「…………」
「……ん?」
 ソファに座ったまま新聞を読んでいたら、意味ありげにこちらをじぃっと見つめたまま彼女が歩いてきた。
 ……そういや、さっきもそうだったな。
 彼女らしく、家に残っている物で、“あり合わせ”には見えない昼メシを作ってくれたのだが、そのときもやっぱりこうして俺の反応を伺っていた。
 アイスティーを取りに冷蔵庫へ向かえば、途端に俺を真正面から捉えて。
 ……しかも、手には菜ばしを持ったまま。
 …………。
 あの顔は、俺の様子を伺っていたというか警戒というか防御というか。
 まぁとにかく、そんな感じだった。
「…………」
「…………」
 そんな、相変わらず俺を見つめたままの彼女を観察してみる。
 手には大量の衣類――……のようなもの。
 ……あー。
 洗濯物か。
 どうりでしばらく彼女の姿が見えないと思っていたら、洗面所にいたらしい。
「…………」
「…………」
 無言のまま、座る。
 ……。
 ……それは、わかる。
 だが、どうしてこうも俺の様子を気にするのか。
 それが少しだけ、気がかりというか……正直気になった。
「何?」
「……別に……」
「別に、って顔じゃないけど」
「…………だって……」
 まばたきして彼女を見るものの、やはりこれまで同様眉を寄せたまま。
 ……なんだろ。
 彼女が俺に向けている無言のメッセージがよくわからず、ただただ頭には『?』ばかりが増えていく。
「…………」
「…………」
「……座ったら?」
「…………」
 見つめ合ったままで、いったいどれほどの時間が過ぎただろう。
 彼女は相変わらず、両手でカゴに入っている洗濯物を持っていて。
 ……しかも、やっぱり何も言わずに俺を見ていて。
 …………。
 …………。
 …………?
「あ」
 一瞬彼女がさりげなく見せた、仕草。
 それで、ようやく彼女が示唆していたことがわかった。
「…………」
「っ……な……んですか……?」
「いや、別に?」
 まるで、『見つかった』みたいな顔をした彼女ににっこりと笑ってから、首を振り――……少し姿勢を崩して視線の位置を低くする。
 すると、途端に彼女が顔色を変えて首を振った。
「なんでそんな……っ……」
「ん? いや、別に」
「……別にって顔じゃない……」
「気のせい」
 案の定、彼女はしっかり反応した。
 ……間違いない。
 彼女が気にしていたのは、“スカート”。
 タイトな物なので、膝を曲げれば――……見えてしまう可能性があるわけで。
「…………」
「……うぅ……」
「俺は何も言ってないよ?」
「わかってますよぉ……」
 あえてわざとらしく肩をすくめると、大き目のため息をついてから……へぇ。
 器用に洗濯物を床へ置いてから、1度膝で立ってから腰を下ろした。
「……なんだ、その安心したような顔は」
「え!? そ……そんなことないです」
「そう? とてもそんなふうには見えないんだけど」
「気のせいですってば!」
 一瞬、俺の指摘にびくっと肩を震わせたのは、それじゃあなんだ?
 そう聞いてみたくはなるが、本当に『ほっ』とした顔をして洗濯物を畳み始めてしまったので、何も言わずに見守ることにした。
「…………」
「…………」
「……あのさ」
「はい?」
「なんで、そんなに楽しそうなの?」
 体勢を崩してだらしなく座りながら声をかけると、まばたきしてから……やたら嬉しそうにふにゃんとした笑顔を見せた。
「……だって……温かくて、いい匂い」
「……で?」
「え? えっと……だから……。……楽しいですよ?」
「洗濯物畳むのが?」
「はい」
 少しだけ困った顔をみせたものの、すぐに彼女はまた『えへへ』と笑って洗濯物を畳み始めた。
 ……楽しいか?
