。
「…………俺にどうしろって言うんだ?」
 そこで久しぶりに、笑みが出た。
 ただし――……酷く乾いた、自嘲気味なモノだったが。


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