「先生、羽織に手ぇ出してたでしょ」
 ファミレスから学校に戻るまでの道程で、絵里ちゃんに言われた。
 ……鋭いな。
 とは思うものの、あっけらかんと首を振る。
「まさか。俺はそこまで意地悪じゃないって」
「うっそ。だって、羽織涙目だったじゃない」
 さすがに長年の付き合いだけあって、見ているところはよく見ている。
 あの瞳を見逃さなかった彼女に、さすがに観念した。
「ちょっとだけね」
「……もー。あんまり羽織のこと、からかわないであげてよね。あの子、本気で悩むわよ?」
「精進するよ」
「とか言いながら、またやるでしょ」
「まさか」
 そのときになってみないと、俺としてもなんとも言えない。
 などと思いながらも口では適当なことを言って首を横に振ると、くすくすと同じように彼女も笑った。
 でも、しょうがないだろ?
 あれだけ期待通りというか、それ以上というかの反応をされると、やりたくなるんだよ。
 ……酒が飲めるようになったら、個室の居酒屋でも連れていくか。
 などと考えながら準備室のドアを開ける――……と、そこに彼女の姿はなかった。
 同じように実験室を覗いてみるものの、そこも空っぽ。
「……あれ?」
 ドアを閉めながら小さく漏らすと、絵里ちゃんが渋い顔を見せた。
「何か知ってる?」
「ん? ……んー……そのうちくるわよ」
 どうも歯切れが悪い。
 ほかの部員の面々は、ファミレスからそのまま家へと帰って行った。
 だからこそ、気兼ねなく彼女の話ができる、今。
 なのに彼女が口ごもる理由が、見当たらないしわからない。
「……なんだよ。何か知ってるんだろ?」
「まあ、その…………ね」
 眉を寄せて彼女を見つめると、困ったように視線を外した。
 机に置いてある器材を弄りなが苦笑し、手持ち無沙汰を解消でもしようとしているのか、ぐるぐる歩き回る。
 だが、しばらく見つめたままでいたら、観念したかのように小さくため息をついた。
「あのね。今、羽織――……」
 彼女がまっすぐ俺を見た次の瞬間。
 俺が思ってもいない言葉が出てきた。

 初めに断っておくが、別に、出歯亀どうのというワケじゃない。
 だが、やっぱり気にもなるし、いい気はしない。
 男だろうと女だろうと、性別は関係なく。
「…………っ」
 渡り廊下を渡って体育館へ向かってから、中には入らずに広い犬走りを通って体育館の裏手を目指す。

 『羽織、呼び出されたの』

 普通、呼び出されたと聞けば、大抵の人間は悪いことを想像するだろう。
 無論自分とて例外ではなく、一瞬嫌な考えが頭をよぎった。
 彼女の人柄からして、誰かに恨まれるようなことは考えられないのだが、人はわからないし。
 ――……だが、絵里ちゃんが告げたのは自分が考えている以上の事態だった。
「……冗談じゃないぞ」
 本当にそういうことが起きているというのが、まだ信じられない。
 冗談半分に言っていたことが、実際に起ころうとは。
 『手紙からすると、告られるみたいよ』
 それを聞いた途端、血の気と笑みが引いた。
 ……絵里ちゃんじゃなく、あの、彼女が?
 告白って……ちょっと待て。
 共学でもないのに、どういうことだ。
「ったく……!」
 走りそうになる気持ちを抑えながら、なるべく足音を響かせないように進む。
 何度目かわからないため息をついて角にさしかか――……ったところで、ぼそぼそと話し声が耳に入った。
 音こそ小さいが、間違いなく彼女の声。
 もうひとりの声には、聞き覚えはなかった。
「……ごめんね。あの、私……彼氏がいるから」
 よもや、その彼氏が聞いているなど思うまい。
 ……そう。
 たとえ同性であれ、自分の彼女が告白されると聞いたらいい気分しないだろう。
 壁にもたれながら身を潜めていると、諦めたような相手の声が聞こえた。
 だが、何を言っているかまでは聞こえず、彼女の申し訳なさそうな声が続く。
「ううんっ。あの、気にしないで。……その、慣れてるっていうか……」
 おいおいおい。
 慣れてるってどういうことだ。
 ……そんなにしょっちゅう告白されてるのか?
