相変わらずの炎天下ながらも、多少涼しさが広がり始めてきたバドミントンのコート。
 だが、今はそこに生徒の姿はない。
 なぜならば、すべての決勝が終わり、ここからは教師対抗の試合が行われるからだ。
「山中先生、どうするんだろ」
「……ねぇ」
 絵里と羽織の視線は、先ほどまで審判をしていた昭に向かった。
 いつもの彼からは想像もつかない、ラフな格好。
 ジャージ姿と言うだけでも、なんだか違う人のように見える。
 純也や祐恭の格好はなんとなく想像がつくのだが、彼はスポーツの匂いをまったく感じさせない男だけに、『何か違う』と感じてしまう。
 そんな昭は、もうひとりの生物教師とタッグを組んで、これから真の決勝とも呼べる試合を行う。
 相手は、3年のBチーム。
 ――……そう。
 Bチームの優勝者である、3年5組の詩織たちと、だ。
 詩織は、恐ろしく運がよかった。
 中学、高校と運動部に所属することなく過ごしてきた彼女は、おっとりとした性格もあって、体育の成績は芳しくない。
 そんな彼女がBチーム決勝突破というのは、彼女の並ならぬ運の強さにあるといっても過言ではないだろう。
 だが最終対戦相手が昭なのはやはり気まずいらしく、その顔に笑みはなかった。
 ――……ちなみに。
 羽織と絵里のペアは、実力で教師対抗の座を勝ち取ったことを付け加えておく。
「……大変そうだよね。――……ん?」
 詩織を気遣うような視線を送ってすぐ、羽織の目に体育館のほうから歩いてくる2人組が目に入った。
 黒とグレーのジャージ。
 さすがに上はTシャツながらも、昭とはまるで違ったガラの悪さを感じる彼ら。
 そして。
 遠目ながらも、すぐにわかる姿。
「……まさか」
「…………だよね」
 絵里が苦笑を浮かべると、同じように羽織も乾いた笑みを見せた。
 もしかすると、がズバリ的中。
 Aチームの最終対戦相手は、祐恭と純也の化学教師2人組だった。
「あーっちーなー」
「……早く帰りたい」
「同感。クーラーの効いた準備室に帰りたい」
「あー、いいっすね」
 これまで日陰だった体育館にいたふたりにとって、炎天下はまさに地獄。
 羽織と絵里が座っていた木陰まで歩いてくると、かったるそうにしゃがんだ。
 ……ガラが悪い。
 絵里と羽織は思わず顔を見合わせて、ため息ひとつ。
 詩織が対戦相手と知って困っている昭とは、完全に正反対。
 むしろ、絵里と羽織が相手で好都合といった表情すら浮かべている。
「……むー」
 それに鋭く反応を見せたのが、絵里。
 立ち上がってラケットを純也に向けると、冷ややかな視線を向ける。
「負けないからね」
「こっちだって、負けるわけにはいかないんだよ」
 純也も笑みを浮かべて立ち上がると、軽く首を傾げて挑戦的な態度を見せる。
 そんなふたりを見上げるようにしていた羽織と祐恭だが、目が合った途端――……やはり彼はニヤリと笑った。
「そんな簡単に勝たせるつもりないよ?」
「……先生。2組の副担任じゃないですか」
「それとこれは別。……俺が勝ったら言うことひとつ聞いてもらおうか」
「そっ……!? それとこれとは別ですよ!!」
 顎に手を当てて満足げな顔を見せた祐恭に慌てて首を振ってから、絵里の横に立って彼女の手を引く。
 とっとと終わらせたい……できれば、何事も起きてしまわないうちに。
 その気持ちが伝わったようで、絵里もうなずくとコートへ足を向けた。
「それでは、第3学年Aチーム優勝ペアと、先生方との最終戦を行います」
 審判に立ってくれたほかのクラスの子が声をかけると同時に、軽く頭を下げてコート内へ。
「じゃんけん」
「……んなモンくれてやるよ」
 『グー』を出した絵里に純也が笑うと、キッと睨みつけてからシャトルを握りしめた。
 みしみしと鈍い音がして、白い羽が歪む。
