「もう終わったんですか?」
「まぁね」
 ドアを開けて目が合った途端、彼女が驚いたようにこちらを向いた。
 だが、すぐにその表情は珍しくいたずらっぽい笑みへと変わる。
「……本当に?」
「なんだ。人を疑うの?」
「そうじゃないですけど……。随分早いなぁって思って」
「何事も、的確かつ迅速にが俺のモットー」
「はぁい」
 くすくすと笑いながらうなずいた彼女に歩み寄ると、なんとなくいつもと違うのに気付いた。
 今ごろかよと言われるかもしれないが。
「にゃっ!?」
「……珍しい」
「いきなりなんですかっ」
「いや、ほら。目の前にこーゆーのがあると、手が出るだろ?」
 珍しく彼女が髪をひとつにまとめていたので、つい手が出た。
 いつもと違うからというのが1番の理由だが、ゆらゆらと揺れているそれを見ていると……掴みたくなるだろ?
 文字通り、しっぽみたいで。
「……ん?」
 シンクにもたれて彼女を見ていたら、くすくすと笑いながら首を振った。
 ……なんだよ。
 その笑みが何かを想像して出た物だとわかったので、つい眉が寄る。
「先生、ネコみたい」
「誰がネコだ」
「だってぇ」
「……ったく」
 瞳を細めて視線を外すも、しばらくおかしそうに笑っていた。
 ……しかし。
 こうして髪型を少し変えるだけでも、随分と印象が変わるもんだな。
 普段下ろしているところしか見ないせいか、しげしげと見入ってしまう自分が少し笑えた。
「で?」
「え?」
 シンクの上を拭いていた彼女に呟くと、こちらを見てから不思議そうに首をかしげた。
 その仕草も、結構かわいい。
 ……って、俺は相変わらずの彼女馬鹿らしい。
「もう終わったの?」
「あ、うん。こっちも、終わりましたよ」
 俺とは違って、どうやら本当に終わったらしい。
 普段から片付いているのだが、今は普段以上にきれになっているというか……。
 これだけ片付けた彼女にあの書斎を見せたら、それこそ文句言われるかも。
「? なんですか?」
「え? ……いや、別に」
 ひとり苦笑していたら、不思議そうに顔を覗き込まれた。
「リビングやるんだろ? ほら、行くよ」
「はぁい」
 そんな彼女に書斎を見られる恐れがないように、さりげなく彼女も自分の片付けに付き合わせてしまおう。
「……さて」
 背中を押してリビングに向かうと、乱雑なパソコンラックが目に入った。
 とはいえ、俺にしてみればこれは結構片付いているほうだと思うんだが。
「私は何したらいいですか?」
 ぎく。
 そう言われると、困る。
 なんせ、この場所の散らかっている部分は、俺の物が占めているからだ。
「そうだな……。じゃあ、その棚よろしく」
「ここですか?」
「うん。俺がいらなさそうな物、ピックアップしといてよ」
「そう言われても、どれがそうなのか……」
「大丈夫。不要な物のほうが多いから」
「もぅ」
 あれこれと物が詰め込まれている、カラーボックス。
 そこを見て彼女に頼むと、苦笑を浮かべながらもうなずいてくれた。
 ここには、大事な物なんて入ってないことは自分でもわかってる。
 だが、なかなか片付けようという気が起きなかったので、そのままになってしまっていた場所。
 ひょっとすると、学生時代の物なんかも出てくるかもしれない。
 なんて考えながら、自分も仕方なくパソコンラックに積んである荷物を片付けることにした。

 片付け始めること、小一時間。
 いらない物を捨て、まだ必要だと思う物を残し……という単純極まりない作業。
 の、はずなのに。
「……何も変わらないのは、なんでだ?」
 我ながら、相変わらず片付けスキルが身に付いていないらしかった。
 一方、隣にあるカラーボックスを片付けてくれている彼女を見ると、どうしてこれほど差が出るのかというくらいに、整頓されている。
