いつだって、彼女と一緒にいられる時間は穏やかで、あたたかくて。
 かけがえのない、本当に貴重で特別なモノ。
 ……なのに。
「…………」
 家に帰ってきてからも、彼女はやはり表情が重たかった。
 ……そんな顔をさせているのは、俺。
 未だに残る“泣いた”ことがすぐにわかる赤い目も、もちろん俺のせい。
 …………。
 ……ホントに、何してんだよ……。
 ソファに座ったまま、結局気の利いたことを何も言えていない現在。
 俺は本当に、彼女にとっての彼氏という立場にいる人間なんだろうか。
 ……本当に、6つも年上なんだろうか。
 何ひとつとして、彼女を癒すことができていないのに。
 なのに……あんなことを言って、彼女を泣かせて。
 いったい、何気取りだ。
「……羽織ちゃん?」
「っ……」
 所在なさげにキッチンへ立ったままだった彼女に声をかけると、一瞬びくっと肩を震わせた。
 ……その姿が、つらい。
 俺は彼女に安らぎとか癒しをもらっているというのに――……彼女へはいったい何を返しているというのだろう。
 ……そもそも、与えてやれているのだろうか。
 彼女に何か……プラスになるようなモノを。
「……そこじゃ寒いだろ? こっちおいで」
「…………ん」
 一瞬瞳を揺らして、何か考え込むような顔を見せた彼女が、ゆっくりとこちらへ歩いてきた。
 ……だが、当然彼女の表情は暗く、いつものような明るさも笑みも見受けられない。
「…………」
 そーっと……まるで何かを恐れているかのように、彼女が隣へ腰かけた。
 ――……だが。
 いつものように、俺のすぐ隣ではなくて……わずかに隙間が作られている。
 それが、何よりの証拠。
 彼女と俺の関係を微妙に狂わせた、愚かな行動の。
「…………」
「…………」
 いつ振りだろうな。
 こんなふうに一緒にいるのにも関わらず、これほど……他人行儀な時間をすごしているのは。
 ……彼女が初めて家に来たときだって、こんな雰囲気じゃなかった。
 となると――……今日が初めてか。
 それはそれで、欲しくもない記念だ。
「……あれ? ……新聞……」
 テーブルに置いたリモコンを取りながら探すと、朝置いた場所にそれがなかった。
 ばさばさと載っていた広告をどかし、探し――……始めたとき。
「……っ……あ!」
 まるで弾かれたかのように、彼女がキッチンへと向かった。
「これっ……ごめんなさい、あの……っ! あの、私……っ……使って……」
「……え? ああ、別にいいよ。ありがとう」
 両手でしっかりと新聞を持ってきてくれた彼女に手を伸ばし、受け取って広げる。
 ……だが。
 彼女はなぜか立ったまま、座ろうとしなかった。
「……? どうした?」
「……ごめんなさい……っ……私……」
「羽織ちゃん……?」
 視線を合わせずに呟いた彼女を見上げてから立ち上がり、顔を覗き込もうとしたとき。
 つい、習慣的に右手が出た。
 いつものように、頭を撫でる――……ために。
「っ……! ご……めんなさっ……!!」
 だが、ぎゅうっと瞳を閉じた彼女が、肩を震わせて胸の前で腕を合わせ、一歩あとずさった。
「……あ……っ……ごめ、なさ……」
 びくっと身体を震わせて俺を見上げた彼女は、眉を寄せたままで口に両手を当ててから、緩く首を振った。
 ……ああ。
 彼女をこんなふうにさせてしまったのは、紛れもなく俺自身だ。
 萎縮。
 彼女が俺に対してこんな姿を見せるなんて、これまでにあっただろうか。
 ……答えは、否。
 誰の目から見ても怯えているのは明らかで、こんな……戸惑った瞳を向けさせているのも事実。
 ……戦々恐々としている彼女なんて、俺のせい以外に何が考えられる?
 恐怖。
 畏怖。
 遠慮。
 敬遠。
 ……とてもじゃないが、今の彼女からはそんな言葉しか感じ取れなかった。
 すべて俺のせい。
 俺があのときあんなことを言ったから、彼女は……こうなってしまったんだ。
「……ごめん」
 彼女に伸ばした手をぎゅっと握り、自分へと戻す。
 ただただ、それしか言うことができなかった。
 ……触れることで彼女を恐がらせたら、意味なんてない。
 むしろ――……何かを耐えるかのような表情を見せられたら最後、俺はもう……立ち直れないかもしれない。
 だから、後悔した。
 あんなことをした自分を。
 ……そして、彼女を止めようとしなかった俺の弱さを。
「…………ごめん……」
 どうしていいのかわからない。
 そんな表情で瞳を揺らす彼女を見つめたまま、ため息が漏れた。
 ……どうしたらいい……?
 もしかしたら。
 ……もしも……このまま俺と一緒にいたら。
 彼女は――……壊れてしまうんじゃないだろうか。
 俺のせいで怯え続けて、常に……緊張しっぱなしでいたら。
 ……それだけは、避けたいと思った。
 たとえどんな理由であれ、絶対にそれだけは。
 だったらいっそ――……いっそのこと、彼女を離したほうがいいんじゃないだろうか。
 彼女にとって苦痛でしかない、この、俺の家という“ケージ”から。
 ……相手だって、そうだ。
 きっと、俺よりももっと優しくて、気の利いたことを言ったりしたりできるヤツのほうが――……彼女には相応しいんじゃないだろうか。
 傷つけたり、泣かせたり……怯えさせたり。
 そんなマイナスなことしかできない俺よりも、もっと……彼女をわかってやれるヤツのほうが……。
「…………」
 いったい、なんのための年上だ?
 彼女につらい思いをさせるだけしかできなくて、なんのフォローもすることができない……俺という“教師”が職の人間は。
「……は」
 …………ホントに、先を生きている意味がないな。俺は。
 あまりにも情けなくて、自嘲が漏れた。


ひとつ戻る  目次へ  次へ