「……すごい……!」
 たくさんの色鮮やかなドレスと、着物。
 そして、様々なアクセサリーが陳列された棚。
 まさに、結婚式を表している部屋が、ここにはあった。
「どうぞ、こちらへ」
 固まりかけた彼女の背中を押して進んでいくと、にこやかな年配の女性が出迎えてくれた。
「初めまして、衣装担当の新井です」
「初めまして」
「よろしくお願いします」
 ふたり揃って頭を下げると、にっこり微笑んでから羽織ちゃんの手を引いた。
「んまぁー、かわいらしいお嬢さんですこと! おいくつなの?」
「……あ、18です」
「あらぁ、18歳!? 新郎さまも、ずいぶんお若い新婦さまを見つけてこられたのねぇー。羨ましいわ」
 にやっと笑みを向けられ、思わず苦笑が漏れる。
 ……言われると思った。
 苦笑を浮かべつつも、なされるままになっている彼女を見ていたら、手であちら側を示された
「それじゃあ、新郎さまから衣装を選んでいただきましょうか。……あ、それじゃあ、あちらのクローゼットから好きな物を選んでくださいね」
「……あ、はい」
 ……そんなに簡単に決めちゃっていいのか?
 などと思いながら足を向けると、彼女が羽織ちゃんをこちらへ寄越した。
「さっ。新婦さまも一緒に選んでさしあげてくださいね」
「はいっ」
 ぱしん、と肩を叩かれて苦笑を浮かべた彼女が、あとをついてくる。
 思わず苦笑を浮かべたまま、壁へ沿うようにずらりと並んだいくつものクローゼットへ向き直ると、ありとあらゆる種類、色、デザインのタキシードが目に入って眉が寄る。
「……うわ」
 ………どれでもと言われてもな。
 この中から一着だけを見つけるのは、なかなか至難の業じゃないのか。
「ん?」
 ふと彼女を見ると、あれこれ真剣に見ながら考えこんでいるようだった。
 ……どうせなら選んでもらうか。
 などと考えていると、ふいに視線が合う。
「どれがいいですか?」
「んー……どれって言えないから、選んで」
「っ……そんな! せっかくのハレの日なんですよ?」
「でも、これを着てほしい! とかって意見があると、俺はすごく嬉しい」
「……うーん……」
 にっこりと笑って言ってやると、大きなガラス扉のクローゼットの前をあちらこちらへ歩きながら眺め始めた。
 こういうときこそ、リクエストされたい。
「……じゃあ、これはどうですか?」
「ん?」
 彼女がそうし始めてさほど時間が経たないうちに、ふいに足を止めてから俺を振り向いた。
 彼女のもとへ向かうと、指さしていたのは1着のタキシード。
「お出ししましょうか?」
「あ、お願いします」
 声をかけてくれた新井さんに頭を下げると、扉を開けてそれを掛けてくれた。
 光沢のある、シルバーのロングタキシード。
 ……あー、新郎って感じがする。
「これには濃い色のシャツを組み合わせていただいて、あとは同系色のネクタイと胸ポケットにスカーフを入れていただく感じですね」
「……どうですか?」
 説明を真剣に聞いていた彼女が、こちらを見上げた。
 どうって……もちろん、返事なんて決まってる。
「これがいい?」
「……うん」
「じゃあ、これで」
「え! そ、そんな簡単でいいんですか?」
「いいよ。羽織ちゃんが見たいんなら、これで」
 小さく笑ってからうなずくと、一瞬目を丸くした彼女もまた、同じように笑みを見せた。
「あらあら、優しい新郎さまですこと。それじゃあ、これにしましょうか」
「お願いします」
「はい。じゃあ、次は新婦さまの番ね」
「あ、はいっ」
 試着室にタキシードを掛けてもらい、続いては彼女のドレス選び。
 男と違って量も種類もハンパじゃないせいか、彼女もさすがにすぐには決められないでいた。
 結局、いくつか候補を絞り、そこから決める運びになったんだが……選んだのは、4着。
 どれも真っ白いウェディングドレスで、足元まで隠すロング丈。
「チャペルでの挙式は、なるべく肌の露出を抑えるのが一般的だったのよ。今じゃ、はやりだとかなんとかで、そんなことなくなってしまったけれど……」
「そうなんですか?」
「ええ。やはり、神聖な場所ですもの。過度に露出していると、神様が新郎さまに嫉妬してうまくいかなくなっちゃう、なんて考えられていたみたいね」
 小さく笑った彼女に、へぇと言いながら羽織ちゃんは感心しているようだった。
 ……だが、そう言われると納得できる部分もある。
 それこそ、聖書がどうのとかっていう話を持ち出されるより、ずっとわかりやすい。
「だから、新婦さまは大抵ロング丈にロングヴェール、そして長い手袋をしてるの」
「なるほど」
 うんうんとうなずいた彼女が、改めて選んだドレスに視線を向けた。
 そして、何か考えるような仕草をしてから、俺を見上げる。
「ん?」
「どれがいいですか?」
「俺?」
「うん。……ほら、私がタキシード選んだし……どれを見たいかなぁって」
「んー……そうだな」
 そうきたか。
 とはいえ、彼女のドレス姿を見るためとなると話は違う。
 そうだな……。