「え、絵里っ! 壊れるから!」
「……あぁもう、どうしてくれようかしらねあの人」
 水鳥の羽でできているタイプなので、かなり脆い。
 というか、本来握るようにできてはいないので、そういう力のかかり方だと危ういのだ。
 露骨に不機嫌さを露わにしながら絵里がラケットを構え、余裕綽々といった感じのふたりに向かう。
「……早く打てよー。あちーんだから」
「とっとと終わらせて、軽く一杯っすね」
「おー、いいねぇ」
 ……馬鹿にしてくれるじゃないの。
 くるくるとラケットを回して『やる気ゼロ』の教師ふたりを睨みつけてから、シャトルを放り――……パシンッという軽いながらも鋭い絵里のスマッシュ。
「おまっ……! やるときは何か言え!」
「うるさい! 見てないほうが悪い!! 集中しなさいよ!!」
 純也に向かったシャトルを彼が慌てて打ち返すと、イライラしながら絵里が打ち返した。
「大体! なんで俺たちが日に向かわなきゃっ……なんないんだよ! 眩しいだろ!」
「知らないわよ! てか、それくらいっ、生徒に優しくしなさいよっ!」
 なんだかんだと言い合いながら続く打ち合いから外れて、シャトルが羽織へと飛んできた。
「あ」
 小さく声を上げてシャトルに向かい、大きく腕を上げる。
 それを見て僅かに下がった祐恭を見てから、手元をひねって――……軽くシャトルをネット際へ。
「うっわ!」
 ネットぎりぎりに入ったそれを慌ててすくうものの、僅かに遅く、まずは1点を生徒チームが手に入れた。
「……ズルくないか、それ」
「ずるくないですよっ。ヒドイなぁ……」
 眉を寄せてシャトルをラケットで弾く祐恭に羽織が首を振る。
 再びシャトルは絵里へ。
「……なんだ。結局ふたりとも実は苦手なんじゃない」
「苦手じゃないって」
「ふぅん。……羽織が得意って、知らないでしょ」
「え」
 いたずらっぽい笑みを絵里が祐恭に見せると、驚いたように羽織を見つめた。
 それに対して羽織はというと、いたって普通の表情。
「……そこまで得意ってワケじゃないけど」
「くっ……負けないからな」
 やたらと敵対心剥き出しで挑んでくる祐恭に羽織が苦笑を浮かべると、絵里が2度目のサービスを打った。
「あ、あ、やだぁー!」
「っわ!」
 大きく聞こえた拍子抜けする声で、純也のラケットが空を切る。
 ぽとん、と小さな音で地面に落ちたシャトルを見つめてから、声のしたほうを見ると……。
「しお……田中さん、そんなこと言わないで……」
「だって……あんなスマッシュ打てないですよぉ!」
 泣きそうな顔の詩織に、わたわたと慌てる昭の姿。
 あまりにも露骨な態度に見ているこちらが冷や汗を浮かべながら見ているとも知らず、完全に怪しい教師と化した昭は詩織に弁解していた。
「じ、じゃあ、今度はもう少し弱く打つから」
「お願いします……」
 ……おいおい。
 誰もがそんな言葉を発しないながらも、表情でしっかりと語る。
 それじゃあ勝負もクソもないのだが、まぁ、彼の性格などを考えると仕方ないと言えば仕方ないのかもしれない。
「ほら。早くちょーだい」
「……わかってるよ」
 ひらひらと手を出す絵里にシャトルを放ると、ぱしんっと宙で器用に掴んでから再び構える。
 軽く放り上げてから、それを相手ネットへと送り出す――……と、いつもより早いペースで祐恭が打ち返してきた。
「負けるかっ……!」
「甘い!」
「うわっ!」
「とりゃー!」
「何!?」
「そこだぁ!」
「くっ……まだまだ!!」
 完全に絵里と祐恭の打ち合いと化した、ゲーム。
 そんなふたりを見ながら、純也と羽織は思わず顔を合わせて苦笑を浮かべた。
 熱くなった彼らからは、当分回ってこないのだと考えたのだろう。
「そこだ! ……なんてね」
「っわぁ!?」
