「……っていうか」
「ん?」

「なんで窓全開なの……?」

 暖かな空気、暖かな雰囲気、暖かな空間。
 まさに、あたたか尽くしだったこの部屋……だったのだが。
 それは、つい先ほどまでの話。
 今では、外とほとんど温度の変わらない部屋になっていた。
「ねぇ、羽織」
「うぇ!?」
「……何よ。どうしたの?」
「え。……や……あの、別に……」
 眉を寄せて詰め寄られた彼女が、乾いた笑いから困った顔へと表情を変えた。
 ……で。
「……ん?」
「何? 祐恭先生が何かしたの?」
 当然のように、彼女の視線が俺へすがってくる。
 ……ま、そうだろうな。
 実際、窓を開けたのは俺なんだし。
 ほんのりと赤く染まっているその顔を見れただけでも、まぁ、よしとしよう。
「換気」
「……はぁ?」
「だから、換気だって。換気。午前中ずっと使ってたからさ、たまにはやらないとね」
 眉ひとつ動かさず、淡々とことを述べる。
 別に、これは嘘じゃない。
 口から出任せなんかでもない。
 基本的に、やったのはそれが目的。
 ただ――……なぜ、今なのかと言われると少し困るが。
「化学教師が中毒で倒れた、なんてなったらシャレにならないだろ?」
「……でも、ヒーターよ? ここ」
「そうは言ったって、教室でもやるだろ? 休み時間の、換気」
 さすがは、絵里ちゃん。
 その隣で内心ハラハラしていそうな彼女とは違い、あっさり『なるほど』とはうなずいてくれなかった。
「……まぁ……いいけど」
 口と表情が正反対なんだが、こはいかに。
 なんなんだ、そのジト目は。
 思い切り怪しまれているのがわかるが、もちろん態度に現したりしない。
 証拠は滅する。
 とりあえず、俺たちにとって不利益なモノは。
「そういう絵里ちゃんは、どこ行ってたの?」
 椅子に座りながら、窓を閉めにかかっていた彼女を見る。
 すると、振り返りざまにあっさりと告げられた。
「探検」
「……は?」
「だから、探検よ。探検。校内探検」
 だって、こういうときでもなきゃできないじゃない?
 まるでそう言いたげなほどあっさりした顔で、少し肩をすくめる。
 ……探検、って……。
 言い訳にしては、まるで小学生並。
 だが――……。
「…………」
 疲れ果てたような顔の純也さんを見ていると、あながち嘘には思えない。
 …………。
 ……探検、ねぇ……。
 そりゃまぁ、時間も結構経ってたし、わからないではないけどさ。
「…………」
「…………」
 ……だが、しかし。
 なんなんだ、この先ほどから続いている……彼女の物言いたげな視線は。
 まるで『本当のこと言いなさいよ』と言われているような気がして、どうしても視線が逸らせない。
 ……お互い、腹の探り合い。
 まさに、そんな感じだ。
「羽織ちゃん、コーヒーでも飲む?」
「あ、入れます」
「ん? いや、いいよ。座ってて」
「そんな! やりますよ」
 ――……一方。
 俺と絵里ちゃんの攻防を少し離れた場所から見ていたらしきふたりは、こちらとはまったく雰囲気の異なるやり取りを始めた。
 のんびりと休憩よろしく、少し離れた給湯場から楽しそうなやり取りが聞こえてくる。
「ちょっと。……いいの? 先生。行かなくて」
「……そういう絵里ちゃんはどーなんだよ」
 にじりにじり、とお互い一歩も引かない。
 ……怪しい。
 ホントに探検だけなのか……?
 まったくそうは言っていない、双の瞳。
 それはまさに『悟られるわけには……!』などと言っているように思えて仕方なかった。

