雪が降った。
 一面、どこを見ても白い世界。
 家の屋根も、道も、地も。
 すべてが覆われていて、きらきらと光っている。
「……久しぶりじゃない? こんなに降ったのって」
「でしょうね。記憶にないっすもん」
 窓枠にもたれたまま眺めていたら、缶コーヒーを片手に純也さんが隣へ来た。
 あたたかい空気があるこことは違い、いくら晴れていても、窓を開ければ冷たい空気がそこにある。
 日が降り注いでいるとはいえ、この積雪量。
 軽く20cmは越しているから、恐らくそう簡単に溶けるとも思えない。
「昔はさ、よく授業潰して雪合戦とかしたよなー」
「やりましたね」
 笑いながらコーヒーを飲む彼に、同じくうなずく。
 中学……くらいまでだったか。
 体育の時間に、雪で遊ぶことができたのも。
 さすがに高校になってからは、わざわざ雪に触れようとも思わなくなっていたが……不思議なもので、今になると触ってみたくなる。
 不意に。
「……うわ。寒っ」
「さむ! ……ひー…俺はもう若くない」
「何言ってんすか」
 窓の外枠へ、雪が積もっていた。
 それを見てから窓を開けた途端、両肩を抱きしめた純也さんがすかさずヒーターを占領する。
 ……う。
 雪に触れたら、なんとも言えない冷たさが芯まで来た。
「……つめてー……」
 ぎゅっと握ると、さほど重たくない雪玉ができあがる。
 さらさらしている雪質のせいか、固まらずに崩れそうなモノ。
「…………」
 ……を、試しにそのまま落としてみる。
 本来なら、そこは教員用駐車場。
 だが、今日が日曜ということもあってか、そこに車はなかった。

 ぽす

 聞こえるか聞こえないかという、小さな音。
 眺めていたら、そのまま小さな穴が開いた。
「…………」
 なんとなく、満足。
 ……あー。
 俺ってもしかしなくても、やっぱり単純なんだな。
「満足?」
「え?」
 窓を閉めて鍵を閉めると同時に、純也さんが声をかけてきた。
「…………」
「…………」
「……そ……んなに寒かったっすか?」
「寒い」
 ヒーターにべったりと張り付くようにしゃがんでいる姿を見て、瞳が丸くなった。
 ……と同時に、若干申し訳なさが……。
「……すみません」
「いいんだ。……そうだよな、祐恭君はまだ若いもんな」
「いや、そういうわけじゃ……」
「そーかそーか。俺にアピりたかったのか。そうか。よくわかった」
「いやっ……! それはまずないですって!」
 遠くを見たままため息をつかれ、慌てて首と手を振る。
 だが彼は、相変わらず一向にこちらへ向き直ってくれそうになかった。
「いや、あの。ホントにそういうわけじゃなくて、ただ……ええと、なんつーか……その……」
 彼に歩み寄り、しどろもどろに言葉を探す。
 対照的に、聞いているんだかいないんだか、判断の難しいあたりにいる彼。
 ……そりゃ、彼が本気で言ってるんじゃないってのはわかってるんだが。
 だからと言って、内容的に笑い飛ばせなかった。
「えー……と。純也さん? その――」

 ドンッ

「うわ!」
「っ……な……!?」
 いきなり、窓に何かがぶつかった。
 激しい衝撃音と震動で、窓がビリビリと震えている。
「……な……んだ……!?」
 まじまじとそちらを見ながら、ゆっくり――……窓へ近づく。
 が、しかし。
 そうするまでもなく、今自分が開けていたその窓に、雪が付着しているのがわかった。
「……なんで雪が……」
 眉を寄せたまま窓へ近づき、外を見る。
 だが、さすがに見える範囲は限られているので、何がなんだか正直わからないままだ。
「…………あ……?」
 そんなときだった。
 少し離れた窓から俺と同じように外を見ていた彼が、声をあげたのは。
「……え?」
「いや、ほら。あそこ」
 窓に指を当てて示されたほうへ視線を向け、様子を伺う。
 ――……と、そのとき。
 急に、甲高い声が聞こえた。
「……な……」
 人影が現れる。
 それはくるくるとあたりを走り回り、かつ、声を上げながら何かを手にしていた。
「……っ……ふたりとも!?」
 確かに、目に入った姿。
 慌てて窓を開けて身を乗り出すと、声が一層大きくはっきりと聞こえた。
「ちょっ……何してんの……!?」
 わずか、数メートル下の地面。
 先ほどまでは人影はおろか、人の踏み跡すらなかった場所。
 だが今では、数分も経っていないにもかかわらず、多くの足跡と同時にあるはずのない人がいた。
「見ればわかるでしょー! 雪合戦よ、雪合戦!!」
 にやりと笑った絵里ちゃんは、このクソ寒い外気にもかかわらず、相変わらずの短いスカートという制服姿。
 ぐるぐると首にマフラーが巻かれてはいるが、とても暖かそうには見えない。
 ……そして。
「えへへ」
「……えへへじゃない」
 そんな彼女の隣で、にこにこと満面の笑みを浮かべながら、雪玉を握っている少女。
 その子もまた、寒そうないでたちで雪の中に立っていた。
「終わったんです」
「……え?」
「そーよ! 終わったの!!」
 にっこり笑って告げられた、言葉。
 しかもその顔は、どこか自慢げで。
「…………」
「…………」
 思わず、すぐ隣で覗き込んできた純也さんと、顔を合わせていた。