 正直言って、俺は同じ作業をしていてもまったく楽しいとは感じない。
 ましてや、彼女みたいにあんな笑顔が浮かぶことは皆無。
 洗濯物に関しては『面倒』という言葉がまず最初に付くので、大抵は――……テキトーな場所へ置いておいて、『邪魔だなー』とか思ったらまとめて片付けるようにしていたから。
「…………」
「…………」
 だが、彼女はやっぱり俺とまったく違っていた。
 まるで鼻歌でも出そうなほどの表情で、黙々と作業をこなしていく。
 ……なんか、かわいいぞ。
「なんか……」
「ん?」
「つい、顔に出ちゃうんですよ。なんていうのかなぁ……こう……幸せって感じがして」
「っ……」
 まじまじと彼女を見ていたら、1度手を止めてから笑みをくれた。
 その顔は、ほんのりと赤くなっていて。
 ……かわいい。
 素直に、その仕草というか雰囲気というかに顔が緩む。
「どのへんが幸せ?」
「えっと……なんか、こう……いかにも、『一緒に暮らしてる』って感じじゃないですか」
「まぁね」
「だから、あー先生と一緒にいるんだなぁって思えて」
 そういうと、わずかに首をかしげた彼女が手にしていたシャツをきゅっと掴んだ。
 ……うわ。
 なんか、ホントに幼な妻みたいだな。
 ……。
 …………あぁ、それか。
 やっとわかった。
 彼女が何を感じて、何を言わんとしていたのかが。
「……そっか」
 思わず笑うと、わずかに頬を染めて視線を外した。
 間違いない。
 それだよ、それ。
 彼女が感じていた幸せっていうのは、なんてことない日常のこういうところに多くあるのだろう。
 普段一緒にいられないからこそ、こうして一緒にいることを実感できるというか……。
 まぁ、早い話がアレだ。

 『新婚生活』

 ……みたいな。
 って、我ながらあっぱれなほどの想像力だな。
 (たくま)しすぎて、なんだか切ない。
「…………」
 ……まぁいいか。
 幸せな証拠だ。
 思わずそっぽを向いてそんなことを考える――……が、やはりどうしても視線は彼女に戻ってしまう。
 相変わらず、ひとつひとつを丁寧に畳んで、幸せそうな顔の彼女。
 ……俺は幸せ者だよな。間違いなく。
 彼女の口から『幸せ』という言葉を聞くことができただけでも、十分満足と言えよう。
 ……。
 ……しかし。
「……え?」
「あげる」
 チェストへ置いたままだった自分のカーディガンを取り、彼女へ羽織らせてやると、俺を見上げてからカーディガンを見つめた。
「少しは温かいだろ?」
「……あ……。ありがとうございます」
「いいえ」
 嬉しそうに笑ってからそれに触れた彼女へ笑い、再び定位置であるソファへ。
 ……そんな顔されると、冥利に尽きるな。
「それ、持って帰っていいから」
「……え?」
「いや、だから。それ、羽織ちゃんにあげる」
「…………」
「…………」
「えぇええ!?」
「……そんなに驚かなくても」
「だ、だって……! えぇ!? でも、これっ……いつも先生が仕事で……」
「まぁね。……でも、俺は新しいのがあるから」
「……え……?」
「クリスマスにもらった、セーターが」
「っ……」
 大げさに驚いた彼女へ苦笑を返しながら、ソファにもたれて頭の後ろで手を組む。
 この、洗濯物を見ていて……ふと思った。
 それは、こういう長期休暇を過ごすたびに彼女が持ってくる荷物が少なくなっている点。
 彼女がウチにいない平日でも、部屋の中で彼女の服を見かける。
 シャツだったり、セーターだったり。
 ……それだけでもやたら嬉しくて。
 彼女の荷物が少しずつ家に増えていくのを見ると、以前とは違ってぐっと華やいでいるのがわかった。
 それに、半分一緒に暮らしてるみたいなモンなんだなって思うことで、少しだけ寂しさが和らぐ。
 ……それが、わかったから。
 だから、彼女にも俺の何かをあげたかった。
 少しでも、寂しさが紛れるように。
 少しでも……俺を身近に感じられるように。
 その結論として考えついたのが、今、彼女へかけたカーディガンだった。
「それなら、学校でも家でも着れるだろ?」
「……あ……」
「だから、あげる」
 少しだけ瞳を丸くした彼女に、笑いながら軽く首をかしげる。
 ……持ってて?
