「ッ……!」
「そうだ。俺は知らなかったよ。……何ひとつ、俺が知ってることはなかった」
 ぐいっと腕を掴み、顔を近づける。
 ……驚いた顔は、同じなんだな。
 いつもの彼女らしい、困ったようなモノと。
「だけど、少し前のことなら全部言える」
 心が揺れる。
 どうしたって顔は彼女のままで。
 困ったような顔で、不安げに揺れる瞳を向けられれば、当然そうなる。
 ……彼女は、彼女なんだ。
 たとえ演じていたとしても、嘘で塗り固められたものだとしても……それでも変わらずに。
 ぐっと出かけた言葉を飲み込み、1度瞳を閉じてから――……再び彼女を見つめる。
 俺がこれまで知って、覚えて、刻んだ彼女を教えてやるために。
「人一倍感受性が強くて、人の痛みも喜びも同じように受け止めてやれる子で、人が泣いてれば一緒に泣けるくらいお人よしで、素直すぎて、人を疑わなくて……ッ! 心底……心底、人を想ってやれる子で……!」
 言えば言うほど、語気が荒くなる。
 ……だけど、止まらない。
 もしかしたら、今彼女が目の前で泣き出しても……俺はやめてやることができないかもしれない。
「人のことばかり考えて、自分はいつだって二の次で……ッ……!」
 俺がこれまで愛した彼女を表すだけの言葉は、幾らでもあるのに。
 ……なのに、うまく出てこない。
 気持ちだけが先走って、どうしても――……言葉が詰まる。
「っ!」
「………これもそうだ」
 眉を寄せたままで彼女を引き寄せ、その髪に触れる。
 ……同じ感触。
 そして漂う、俺と同じ匂い。
「…………」
 思わず俯いて彼女へもたれると、なんとも言えない気持ちでいっぱいになった。
 ……ずっと、変わらずにあるモンだと思ってた。
 それなのに。
「ンでだよ……」
 ギリっと奥歯が鈍く鳴ると同時に、たまらず瞳が閉じた。

 ――……どうして気付いてやれなかったんだろう。

 彼女が自分を出せなかった理由は、当然俺にもあって。
 ……彼女にとって、『みんなと同じ』としか思わせることができなかった自分が、酷く情けなかった。
 救ってやることができたかもしれないのに。
 彼女に、感情を押し込めるなんてことさせずに、楽にしてやることができたかもしれないのに。
「くそ……ッ…!」
 ……むしろ俺だけは、そうしてやらなきゃいけなかったのに。
「髪も、温もりも……笑顔も、声も」
「っ……」
 眉を寄せてまっすぐ俺を見つめたままの彼女へ顔を寄せ、箇所箇所に触れる。
 そのたびに、ほんの少し前まで見せてくれていた表情が浮かんで……切なくなった。
「……ッ……」
 揺れる瞳で見つめられて、情けなくも目の前が霞む。
 そして、それに気付いた彼女が――……やはり、視線を逸らした。

「頑固で、絶対に譲らないモノ持ってて。……かと思えば、情に流されやすくて」

 『羽織にとって先生は、特別な人なんだと思う』

「……ほうっておけないくらいまっすぐで、純粋で……全部信じてくれて」

 『羽織にとっての、ちゃんとした居場所が見つかったんだなって、安心した』


「……俺は、そういうひとつひとつを好きになったんだ……!」

 掻き抱くように彼女を抱きしめ、肩口で呟く。
 ……瞬時に伝わってくる温もりが、つらくて。切なくて。
 だけど、俺にとっての彼女がここにいるから、それが安心できてもいた。
「どうして言わなかったんだよ。……俺が嫌いになるとでも思ったか……?」
「……ったじゃない……」
「…………何?」
「なったじゃない! 本当のこと知ったら、態度変えたクセに!!」
 胸を押されて身体を離すと、瞳を潤ませた彼女が首を振った。
 ……そんな顔するな。
 俺のせいなのに、我侭だからそう思う。
 だけど――……。
「……本当にそう思うか?」
「え……?」
「俺が態度変えたのは、本当の自分見せ付けられたからだと本気で思ってるのか?」
 瞳が細くなる。
 と同時に、彼女が口をつぐんで俯いた。
 ……だけど、彼女は知ってるはずなんだ。
 いくら演じていたとしても、俺のそばにずっといた彼女ならば絶対に。
「全部信じてた人間に裏切られることがどういうことか……!! どういう気持ちか、わかるか!?」
「ッ…!」
「俺のことどれだけ蔑んでんだよ……! そんなに、俺が信じられなかったのか!?」
「や……っ!」
 ぐいっと手首を掴み、顎を取って無理矢理に視線を合わせる。
 ――……途端。
「ッ……」
 ぼろぼろっと、彼女の瞳から涙が溢れた。
「……な……」
 思いもしなかった。
 ……彼女が、こんなふうに涙を流すなんて。
 だからこそ、昂ぶっていた感情が一気に落ち着く。
 ……荒く彼女を掴んだ手からも、自然に力が抜けた。
「…………なんで泣いてんだよ……」
「てない……」
「……何?」
「泣いてないっ……!」
 俯いたまま首を振った彼女の肩が、微かに揺れている。
 ……強がっているのは、誰が見ても明らか。
 それは彼女自身わかっているはずなのに、未だに崩そうとしない。
 それが、悔しい。
 ここにまできてもまだ、繕おうとする姿が。
「……ッ……!」
「俺の前で強がるなって言っただろ」
 腕を伸ばし、改めて彼女を抱き寄せる。
 ……華奢な身体。
 いつもと同じ、感触。
 それが、やけに鋭く伝わってきた。


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