「受験、終わりました……!」

 再び、彼女たちへ顔を戻したとき。
 それはそれは心底嬉しそうで……心底ほっとしたように。
 最愛の彼女が、俺をまっすぐに見つめた。
「試験、やってきました」
「……そっか……。もう昼だもんな」
「はい」
 腕時計を見ると、すでに13時近く。
 こんな天気にもかかわらず、時間をずらして行われていた入試も無事に終わったらしい。
 ……そうか。
 改めて彼女に向き直ると、笑みが浮かぶ。
「これまで……ずっとがんばってきたから」
「うん」

「だから、今日で1度終わりにします!」

「……え……?」
「今日から、遊ぶことに決めたのっ!」
「ねー!」
 言い終えるなり、彼女は持っていた雪玉を絵里ちゃんに向かって下から放った。
 まるでそれが合図だったかのように、絵里ちゃんもまた雪玉を握って投げる。
「うっはは! つめたーい!!」
「あはは!」
 息を切らせながらの雪合戦が始まった。
 これまで、ずっとずっと長い間がんばってきた彼女たち。
 春からの新しいスタートのため、掲げた目標を目指してずっと走ってきた。
 ……そりゃ、一気に力も抜けるよな。
 荷が下りたんだ。
 遊びたくなる気持ちは、痛いほどわかる。
「……え?」
「お疲れさま」
「あ……」
 改めて覗き込んだ瞬間、彼女と目が合った。
 顔にあるのは、もちろん嬉しくてたまらないといった表情で。
 ……よかったな。
 解放されて喜んでいる姿を見るのは、やはりこちらも嬉しい。
「ありがとうございます」
 雪を握りながら、心底微笑んでくれた。
 それを見て、また嬉しく思う。
 ……終わった、んだ。
 彼女のやるべき仕事が。
 これまでずっと背負ってきたものが。
「……元気だな」
「ですね」
 窓へもたれると、同じように彼女たちを見ていた純也さんが、腕を組んだまま笑った。
 だが、彼も当然わかってるんだろう。
 受験という言葉で縛られてきた彼女を持つのは、お互い同じなんだから。
「でも、学校とはいえ休日に忍び込んでくるってのは、どーかと思うけどな」
「…………それもそうっすね」
 彼に言われて、改めて気付く。
 ……それもそうだな。
 本来、今日は日曜なので、普通に正門は閉まっていたはず。
 いや、まぁ……鍵自体はかかってないので、入ることはもちろんできるんだが。
 それでも、普段ある部活動でさえ、今日の大雪じゃどの部も休み。
 校内にいる教職員だって、数えてみれば片手に満たないかもしれない。
 本当ならば、この俺だってそう。
 今日はもちろん仕事なんてなかったし、家で彼女の連絡でも待ってようかと思ってた。
 だが、先日純也さんが資料作りで仕事に出ると聞いたこともあって、どうせ家にいても……と手伝いを申し出たワケで。
 …………。
「……不法侵入」
「そーゆー(やから)は――……」
 ぽつりと漏れた言葉で、お互い顔を見合わせる。
 答えは、ひとつ。
 やることも、ひとつ。
「……教師として、制裁を加えてやらないといけないよな?」
「ですよね?」
 にっこり笑いながら、互いに腕をまくる。
 雪。
 それは、この部屋の窓枠にも、少し離れたテラスにも、割と沢山積もっている。
 彼女たちまでの距離は、およそ3m。
 ……やるしかない。
「んじゃ」
「……そういうことで」
 窓を開けるべく鍵に手をかけながら、お互い小さくうなずいたのが合図だった。


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