 そもそも、そういうのは絵里ちゃんの担当だろうに。
 などと勝手なことを考えていると、ようやくあちらのやりとりが終わったようで、反対方向へと足音が小さくなっていった。
「うん。それじゃあ、また……ね」
 そもそも、どうして断る側がそんなに申し訳なさそうなんだ。
 相変わらず、人がよすぎだ。
 普通に考えたら、同性に告白してOKをもらえるなんていう非日常イベントは、成功率が極めて低いというのに。
 ため息をついてから顔だけで角から覗くと、こちらに背を向けてため息をついているらしき彼女の姿がすぐそこに見えた。
「……やらしーんだ」
「っ!!?」
 びくっと身体を震わせて弾かれるように振り返った彼女は、心底驚いていた。
 くすくす笑いながら姿を見せると、気まずそうに声を漏らしてなぜか一歩あとずさる。
「……聞いてたんですか?」
「聞こえたんだよ」
 都合のいい返事をすると、それはそれはバツの悪そうな顔をした。
 まぁ、それは正解の反応だ。
 彼女ならば、にこにこ笑って『バレちゃうなんてっ! てへ』とかしない。
「……もぅ。人の告白盗み聞きなんて、よくないですよ?」
「誰かさんも、そうやって盗み聞きしてたろ?」
「……ぅ」
 平然と背を伸ばしたまま瞳を細めると、居心地悪そうに視線を落とした。
 クラスメイトの中野綾乃が俺に告白しているところを盗み聞きしてたのは、どこのどいつだ。
 あのときは、まさかこんなふうに付き合うようになるとは思ってもいなかったんだよな。
 そう考えると、少し不思議な感じだ。
 確かに、彼女はかわいいと思う。
 性格だって素直で明るくて、場の雰囲気を読んでくる。
 だからこそ、まぁ、同性に好かれるというのもわかるのだが……まさか、告白されるなんてね。
 これはこれは、なかなか面白い――……いや、複雑なレベルアップと言えようか。
「……だって、しょうがないじゃないですか」
「別に何も言ってないけど?」
「っ…………だって」
 コンクリートの壁へもたれると、同じように彼女も背を預けた。
 すっかり冬服姿が見慣れた、彼女。
 だが、相変わらずスカートは短い。
 別に彼女だけが特別短いわけではないのだが、こう……1週間、キスはおろか触れることすらできないとなると、どうしたって目は行ってしまう。
 それが、自分にとって挑発的な格好であれば、あるだけに。
「っ……もぅ! 先生っ」
「スカート短いんだよ」
「こ……これはっ……だって、私だけじゃないし」
「そうだけど。……ンな格好してるから、俺が手を出すんだぞ?」
「えぇ!?」
 壁と俺との間に挟むようにして見下ろすと、困ったように眉を寄せて上目遣いで俺を見上げた。
 ……ったく。
 この顔は、やっぱり犯罪だろ。
 無意識にしている表情だからこそ、本人に誘っている自覚がないわけで、軽犯罪くらいには相当しそうなものを。
「……そんな顔してるから、告白されるんだよ」
「え? そんな顔って……」
 きょとん、とした顔ながらも、つい手を出したくなる。
 うっすらと開いた唇。
 くりっとして、少し潤んだ瞳。
 そんな無防備な顔で上目遣いに見上げられて平気な男なんて、そうそういないだろう。
 ここが女子校じゃなくて共学の学校だったならば、きっと自分は彼女を学校に行かせることすら拒んだはずだ。
「ん……っ」かい  つ……と指先で頬を撫でると、形いい唇をきゅっと結んだ。
 相変わらずの、自分好みの反応。
 髪を撫でるように手のひらを這わせると、軽く首を振る。
 まるで、この先何が起こるか察知したかのように。
「ん?」
「……学校ですよ?」
「知ってるけど?」
「っ……じゃあ、なおさら! キスなんて……ダメだもん……」