 しかも、不要だと思われる物のピックアップが俺よりもずっと少ないのに、だ。
「……なんで、そんなに片付くの?」
「そう言われても……」
「だって、おかしいだろ? 俺のほうが、捨ててる物多いんだぞ?」
「んー……。そういえば、そうですよね」
 軽く首をかしげながら、ラックとカラーボックスを見比べる彼女。
 やっぱり、この違いは性格の違いだとしか言えないと思う。
 間違いなく。
「まぁいいや。おしまい」
「えぇっ!?」
「……何?」
「何、じゃないですよっ! だって、まだ……」
 椅子から立ち上がってテレビの前へ移ると、すぐに声をあげた。
 しかも、その顔に『不服』だという色を浮かべて。
「もう片付いたろ? 次は、こっち」
「もぅ! 全然片付いてません!」
「飽きた」
「飽きる飽きないの問題じゃないです!」
「そう言われてもなぁ」
 手厳しいお言葉で。
 ……まぁ、彼女がそう言うのもわかるけど。
 これまで自分が片付けようとがんばっていた、パソコンラック。
 しかしながら、物の配置が少し変わった程度で、ハッキリ言って片付いたという言葉からは縁遠い。
 でも、俺にしてみればこれ以上最良の手はないんだよ。
「さて。何があるのかな」
「……もぉ……」
 彼女に笑みを見せてから隣に座り、テレビ下の棚を探索。
 中には、何が入っているのかわからないビデオテープや見知らぬCD−Rだけでなく、本や雑誌まで入っていた。
 これは片付かないわけだ。
「……なんでこんな所に……」
 奥の物をひとつひとつ取り出していると、この場所にはあるべきのないものが出てきた。
 自分でも、どうしてこんな所に入っているのか思い出せない、それ。
「…………」
 ――……を、こうしてみるのはどうだろうか。
「きゃあ!!?」
「……いい反応するねぇ」
「せ、せせせ先生!? 何するんですかっ!」
「いや、ほら。懐かしい物があったから」
「あったから、じゃないですよっ!」
 ふりふり、と動かしたら頬を真っ赤にした彼女に怒られた。
 まぁ、それも仕方ないと思うけど、ついつい反応に笑ってしまう。
 発見した物。
 それは、今は使うことのない習字の筆だった。
 どうしてこんな場所に紛れ込んでいたのかは知らないが、暇を潰すにはもってこいだ。
 髪を上げているおかげで邪魔されることなく撫でられる、彼女の首筋。
 そこを筆で撫でてものすごい反応が返ってくれば、やめられない止まらない。
 ……というわけで。
「あはは! やだーーっ!! 先生!」
「なんかさー。やっぱ、俺に大掃除って向いてないんだよ。すごくつまらない」
「つまるつまらないのっ……問題じゃ、なっ……!」
「飽きたんだよな」
「私は忙しいですっ!」
 しっかりと首をすぼめて逃れる体勢ばっちりの、彼女。
 しかしながら、くすぐる場所は何も首でなければならないワケじゃない。
 襟ぐりの開いたセーターを着ているから、悪いんだぞ。
 などと理由をつけてくすぐっていると、呼吸を荒くした彼女がこちらを向いた。
 その瞳には、若干涙が浮かんでいる。
「くすぐったいですってば! もう!!」
「あはは。ごめん」
「気持ちがこもってませんよ?」
「そう?」
「そうですっ」
 軽く拗ねたような顔をされて苦笑を見せると、体勢を直してからため息を漏らした。
 ……仕方ないな。
「っ……!」
「ごめん。つい、構ってほしくて」
「……もぅ」
 手を引いて、彼女を抱き寄せる。
 腕の中に生まれる、温もり。
 一瞬驚いた顔をしてから見せてくれた笑みに、こちらも笑みが浮かぶ。
 外は雪だし、このまま家に居るのが1番の得策だろう。
 ……それに、めちゃめちゃ楽しいし。
 こういう時間ならば、掃除もまぁ大歓迎。


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