 大きく構えたラケットからボレーで祐恭が返すと、読みきれていなかった絵里が前につんのめりそうになりながらネットに手をついた。
「おー」
「やりー」
 ぱちぱちと拍手した純也に軽く笑ってから、意地悪そうな顔で祐恭が手のひらをこちらに出す。
「ほら、早くよこせよー」
「っ……悔しい」
 ぎりっと奥歯を噛み締めて絵里がシャトルを放ると、掴んだ彼が彼女を指さした。
「しっかり構えろよー」
「大きなお世話!」
 声を荒げて答え、真剣な顔に戻す。
 と同時にシャトルがこちらに浮かび、そのまま――………。
「うわ」
 ネットに当たった。
「えー。私、構えてたんですけどー」
「……しょうがないだろ」
 コンコン、と(かかと)にラケットを当てて絵里がいたずらっぽく笑うと、悔しそうに祐恭が純也へとシャトルを放った。
「無駄口叩いてるヒマないぞ」
「どーだか!」
 はっ、と鼻で純也に笑ってから絵里が構えると、彼女に向かって鋭くスマッシュが入った。
「っく……!」
 少し後ろに下がって彼へと返すと、巧みに前後を狙って的確にシャトルを打ち込む。
 それが、いかにも彼に翻弄されているようで、絵里としては非常に悔しい。
「あーーもぉ!! あっちこっち、打つな!」
「それじゃお前、ゲームにならないだろうが!」
 再び純也と絵里が言い合いながらシャトルを打ち合っていると、再び羽織へ。
「おーらい」
 軽く声をかけて羽織がラケットを上げると、そのままで思い切りふたりの後ろへと打ち返した。
「アウトー」
 にやっと笑みを見せた祐恭に、羽織がにっこりと笑う。
「オンラインですよ」
「なっ……!?」
 純也とともに振り返ると、確かにライン内にシャトルが転がっていた。
 ……侮れなし、瀬那羽織。
 スポーツの匂いがしない彼女に瞳を丸くすると、相変わらず笑みを見せたまま。
 こんなところにとんだ伏兵が隠れていたとは、純也も祐恭も正直思わなかった。
「シャトルー」
「……あ」
 羽織の声で、ようやく祐恭が我に返る。
 ぽーんと軽くそれを放ると、器用にラケットの面で受け取ってから絵里に渡した。
 ……それ、どうやるんだ。
 てか、なんでラケットに跳ね返らないんだ。
 いろいろな疑問が頭を巡り、正直試合どころではない。
「はい」
「さ。反撃反撃」
 にやっと笑みを見せた絵里に、思わず男ふたりが喉を鳴らす。
 正直言って、ナメてた。
 顔を見合わせてから、目の前の敵を死ぬ気で倒すべく気を引き締めることにした。

「以上の結果、Aチーム優勝ペアの勝利になります」
 静かに響いた審判役の生徒の声で、一斉に観客に回っていた2組の生徒が声をあげた。
「うわぁーーい!!」
「おめでとー!」
「絵里、羽織っ! がんばった!!」
「ありがとー」
「これで、優勝間違いなしねっ!」
 それぞれに囲まれながら笑みを見せると、木陰で死にそうになっている男ふたりへ自然と目が行く。
 やはり、太陽を背にしているというのは非常に強い。
 もちろんコートチェンジはあるのだが、それでも前半の疲れが違うからか、随分と楽に感じた。
 このバドミントンの試合が終わった現在、残す種目は“教師同士の対戦”。
 生徒の種目は終わったので、これからいよいよ冬女名物の応援合戦が始まろうとしていた。
「じゃあ、先に行って着替えてるね」
「りょーかい」
 ラケットを手にしたままの絵里と羽織に声をかけた2組の生徒を、にっと笑って送り出す。
 姿が小さくなっていくのを見てから、ふたりは揃って木陰へと足を向けた。
「だらしないわね。やっぱり勝てなかったじゃない」
「……予想外の……ダークホースがいたんだよ……」
 荒く息をつきながら祐恭が見ると、羽織は苦笑を浮かべてごまかした。
 大したことはしてない。
 などとは、口が裂けても言えない。
「……疲れた……」
「………あー……死にそう……」