「……誰がキスするって言ったんだよ」
「え」
 眉を寄せて彼女を見ると、ぱちぱちとまばたいてから目を見張った。
 ……ほほぅ。
 今のでそう捉えたか。
 君も随分、俺という男を理解してきたモンだと拍手してやりたいところだが、今は敢えてその気持ちをねじ伏せる。
「なんだ。キスしてほしいの?」
「ち、ちがっ……! だって! 先生、いつもこうして……っ」
 慌てたように頬を染めて口ごもると、その場で俯いた。
 確かに、いつものパターン。
 こうして頬に触れてから、しっかりと彼女を味わう。
 ………よくわかってるじゃないか。
 にやっといたずらっぽく笑うと、困ったように視線を上げた。
「先生って、私が困るの……楽しんでます?」
「何?」
「だって、さっきもそうだけど……。なんか、すごく楽しそうっていうか。もしかして、わざとですか?」
 思いもしなかった問いにいぶかると、壁にもたれたままため息が漏れた。
 わざと、ね。
 これはこれは、俺に対して正当じゃない評価を下してくれるものだ。
「別に、困らせるのが好きなわけじゃないけど」
「じゃあ、どうしてあんなこと……したの?」
「あんなこと? ……あぁ、アレか。いや、隣に座ったから」
「……え」
 さらりと当たり前のように答えると、不服そうに唇を尖らせた。
 その顔は、まるで『信じられない』とでも言わんばかりのモノだ。
「だ、だって! 先生が隣に座れって言ったんでしょ!」
「言ってないだろ? 俺は目で訴えただけ」
「……それは、言ってる内に入るのっ」
「そう?」
 あっさり肩をすくめてみると、身体から力を抜けたようで瞳を伏せた。
 いかにも呆れてるいうのが、よくわかる反応。
「……何? ヤなの?」
「ヤダ」
「珍しいな。あっさり肯定なんて」
「だって! もし、みんなに見つかってたらどうするんですか?」
「そのときはそのとき」
「……もぉ……。先生、懲戒免職だけじゃ済まないですよ?」
 何を言い出すのかと思いきや、まさかの俺の心配とは。
 相変わらず、君はいつだって自分のことを後回しなんだな。
 ……って、それは俺も同じだけど。
 少なくとも、彼女に関することだけは。
「……そんなことになったら、私……困ります」
「別に、教師っていう職業に固執するつもりはないけどね。職なんてほかにいくらでもあるだろ?」
「そうかもしれないですけど、でも、そんな――……」
「羽織ちゃんが、そばにいてくれればそれだけで十分だけど? 俺は」
「っ……」
 にっと笑って髪を撫でると、一瞬瞳を丸くしてからうっすらと笑みを浮かべた。
 相変わらず、優しく笑う。
 『もぅ』と言いながらも俺をちゃんと許容してくれてるときの顔だ。
「私、そんなに大した人間じゃないですよ?」
「とんでもない。俺にとって最重要人物」
「……そうかな」
「そうだよ」
 くすくす笑いながら頬を撫で、再び顔を近づける。
 すると、今度は抵抗がなかった。
 ゆっくりと唇を重ねれば、あっさり瞳を閉じる。
 ……素直だね。
 そういうところ好きだよ。
 いつも口に出さない言葉だが、だからこそ敢えて言ってやるのもいいかもしれない。
 そうしたとき、彼女はどんな反応をするだろうか。
 困ったように笑うか、はたまたそれはそれは嬉しそうに微笑むか。
 ……そのどっちでも大歓迎。
 俺だけに見せてくれる表情に、何も変わりはない。
「……ん」
 ひんやりとした壁の感触が、左の手のひらに伝わる。
 そのまま彼女を挟むように口づけを何度か落とすと、時おり甘い声を聞かせてくれた。


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