「……は?」
『だから、羽織ちゃんを貸してほしいんだ』
 唐突な申し出に、思わず口が開いたままになる。
 ある日の昼休み。
 珍しく祖父からの電話に出てみると、いきなりそんなことを言われた。
「貸すって……彼女は物じゃない」
『あぁ、だから。羽織ちゃんの手を借りたいんだよ』
 眉をひそめて呟くと、苦笑交じりに訂正してきた。
 ……彼女を? なんでまた。
 第一、じーちゃんが彼女に、というのが正直解せない。
「どうして彼女じゃなきゃ駄目なんだ?」
 もっともな質問だったからか、しばらくしてからため息をついた祖父がまるで諦めたかのように続けた。
『いや、実はな――』
「………は……ぁ?」
 思わず、我が耳を疑った。
 そんな……理由?
 ていうか、そんな話聞いたら――……。
「なおさら、貸すワケにいかない」
『どうしてだ? ……いや、彼女ならちょうどいいだろうと思ったんだが』
「よくあるかっ! だいたい、彼女だけ貸したら相手は誰がやるんだよ!」
『そりゃあもちろん、俺がやる』
「……は?」
『いや、里美に頼んだんだがな。ちょうどその日は親戚のことで用事があるらしくて。それなら、羽織ちゃんが適任だと思ってな』
「いやいや、それはおかしいだろ。だいたい、彼女は俺の――……」
 と、そこである考えが浮かぶ。
 ……確か今度の週末だよな。
 昨日、リビングのカレンダーを確認したときは、何も入ってなかったはず。
「条件のんでくれるなら、考えてやってもいいけど?」
『おお、本当か? で、その条件ってのは、なんだ』
「条件は――」
 思わず、意地悪っぽく笑いが漏れた。
 これをもんでもらえれば、いい思い出作りになる。
 そもそも、じーちゃんが彼女とペアを組むのだけは納得いかない。
 それならば、彼氏である俺のほうがよっぽど適任だ。
『……まぁ、いいだろう』
「よし。なら、文句ない」
 上がった口角のままうなずき、了解の返事をした彼の電話を切る。
 ……よし。
 これからしばらくは、ある意味忙しくなるかもな。
 手始めに、まずは彼女へ説明しておくか。
「……ふ」
 俺の話を聞き終えたあとで驚く彼女の顔が目に浮かび、思わず笑みが漏れる。
 楽しくなりそうだ。
 などとひとり納得してから準備室へ戻る――……と、早速『顔が緩んでる』と純也さんに指摘された。

「……え?」
「ほら、今週末も家にくるだろ? なら、いいかなと思って」
 その日の放課後。
 部活が終わってから、彼女をいつものように教員用実験テーブルに呼んでにっこりと伝える。
 すると、当然ながら一瞬何を言われたのかわからないように、眉を寄せてまばたいた。
 ……この顔は、意味わかってないな、絶対。
「えーと……え? 何を……するんですか?」
「だから、模擬結婚式。それの、新婦役」
「………で、もっ……え? だって、なんで私が?」
「いや、じーちゃんが指名してきたんだけどさ。新郎役がじーちゃんより、いいだろ?」
「じゃあ、新郎は?」
「もちろん、俺だけど」
「…………えぇーー!!?」
「……今ごろか」
 いきなりの大声に思わずため息をつくと、彼女が慌てて口元を押さえた。
 とはいえ、もう部員なんてほとんど残ってはいない。
「ど……どうして? え? なんで? なんで、私が……」
「駄目? それなら、断るけど」
「えぇっ!? う、ううんっ、着たい! 着たいです! ぜひ!!」
 頬杖をついて視線を逸らすと、慌てたように首を振った。
 ……相変わらず、わかりやすくて楽しい。
「ん。それじゃあ、今週末付き合ってね」
「はいっ」
 にっこり微笑むと、少し照れたように彼女が笑みを浮かべてうなずいた。
 これで、こっちは済んだ、と。
 あとは、いろいろと細々したモノ……だな。
 連絡は、スマフォへくることになっている
 ……急遽ながらも、結構楽しくなりそうだな。
 嬉しそうに笑う彼女を見ながら、いつしか週末へと思いを馳せていた。

 祖父からの電話は、今週末に茅ヶ崎にあるロメリア国際ホテルで行われる模擬結婚式の、新婦役を彼女に頼みたいというモノだった。