「ったく、だらしないわね。オッサンくさいわよ」
「お前らっ……18とは……体力が違うんだよ」
「……もー、帰りたい……」
 ぜーぜーと息をするふたりに絵里と羽織が顔を合わせてから、小さく笑ったのは言うまでもなく。
 ここまでくると、勝利の美酒に酔いしれるどころか逆に『かわいそう』に思ってしまうのは、優しさか、はたまた勝者の余裕か。
「それじゃ、私たちも準備あるから」
「……ああ」
「先生たちも遅れないでくださいね」
「……わかってる……」
 何年分かの体力を使い果たしたような顔をしている男ふたりに声をかけてから、絵里と羽織も揃って教室に向かう。
 いよいよ、クラス対抗の応援合戦。
 日永と伊藤の対戦を見るためにも、とっとと準備を終えて体育館に向かわなければならなかった。

「それでは、ただ今より3年2組と3年5組の首位決定戦を行います」
「京子ー、負けるなー!」
「せーの……あっちゃーん!!」
 それぞれのクラスの生徒に担任が手を振ると、さらに歓声が沸いた。
 試合種目はふたりが得意としている、卓球。
 広々とした卓球場には、テーブルがひとつあるだけ。
 ほかは応援の邪魔になるからという理由から、畳まれて隅へと置かれている。
「よし。……じゃあ、応援いくぞー!」
「おーっ」
 半ば団長と化している絵里が声をかけると、2組の生徒が手を上げた。
 まるで、カラスのように黒い集団だ。
 一方の5組は、対照的に白を基調としている。
 それだけで、華やかでかわいらしい印象になるから不思議だ。
「……アイツは」
 5組の副担任である純也は、あまりにもハマリ役としか思えないような絵里の姿に小さく苦笑を浮かべていた。
 ――……そう。
 これは、冬女の恒例イベントである、“仮装応援合戦”。
 5組の生徒たちは全員が白を基調としたエプロンを身につけていて、中には猫みみまで付けている者もいた。
 それだけではなく、何かのアニメにでも出てきそうな魔法ステッキまで見える。
「……せーのっ」
 5組の生徒のひとりが小さく合図すると、楽器を持っていた生徒が一斉にそれを鳴らし始めた。
 5組には、吹奏楽部の子が多くいる。
 そのため、応援の派手さにいたっては2組よりも断然上だった。
「……負けてらんないわよ!」
 それを見て、絵里が2組の生徒に声をかける。
 こちらは、全員が黒い服。
 というよりも、いわゆる“詰襟”だったりする。
 ちょうど、2組のハチマキの色は白。
 絵里のようにたすきを掛けている子もおり、遠めではまさに“応援団”の集まりにも見えた。
 だが、女の子の男装姿というか、こういった制服姿は……結構クルらしく。
 近くで見ている祐恭はもちろんだが、数名の男性教師もやはり同じように口元に手を当てていた。
 ……祐恭の場合は、特に思いが違うかもしれない。
 なぜならば、羽織が着ている詰襟は自分が中学のとき着ていた物だからだ。
 それですら大きいようで袖や裾を調整していたが、できあがって試着した時点で襲いかけた記憶が新しいせいか、やけに目が行ってしまう。
 これは本能だろうか。
「……やばい」
 目が合いそうになって視線を逸らすと、そんな言葉がつい漏れた。
「それでは、試合を始めます」
 その声で日永と伊藤ががっちりと握手を交わすと、見るからに互いの手には力が入ってますという雰囲気で。
 迫力と言うよりも見えない黒い感情がびりびりとあたりの空気を震わせた。
「よろしくお願いします」
「あらやだ、こちらこそお願いしますね」
「おほほほほほ」
「うふふふふふ」
 顔はにこやかな笑顔ながらも、手元はかなり震えているわけで。
 無事に終わるはずのない試合が今、幕を開けてしまった。


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