 そういう意味を込めて。
「ありがとうございます……っ!」
「いいえ」
「大事にしますね」
「ん」
 ぎゅっと両肩を抱くように腕を回した彼女を見ることができて、こっちこそ嬉しくなった。
 そんな顔してもらえるなんて、想われてる証拠。
 それが、たまらず幸せだと感じられる。
 ……幸せモンだよ、ホントに。
 ここまでの笑顔をくれるなんて、正直思わなかったから。
「……あ……」
「え?」
 彼女が漏らした小さな呟きで、テレビへと向かっていた視線が元へ戻った。
「珍しいですね」
「何が?」
「白衣。……家にあるなんて」
「……あー」
 そう言って彼女が広げて見せたのは、普段学校で使っている白衣だった。
 ……確かに。
 そう言われると、家に持ち帰ったのはこれが1度目か……2度目か……。
 ……まぁ、そんなあたり。
 普段学校でしか着ないこともあって、実はあまり洗濯という機会には恵まれてなかったりする。
「新しいの支給されたから」
「え?」
「だから、持って帰ってきたんだけど」
「……あー……」
「…………なんだ。今の間は」
「え? あ、別に……」
 フローリングへ腹這いになったまま頬杖を付いて瞳を細めると、慌てたように首を振って白衣を畳み始めた。
 ……まぁ、彼女が言いたいことはだいたいわかったけどね。
 でも、しょうがないだろ?
 持ち帰ろうとは思うんだが、帰りには忘れてるんだから。
 所詮、そんなレベル。
 学生のときなんて、ぶっちゃけ洗ったりしなかったんだから、着々と進歩を遂げていると言っても過言じゃないはず。
「……よし」
 それまで格闘していた俺の白衣を、やっと自分の納得のいくように畳むことができたらしく、ぽんぽんと軽く叩いてからほかの服の上に重ねた。
 器用に畳むな……。
 というか、まぁ、自分は白衣なんぞ畳まなかったワケで。
 学生時代も今も、白衣だけに限らずほとんどの服はそのへんに放っておいて、そのまま着るというのを繰り返していたし。
 そう考えると、彼女と付き合うようになって部屋が広く感じられるようになったのにはちゃんとした理由があったんだな。
 単なる気のせいじゃなくて、実際に片付いてるんだ。
「なんですか?」
「いや、別に」
 不思議そうな顔を見せた彼女に首を振り、再び手を動かした姿をまじまじと見つめる。
 ……甲斐甲斐しい。
 自分の妹とは大違いだ。
 ……あー。
 彼女を見ていると、本当に今まで自分が年下の子に対していかに偏見を持っていたかがよくわかる。
 …………やっぱり彼女は特別だよな。
 妹や弟とは正反対の、世話焼きタイプ。
 彼女が頼ってくることはあんまりないというか、むしろこちらが彼女に対して甘えていることのほうが多いワケで。
 居心地がいい。
 無論、いろいろやってくれるからというわけではなく、ただこうして一緒にいることが。
 だが、そういう彼女だからこそ、もっと甘えてほしいし、自分を頼ってほしいとも思う。
 ……ないものねだりかもしれないが。
「…………」
 もし彼女が妹たちと同じく、すぐに誰かを頼る子だったならば。
 ――……それででもやっぱり、それでもこうなっていたかもな。
 『そばにいてほしい』
 『そばに置いておきたい』
 彼女に対しての欲求は、絶えることなく枯れることなく、どんどんと湧いてくるから不思議だ。


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