 とはいえ、さすがに彼女だけを差し出すつもりはなかったので、『新郎役が俺だったら頼んでやってもいい』、と告げたのだが……意外にもあっさり、承諾したんだよな。
 ……もしかして、最初からそのつもりだったんじゃないかとも今になれば思うんだが、まぁいいか。
 模擬結婚式というのは、近々挙式を予定しているカップルのために行われる、予行練習のような物だ。
 これで式の段取りなどを確認するのだが、見た感じは本当の結婚式となんら変わりない。
 新郎新婦はもちろん、親族や両家の両親も付き添うかたちをとるから。
 格好も、新郎新婦はタキシードにドレスというまさに正装。
 ……ただ、両家の両親や親族というのは、ホテル関係者が扮装するだけであり、だからこそ新郎新婦も通常はホテル関係者が選ばれるのだが……まぁ、じーちゃんも関係者といえば、関係者かもしれないけどな。
 でも、あんまり好きじゃないのも本音。
 俺は、会社とは関係ないと思ってるし、事実、経営などに微塵も口出しをしていない。
 まさに、ただの一般人。
 それでも、今回ばかりは祖父に対して少し感謝してもいた。
 彼女のドレス姿をひとあし早く見られるというのは、嬉しくもあり楽しみでもあるから。
 とりあえず、用意するものはアレ。
 せっかくの記念だし、使えるモノにしておくか。
 ……きっと驚くだろうな。
 などと、いちいち彼女の反応が頭に浮かんでしまい、そのたびに笑みが浮かんだ。

「なんか……緊張しますね」
「今から緊張してどうするんだよ。本番は明日。今日はまだ準備」
「それは、そうなんですけれど……」
 少し緊張気味な硬い表情で見上げてくる彼女に小さく笑うと、眉を寄せながら苦笑を見せた。
 まぁ、気持ちはわからないでもない。
 俺も、若干そんな部分があるといえば、あるから。
「少々お待ちくださいませ」
 ホテルへ早めに到着したので、フロントにその旨を告げてロビーで関係者を待つ。
 すると、しばらくしてから、いかにも挙式関係者といった服装の男性がにこやかに現れた。
「お待たせいたしました。このたび、おふたりのお手伝いをさせていただきます、山内洋平(やまうち ようへい)と申します。どうぞ、よろしくお願いいたします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
「では、どうぞこちらへ」
 早速、彼に案内されながら、明日の道順を説明してもらう。
 チャペルはホテルのロビーの奥まったところから先、中庭を通ったところにあるらしく、石畳の庭園を見ながら案内された。
 きれいに整えられた庭園は日本とは少し違う雰囲気で、なんとも厳かな雰囲気を漂わせている。
「……わぁ……っ」
 彼女が声をあげたのも無理はない。
 俺ですら、思わず息を呑んだほどだった。
 幻想的な光に包まれた、高い天井のチャペル。
 よくドラマなどで見る、アレそのもの。
 そして、参列者の席に挟まれるかたちで奥まで続いている“バージンロード”も然り。
 赤い絨毯の両脇には金色のポールが立っており、ああ本物のチャペルなんだな、なんて改めて思った。
「どうぞ、こちらへ」
 彼女の反応に笑みを浮かべながら、山内さんが奥へと案内してくれる。
 だが、彼女はすでに胸いっぱいという感じで、見とれながらあとをついて行ったので、つまづくんじゃないかと内心ヒヤヒヤしていたが。
「まず、あちらの入り口から新婦さまにはお父さまと一緒に入っていただきます。その後、真ん中からは新婦様おひとりでこちらへいらしていただきます。新郎さまは、新婦さまを迎える立場ですので、こちらでお待ちください」
 『新婦』のときには彼女を、そして『新郎』のときには自分を見ながら説明され、妙に恥ずかしくなる。
 まるで、ホンモノの式を挙げるかのよう。
 だからこそ気恥ずかしく、彼女と顔を見合わせてつい苦笑を浮かべる。
