やけに眩しい中、目が覚めた。
 ……朝。
 ふと目を開けると、ぼんやりとしたものながらもそれを捉えることができた。
 カーテンの隙間から漏れた光は、相変わらず人のことを容赦なく起こしてくれる。
 どうやって眠ったのかも、どうやってベッドに入ったのかもわからない、昨夜。
 精神的にもぼろぼろになって、酷く疲れたせいだろう。
 ……こうして目が覚めた朝、隣に彼女がいてくれればどれだけいいか。
 いつも、朝は彼女より早く起きたかった。
 いつも、夜は彼女より遅く眠りたかった。
 その顔を眺める時間が、少しでも多く欲しかったから。
 俺にとって、彼女がすべてと言っても過言じゃないくらいだった。
「……はぁ」
 寝返りを打ち、腕を伸ばす。
 ……いつもは、こんなふうに寝返れないのにな。
 それどころか、独りなんかで目を覚めたりしたら……えらく不機嫌になるのに。
 今は、願ってもない状況だ。
 ……今日が土曜日で本当によかった。
 どうやら、そういう意味では神ってヤツも最後に計らってくれたようだ。
「…………」
 しかし、起きて分かったんだが……冬だというのに汗をびっしょりとかいていた。
 ヤな汗だ。
 まるで悪夢でも見ていたように、身体にまとわり付いて離れない。
 上着の袖をまくり、身体を起こしてリビングへ向かうためにフローリングへ足をつく。
「……っ……」
 足を下ろすと同時に、思わず眉が寄った。
 ……この冷たさは、相変わらずらしい。
「風邪引いちゃいますよ?」
「ッ……!?」
 聞こえた声で正面を見ると、そこにはいつもと変わらぬ彼女の姿があった。
 嘘だろ……?
「……な、んで……」
「なんでって……何がですか?」
 きょとんとした顔に、思わず眉が寄る。
 ……今さら、それはないだろ。
 まるで何もなかったかのように。
 まるで何も知らないように。
 そんな表情で、何も変わっていない苦笑を浮かべながら、彼女がこちらに歩いてきた。
「先生、珍しくよく寝てましたね。……それに、ちょっとうなされてたし……」
「……うなされてた……?」
「うん。どうしたんですか? 何か悪い夢でも見てたとか?」
 ベッドに腰かけたまま彼女を見上げると、眉を寄せて隣に座った。
 ……夢……?
 いや、そんなはずない。
 あれだけリアルに落ち込むなんてこと、夢であるわけがないだろう。
 ……だけど。
「……? どうしたんですか?」
 まばたきをしてからこちらを見る彼女は、いつもと何も変わっていなかった。
 むしろ、あの、学校で対峙したときのような妙な雰囲気はまったくない。
 ……じゃあ……ホントに……?
「もぅ。どうしたんですか? そんな顔して」
「……いや、なんか……さ。すごく嫌な夢を見たんだ」
「夢?」
「ああ」
 ため息混じりに呟くと、少し首をかしげながら顔を覗きこんだ。
 ……その顔は、やっぱりいつもの彼女。
 それで、身体から力が抜ける。
「珍しいですね、先生が夢見るなんて。どんな夢見たの?」
「……それがさ。羽織ちゃんが、なんか……とんでもない子になってて、俺を騙してるっつー夢」
「えぇ!? なんですかそれは!!」
「いや、だから夢だって。ごめん」
「……夢でも、いい気はしませんよぉ……」
 眉を寄せて心底嫌そうな顔を見せた彼女に、ようやく笑みが漏れた。
 ぽんぽんと軽く頭を撫でながら首を振り、その髪をすくいながら続けてやる。
 ……ああ。
 この手触りは、確かにホンモノ。
 ようやく、安心できた気がする。
「しかし、妙にリアルな夢だったな……。かなり、ヘコんだ」
「先生が?」
「……なんだよ。それだけ、ショックだったんだぞ? あんなふうに言われて……」
 思い出すだけでも、ぞっとする。
 ったく……。
 悪い夢なんだから、とっとと覚めてくれりゃいいものを。
 ……あー。なんか、腹立ってきた。
 何も、あんな夢見ることないだろ。
 ……って怒っても、まぁ、俺が悪いんだろうけど。
 すると、こちらを見ていた彼女が苦笑を浮かべて腕を伸ばしてきた。
「もう大丈夫ですよ。……ね?」
 まるで子どもをあやすかのように頭を撫でられ、思わず――……と、まぁ。
 いつもならば、怒るんだよここで。
 でも、今日は……まぁいいか。
 素直に甘んじて受けよう。うん。
「……もぅ。しょうがないなぁ」
「しょうがないとか言わない」
「だって、そうじゃないですか」
「そうは言うけどな……ショックだったんだぞ? 俺は」
 眉を寄せて反論するも、くすくすと笑ってなんだか真剣に聞いてもらえてない気がする。
 ……ったく。
 俺がどれだけ大変だったかも知らないで。

「でも、だからって何も夢でまで見ることないじゃないですか」

 ……何……?
 相変わらず髪を撫でている、彼女の手。
 だが、今の声は……少し違っていた。
 ……嘘だろ?
 そんなのって……ないよな。
「……何?」
 眉を寄せて彼女を見る。
 だけど、やっぱりその顔はいつもの彼女で――……。

「そんなにショックだったの? センセイ」

 くすっという笑い声とともに上がった口角。
 その顔は。
 そこにあったのは。
 ――……紛れもなく、俺が夢だと思っていた彼女の顔だった。
「っな……!?」
「よっぽどショックだったのね。……ごめんなさいって言ったら、救われる?」
 平然とした、顔と態度。
 先ほどまでの彼女の顔など、微塵もない。
「どうしてここに……!」
「だって、鍵持ってるもん」
 慌てて立ち上がり、彼女から距離をとる。
 だが、彼女は座ったまま悪びれもせず、鍵を上げて見せた。
「そうじゃないだろ!? 昨日、ああ言って――」
「そうだけど、よくよく考えてみたら……先生って、先生じゃなくなってもメリットあるから」
「……何……?」
 あくまでも、普通に言っているつもりのようだ。
 彼女の顔には、迷いも躊躇いも感じることはなかった。
「だって、そうでしょ? 瀬尋製薬の跡取り息子だもんね」
「……関係ない。俺は会社を継ぐ気なんて、これっぽっちもない」
「あなたの意見は関係ないのよ」
「っ……なんだと……?」
 眉が寄ると同時に、言葉へ力がこもる。
 だが、彼女は微動だにしなかった。
「継ぐ継がないの問題じゃないの。継ぐのよ。……誰がなんと言おうとね」
 したたかな女の顔。
 それしか、この彼女にはなかった。
 彼女、という言葉も今となっては似つかわしくない。
 ……なぜならば。
 今目の前にいるのは、紛れもなく『ひとりの女』だったから。


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