……この状況はいったいどうしたことか。
「…………」
 いつもと同じように、なんとなく……見始めた映画。
 普段とまったく変わらぬ、ソファでの鑑賞。
 ……なの、だが。
「…………」
「…………」
 こうして、彼女と一緒に座っていることに関しては、もちろんなんの違和感もない。
 ――……が。
 ふと視線を右腕に落とせば、暖かそうなセーターの細い腕が絡んでいて。
 ……そして、まっすぐに映画を見ながらも……しっかりと俺にもたれるような格好の、彼女の姿があった。
 普段ならば、まず、ありえない格好。
 観ている映画がアクションだろうとなんだろうと、彼女がこんなふうにべったりくっつくなんてこと滅多にない。
 ……なのに、今日に限ってこんなふうに甘えてくるなんて。
「…………」
 そう、だよ。
 甘えてる……よな? 彼女が。
 俺に対して、いつもと違って。
 ……いつもと、違う。
 そんな彼女の理由が浮かんではこないのだが、当然これは嬉しいもので。
 ……躍進といっても、いいほどかもしれない。
 右腕が塞がっているので髪を撫でることはできないが、彼女の姿を盗み見ながら、笑みが浮かぶ。
 ……かわいい子。
 ていうか、なんか、こう……愛しさでいっぱいになるんだよな。
 健気で素直で従順で。
 ……あー、ヤバい。
 笑いそう。
 もちろん、おかしいからなんかじゃなくて、幸せすぎるから……なんだけど。
「…………」
 ――……と。
 先ほどまでと映画の様子が一変していることに、今ごろ気付いた。
 ……何が違うって、まず音が違う。
 BGMもそうだし、セリフも……そうだし。
 映画には付き物と言ってもいいくらいの、いわゆる“濡れ場”。
 この映画はバリバリのアクションだったはずなのに、やっぱりしっかりと挿入されていて。
 ……参ったな。
 こんな状況で見れるようなモン……じゃ……。
「……ぇ……」
 たまらず目元に手をやった、そのとき。
 本当に微かながらも、声が漏れた。
 別に、映画がいきなりどうにかなったワケじゃない。
 ……そうじゃなくて。
 もっと具体的で、もっと身近で……もっと衝撃的で。
 俺にとっては、少なくともこれまで経験したことのないようなモノが、今、目の前で起きていた。
「…………」
「…………」
 ……ごく。
 情けなくも、喉が鳴った。
 ……カッコわる。
 いつもだったら、ここで彼女に何か言うところ。
 なのだが……やっぱり、今だけは、そんなことできない。
 ――……なんせ、今隣にいる彼女が、普段とはまったく違って目線を外さずに映画を見ているから……だ。
「…………」
 ありえない。
 すべてが、本当に。
 彼女は、いつだって恥ずかしそうに俯いてしまったりして、こういうシーンは見ていないことのほうが多い。
 どうしようもなく困った様子で、視線を外して。
 ……それが、彼女らしい反応だと思っていた。
 だけど、今日は違う。
 頬を染めながらも、じっとりと熱い眼差しで……しっかりと映画を見つめていた。
 ……ヤバい。
 何がヤバいって、その表情が。
 いつものあどけないような顔じゃなくて、今の彼女は、どこか大人びた艶やかな表情を浮かべていた。
 このシーンがそうさせているのか、はたまた……彼女の中で何かが変わったのか。
 その判別はつかないが、衝撃を受けるには十分すぎるほどの事実だった。
「……あ」
 ふとした一瞬の出来事。
 いつもの彼女のように外していた視線を、何気なくそちらへ向けたとき。
 薄っすらと唇を開いて、濡れた瞳でいる彼女と――……ばっちり目が合った。
「…………」
「……な……に?」
 うわずって、今の自分の心境がまざまざと表れているような声。
 だが、それに対して彼女はというと、何か言いたげな瞳に反して、まったく言葉を続けたりしなかった。
 ……ただ、見る。
 瞳を逸らさせないような、そんな強い力でも持っているかのように。
 俺のことすべてを、捕えて離さないようにでもしているかのように。
 ……濡れた、瞳で。
 なんともいえない、色っぽい顔をして。
「……せんせ……」
 気付くと、彼女の頬へ手のひらを当てていた。
 するりとわずかに動かせば、滑らかなキメの細かい肌の感触と、優しい彼女の温もり。
 あどけないとばかり思っていたのに、いつの間にか“女”になっていた表情。
 ……いつも、誰よりもそばで見てきたのに。
 それなのに、ひょっとしたらあの夢のように――……俺は何ひとつ本当の彼女という人間を、知ろうとしていなかったのかもしれない。
「…………」
 甘い声で俺を呼ぶ唇を親指でなぞり、瞳を合わせたまま――……顔を近づける。
 ……無性に、キスしたいと思った。
 今、目の前にいる彼女のことを、まずひとつ確かめるために。


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