「選んじゃっていいの?」
「うんっ」
「じゃあ、これ……かな」
 そう言って指差したドレスを新井さんが見ると、大きくうなずきながらにっこり微笑んだ。
 まるで、『よく選んだ』とでも言わんばかりの顔に、目が丸くなる。
「さすがは、新婦さまのことをよくご存知の新郎さまがお選びになるだけありますわねー。彼女、とても華奢でしょう? だから、こういうタイプのドレスはよく似合うと思うの」
「そうなんですか?」
「ええ。それじゃあ新婦さま、これでいいかしら?」
「あ、はいっ」
 大正解、ってことか。
 嬉しそうに微笑んだ彼女が俺を見てから、そのまま試着室へと案内されていった。
 当然、俺も続く。
 ……が、『それじゃあ、新郎様はこちらへ』と違う試着室へ案内された。
「それじゃあ、着ていただきましょうか」
「あ、はい」
 とはいえ。
 普通のシャツに羽織ると……やっぱり変だよな。
 色も色だし。
 などと鏡に映った姿を見ていたら、苦笑が浮かんだ。
 一応ズボンまで穿き替えたところで、ドアを開ける。
 すると、新井さんが上から下まで見てから、足元で目を止めた。
「あら」
「え?」
 ふいに声をあげられ、思わず自分もそちらを見る。
 いきなり言われると、結構不安になるのは俺だけじゃないはず。
「んー……そうですね。上着はよろしいかと思いますけれど、ズボンの丈が少し短いかしら」
「……そう言われればそんな気も……」
「でしょう? それじゃあ、明日までに少し直しておきますね」
「お願いします」
「そうそう。シャツとネクタイですけれど、こんな感じでいかがかしら?」
 ハンガーにかけられていたシャツを取って、鏡の前で上着に合わせてくれる。
 濃い、ブルーというより紺に近いドレスシャツ。
 さすがに、こういうモノは普段着たりしないからか、判断基準が正直よくわからない。
「あー……いいと思います」
「そう? それじゃあ、これでいきましょうか」
 嬉しそうにうなずいて再びハンガーにシャツを戻すと、扉に手をかけながら俺を見た。
「お着替えが済んだら、外へいらしてくださいね」
「わかりました」
 鏡越しに返事をし、ドアを閉めてもらってからタキシードを脱ぐ。
 ひとりきりになった、試着室。
 鏡には、タキシード姿の自分。
 ……なんかな。
 正視できないというか、着替えをしながらそんな自分の姿を見ていると、ますますおかしくてたまらない。
 まぁ、彼女のドレス姿をいち早く見れるという特典のためにも、明日はがんばるけど。
「……ん?」
 着替えを済ませて服をハンガーに掛けてから外へ出ると、羽織ちゃんが入った試着室のドアが開いていた。
 ときおり見える、白い手袋。
 ……あー、今着てるんだよな。
 ウェディングドレス、か。
 どうやら小物類の合わせをしているらしく、新井さんと同じ服装の女性が、楽しそうに話しながらやり取りをしていた。
「拝見されます?」
「あ、いえ。楽しみに取っておきます」
「あらあら」
 思わず手を振って断りを入れると、茶化すような笑顔を見せられた。
 ……参ったな。
 明日までは、どこでも言われそうだ。
 ほどなくして試着室のドアが閉まり、普段の服装の彼女が出てきた。
 その顔はやっぱり嬉しそうで、こちらも笑みが浮かぶ。
「楽しかった?」
「うんっ。なんか……花嫁さんの気分味わっちゃいました」
 少し照れたように笑う顔はやっぱりかわいくて。
 ……明日楽しみだな。
 などと思っていたら、彼女に付き添っていた女性がにこやかにやってきた。
「新婦さま、細くていらして……ドレス、明日までにはきちんと直しておきますね」
「……すみません」
「いいえ、とんでもない! それが我々の仕事ですから」
 申し訳なさそうに頭を下げた彼女に微笑んでくれたスタッフが、首を振ってからこちらを見た。
 そこには、新井さんと同じからかうような類の表情が浮かんでいる。
「かわいらしい新婦さまで羨ましいですわ」
「はは」
 それはそれは、どうも。
 まんざらでもない笑みを浮かべると、いいわねぇー、なんて新井さんの声がまた聞こえた。
「それでは、ヴェールの件、美容室へ伝えておきますので」
「あ、お願いします」
「はい。それでは、結構ですよ」
「お疲れさまでした」
 ふたりに見送られて衣裳部屋をあとにすると、外では山内さんが待っていてくれた。
 交互に顔を見てから、にこにこと人の良さそうな笑みを浮かべる。
「いかがでした? お気に召す物はありましたか?」
「ええ、とっても」
 嬉しそうに笑った彼女を見てうなずくと、ロビーへの廊下を歩きながら明日の時間についての詳細を教えてくれた。
「それでは、本日は以上で終了になります。明日、お時間になりましたらお部屋までお迎えに上がりますので、10時を目安に準備していただければと思います」
「わかりました」
「あ、それから……ですね」
「え?」
 彼に頭を下げてロビーから外へ向おうとしたところで、彼が思い出したように懐から何かを取り出した。
 ……封筒?