「おふたりが揃われましたら正面を向いていただいて、神父さまによる聖書の朗読と、誓約を行っていただきます」
「誓約……ですか?」
「ええ。よく、ドラマでもされると思いますが『誓いますか?』と聞かれる、あれですね」
「あぁー」
 彼女の問いに彼がうなずくと、納得したように声をあげた。
 ……誓約か。
 それもやるとなると、やっぱり……なんだか、本当の結婚式みたいだ。
「それが終わりましたら、指輪交換ですね。えーと、指輪のほうはご用意いただけるとのことでしたが……」
「のちほど、お渡しします」
「かしこまりました。それでは、フロントでお願いいたします」
「……え……指輪って……?」
「ん? ……内緒」
「えぇ!?」
 彼女の問いに意地悪っぽく笑うと、眉を寄せて見上げてきた。
 用意しなければいけない物は、指輪だけ。
 だが、当然彼女に伝えれば何か言われるであろうことが想像ついたので、黙って用意させてもらうことにしたのだ。
 サイズは、寝ている間にこっそり測らせてもらったし。
 ぬかりはない。
「指輪交換のあとは、結婚証書へのご署名と祝祷、そして結婚宣言をしていただいて……誓いのキスですね」
 くすっと彼が笑うと、彼女が小さく声をあげて頬を染めながら苦笑した。
 思わずこちらも視線を逸らしたのに気付かれ、これまでとは違って少し砕けた印象で山内さんが笑う。
「もし、みなさんの前でされるのはちょっと……ということでしたら、そこは省いていただいても構いませんので」
「いえ、とんでもない。やりますよ」
「……っ!?」
 きっぱり首を振ってうなずくと、慌てたように彼女が腕を掴んだ。
 そんな彼女の頭を撫でてやると、彼が苦笑を浮かべる。
「……なんだか、照れますね」
「あはは。すみません」
「いえいえ。で、そのあとは賛美歌を歌って終わりになります。何か、ご質問はありますか?」
「……何かある?」
「え? えーと…………何名の方が参加されるんですか?」
「明日は、今月の挙式を控えた8組、つまり16名になりますね」
「……16人……」
 ぽつりと彼女が呟いたのを見て、軽く頭をかいた山内さんが少しだけ笑った。
 心なしか、その頬が少し赤い。
「……ちなみに、私も参加者ですので」
「え、そうなんですか?」
「はい。今月の末に、結婚する予定でいます」
「わぁっ、おめでとうございますー!」
「それは、おめでとうございます」
「ありがとうございます。……恥ずかしいですね」
 彼女が手を叩いて微笑むと、彼は嬉しそうに照れ笑いを浮かべた。
 なるほど。
 それで、赤くなっていたのか。
「それじゃあ、山内さんのためにもトチるワケにはいかないですね」
「あはは。お願いします」
 いたずらっぽく笑って見せると、大きくうなずいてから彼も笑った。
「それじゃあ、衣装合わせに参りましょうか」
「あ、はい」
「お願いします」
 うなずいてから彼のあとについていくと、フロント横の細い廊下の奥に案内された。
 そこには、それぞれの控え室と、美容ルームが設置されているらしく、各ドアには名称付きのプレートがはめこまれている。
「新婦さまは、メイクとお着替えを済ませていただいてから、こちらの控え室でお時間までお待ちいただきます。新郎さまも、お着替えを済まされたあとは、やはりご自身の控え室で新婦さまをお待ちください」
「わかりました」
 ……新郎、ね。
 目を輝かせて彼の話を聞く彼女を見ていると、自然に笑みが漏れる。
 明日は、きっと俺も新郎の気分なんだろうな。
 などと考えると、今さらになって大役をおいそれと引き受けすぎたな、なんて苦笑が漏れた。
「では、衣装をお選びいただきましょうか」
「わぁ……! 楽しみですね」
「……まぁ、ね」
 それこそ、彼女はもう満面の笑み。
 ……そこまで喜んでもらえれば、そりゃあ、こちらとしても喜ばしい以外の感情はない。
 彼女の言葉に微笑んでうなずくと、彼がさらに奥へと案内してくれた。


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