「相変わらず、なんか……似た者同士っていうか……」
「…………ですね」
 少し離れた、場所。
 窓から差込んでくる日の光が心地いい壁へもたれると、同じように田代先生もカップに口づけた。
 お盆には、もちろんあとふたり分のカップがある。
 ……だけど。
「もうちょっと見てるか」
「あはは」
 彼の意見に賛成し、うなずきながらカップを傾ける。
 相変わらず、まるで……兄妹というか、双子というか。
 背格好やそのあたりは違うけれど、でも、やっぱり中身や態度は似ている部分が多い。
 ……だからこそ、衝突するのかもしれないけれど。
「…………」
 でも、あんなふうに先生と対せる彼女が、本当は羨ましい。
 だって、私にはできないこと。
 対等になりたいということじゃなくて、あんなふうに本音でぶつかるっていうか、フランクにするっていうか……。
 別に、先生に本音を言えてないってわけでも、もちろんないんだけどね?
 そうじゃなくて、私にはできない姿だからこそ……羨ましいというか。
 なんだか、不思議な気分だ。
「……あのふたり、きっと前世は兄妹だったと思う」
「え?」
「で、多分俺たちも兄妹」
「あはは」
 ぽつりと漏らした彼を見上げると、にっこり笑ってカップをかたむけた。
 その提案は……ちょっぴり賛成かも。
 だって、田代先生って本当にお兄さんみたいなんだもん。
 『お兄ちゃん』じゃなくて『お兄さん』っていうのが、ミソかな。
 ……ふと、どこかでくしゃみをする誰かさんが頭に浮かぶ。
 あ。
 そうしたら、葉月とお兄ちゃんが兄妹……だったりして?
 ……うーん。
 それはそれで、ちょっと面白いかもしれない。
「んで、俺たちとあのふたりは近所の腐れ縁」
「あはは」
 顎でさしながら、彼がなおも続ける。
 ……うん。
 どうしてかわからないけれど、確かに、そんな様子がぽんぽんと頭に浮かんでくる。
 田代先生、もしかして本当にそんな力があるんだろうか。
 ……そう思えるほど、鮮やかに。
「あれ?」
 そんなときだ。
 ふと何かを見つめた彼が、もたれていた壁から離れたのは。
「え?」
「いや……ちょっとね。ここの蓋がズレてたから」
 そう言って彼は、部屋の隅にあるスチールのゴミ箱まで歩いて行った。
 と同時に、足で軽く蹴る。
「……ここ、普段使わないのに」
「……え……?」
 蓋が閉まる、重たい音がした。
 まじまじと見つめてから、戻って来た彼。
 だけど相変わらず、不思議そうに首を捻っていた。
「いや、あれさ。一応実験とかで出た産廃を入れるヤツなんだよね。だから……」
 ――……刹那。
「……え……」
 ときが……ぴたりと、音を立てて止まる。
「…………」
「…………」
「………………」
「………………」
 ち……沈黙が気まずい。
 そして――……その、意味ありげな笑みも。
 いや、あの……あのね?
 別に、祐恭先生とか絵里みたいに、何か……何かこう言いたげな顔をしているわけじゃないんだよ?
 そうじゃないんだけど……なんだかこう、かえってその、何も言わずにほんわかした笑みを向けられていると、ものすごくこう……感じるものがあるというか。
「…………」
 ごくり。
 喉を鳴らしながら、微妙な笑みを浮かべるしかできない自分が情けない。
 ……絵里たちとは、正反対。
 違う意味で気まずくて、何も言葉が出てこないんだもん。
 ど……どうすれば……っ。
 思わず視線が泳いでしまいそうになって、改めて、唇をきゅっと結ぶのが精一杯だった。
「……ま、俺は何も言えないけど」
「え?」
 その沈黙を破ったのは、田代先生が先だった。
 苦笑を浮かべて首を振り、なんでもない、と小さく否定する。
「さて。そろそろ止めに行くか」
「……あ……。そうですね」
 まるで、パンと手をひとつ叩くかのように鮮やかな切り替え。
 一瞬にして、これ以上今の話を続けるような雰囲気じゃなくなった。
 …………田代先生って、すごい人なんじゃ……。
 わずかな行動で場を納めてしまった彼を見ていたら、同じように、いがみ合っていたふたりのこともすんなりとなだめていた。
 …………。
 ……もしかしたら、本当に何か力があるのかも。
「……あ」
 そんなことを考えていたら、3人が私を振り返った。
 ひとりは、待っているかのように。
 ひとりは、不思議そうに。
 そしてひとりは――……語らずとも、何か意味ありげな表情で。
「……えへへ」
 やっぱり私は、この場所が好きなんだな。
 準備室(しか)り、そして……この3人のそば然り。
 居心地のよさを感じて微笑むと、3人もそれぞれ顔を見合わせた。
 ……その様子を見ながら、改めてまた笑みが浮かんだのは……言うまでもないお話。


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