「こちら、お使いください」
「え……?」
「当ホテルで挙式していただいた方には、スウィートのご宿泊をプレゼントさせていただいているんです。本日はご予約が入ってませんので、よろしければお使いください」
「いや、でも――」
 カードキーを差し出され、思わず手を振って断る。
 が、彼は笑顔でうなずいた。
「いいんですよ。急遽引き受けていただいた、せめてもの感謝のしるしですので」
「っ……でも!」
「どうぞ、お受け取りください。そうしていただきませんと、私が叱られます」
 彼女の手にそれを乗せ、彼はにっこりと笑って頭を下げた。
 そんな彼とは対照的に、困ったように俺を見上げる彼女。
 ……うーん。
「……いいんですか?」
「ええ。お使いください」
「それじゃあ……ありがたく、頂戴します」
 彼女と顔を見合わせてから彼に頭を下げると、嬉しそうにうなずいてくれた。
 その表情はどこかほっとしていて、実際、誰かに“叱られる”のを免れたかのようにも見えた。
 ……しかし、スウィートとはまた豪気だな。
 彼に別れを告げてから、早速エレベーターで最上階を目指す。
 さすがに一流ホテルのスウィートというだけあって、エレベーターが開いた瞬間からすでにほかのフロアとは違っていた。
「なんか……場違い、みたいな感じが」
「すごいな」
 思わず笑いながら廊下を進んでいくと、大きな格調高いドアが見えた。
 造りからして、なんというか……城か、ここは。
 一瞬躊躇ったもののカードキーを差し込み、ランプが変わると同時に引き抜いてドアを引く。
 すると、大きな窓から差し込む光に照らされて、やけに室内が眩しく感じられた。
「うわぁ……すごーい!」
 嬉しそうに窓辺へ近づいた彼女の後ろ姿を見ながら、自分もそちらへ向かう。
 海が一望できる、すばらしい眺めの部屋だった。
 ……しかも、部屋全体がやけに広くて。
 2部屋続きのリビングの隣の部屋には、広く大きなベッドとソファセットが置かれたベッドルーム。
 そして、リビングの隅には本格的なバーラウンジもあり、ミニキッチンも備え付けられている。
「……誰が泊まるんだ、こんなとこ」
 思わず呟いてから彼女に歩み寄ると、嬉しそうに窓から景色を眺めたまま声をあげた。
「そんなにすごい?」
「すごいですよー! ほら、人がちいさーい」
 指差した先を見ると、確かに『人か?』と思えるような小さな点が動いていた。
 車も住居も、すべてがかなり小さく見える。
 さすがに40階だけあるな。
 などと、変なところで感心してみたり。
「……おー」
 リビングのソファに座ると、座り心地もやっぱり違うわけで。
 なんていうか、身体を包まれるような心地よさ。
「……やっぱり違うな」
 頭をもたげて呟くと、彼女も隣りに腰をおろした。
「わぁ……すごい。気持ちいい」
「だね。さすがスウィート」
 同じような感想を漏らした彼女に手を伸ばすと、笑みを浮かべてから身体を預けてきた。
 鼻先に、いつもと同じ甘い香りが漂い、目が閉じる。
「なんか……すごいですね」
「いろいろとね。……でも、明日の花嫁さんが楽しみかな」
「……ホントに?」
「当たり前だろ? そのためにこの話引き受けたんだから」
 小さく笑って彼女を見ると、嬉しそうに微笑んだ。
 明日はどんな姿になるんだか。
 そう思うと、やはり浮き足だってしまうのが、人間というもの。
 それこそ、遠足の前日の子どものように、若干はしゃいでいる色もあり、そんな自分が少しおかしい。
「……なんか、プリティウーマンみたい」
「ん?」
「ほら、ジュリア・ロバーツが初めて部屋に連れてこられたとき、やっぱりこんな部屋で……なんか、すごい」
「好きだね、プリティウーマン」
「好きですよーっ。いっぱい観たもん」
 嬉しそうにうなずく彼女の髪を撫でてやりながら、その髪に口づける。
 明日は、花嫁姿。
 ……あー、たまらん。
 って、やっぱ前日にイタダクわけにはいかないよな。
 今夜のところは大人しくしておくか。
 ……うん。
 がんばれ、俺。
 すべては、穢れなき“花嫁”のために。


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