「……愛が足りない」
 はぁ、とため息をつきながら窓の外を見ると、この時期のこの街らしい冷たい風が吹きすさんでいた。
 ……朝からツイてないと、一日ツイてないのかしら。
 頬杖をついたままもう1度ため息をつくと、一気に気持ちが沈む。
「何かあったの?」
「まぁね」
 目の前の羽織へ向き直らず、うなずいて返事をする。
 と、やっぱりくすくすといった小さな笑い声が聞こえた。
「……ちょっと。笑わなくてもいいでしょ?」
「だって、田代先生も同じような顔してたんだもん」
「……純也が……?」
「うん。さっきね、教室に入る前に会ったの」
 ……あー、なるほど。
 それで、そんなにおかしそうに笑ってるワケね。
 どうせ純也が私のことでグチグチ文句言ったんでしょ。
 そうよ。
 そうに決まってる。
 そうじゃなきゃ……私がここまで不機嫌になったりしないんだから。
「それで? 何かあったの?」
「あったもあった。大ありよ」
 ふいっと視線を羽織から逸らし、再び窓の外を見つめる。
 ――……と、ちょうど渡り廊下を歩いてくる某副担任様が目に入った。
 ……変わらず、なんつーかこー……『我何事にも関せず』みたいなすまし顔で歩いてくるわね。
 白衣のポケットに手を突っ込んだまま足早に歩いてくる彼を見ていると、どーしてもなんか……アレなのよ。
 他人に思えないっていうか、なんていうか。
「…………」
「……ん?」
「ねぇ、羽織。ちょっと……耳貸さない?」
「……えぇ……?」
 キッと羽織に向き直ってから浮かべてやるのは、にまぁっとした……じゃなくて。
 とってもとってもかわいくてにっこりとした、まさに満面の笑みってヤツ。
 ……くふ。
 いいこと考えちゃった。
 訝しげに眉を寄せて私を見つめた羽織を見ながら、どんどんと頭に浮かんだナイスアイディアが膨らんで、まとまって……そしてハッキリとした形を作る。
 まさに、コレ。
 コレをやるしかない。
 題して――……そうね。

 『ズバリどっちが女心を掴める彼氏でSHOW』

 みたいな。
 ……うん。コレでいこう。
「絵里、どうしたの? いったい……」
 両腕で自分の身体を抱きしめたまま、やっぱり不安そうな顔をしている羽織に、私はただただにっこりとした笑みを見せてやるしかできない。
 ……だって、ここで不安にさせたりしたらすべてがパアでしょ?
 羽織には、ちゃーんと最後まで付き合ってもらうんだから。
 絶対に、ね。

「……ねぇ絵里。ホントにやるの……?」
「あたりきしゃりき。やるって言ったら、最後までやる」
 化学準備室のドアを薄っすらと開けて中を覗いたまま、早数分。
 ただでさえ残りの昼休みは短いってわかってるんだけど、それでもやっぱり……若干ずばずばっと行動に移せないでいた。
 ……ううん。
 でも、やる。
 やるわよ私は、絶対に!
 なんてったって――……すべては、検証のためなんだから。
 ……やるって決めたんだから。
 昨日の夜の、あの純也の態度で。

「……くだらねー……」
「なっ……! そんなふうに言うことないでしょ!!」
「くだらないモンをくだらないっつって、何が悪い」
「えぇい、悪いわよ! 馬鹿!! 人が楽しんでるのにコケにするその根性が、絶対的に悪い!!」
 ――……あれは、夕食後にテレビの特番を見ていたときだった。
 いつもは見ないような類のモノだったんだけれど、それでもあのときの私は……まるで何かに導かれでもしたかのように、いつの間にか食い入っていて。
 気付いたら、最初から最後まで見てしまっていたのだ。
 この手の番組にしてはやけに説得力があって、いつもだったら馬鹿にする立場にいるであろう私も、このときばかりは納得して、沢山うなずいてて。
 『そうなのか』なんて思ったときだったから、純也に言われた言葉がものすごく悔しくて腹が立った。
 ……しかも、それだけじゃない。
 というのも――……実は、この特番っていうのは“恋愛”に関するモノだったからだ。
 自分だって1度や2度は、考えたことのある内容。
 どうして純也は私の気持ちをわかってくれないんだろうとか、どうして欲しい言葉をくれないんだろうとか……いろいろ考えてるのよ、私だって。
 だから、この番組を見れば少しは何かそういうことに関してわかるんじゃないかって思った。
 これを見れば、少しは――……純也に『かわいい』って思ってもらえるような子に、なれるんじゃないかって。
 ……いらない喧嘩だって、少しは減るんじゃないかって。
「……っ……」
 私は、そう思っていたのに。
「…………馬鹿」
「は?」
「馬鹿よ馬鹿! 大馬鹿よ、アンタは!!」
「っ……はぁ?」
 バンッと手に持っていたクッションを投げつけ、立ち上がると同時にピッと人差し指を向けてやる。
 ……くぅっ……。
 私はアンタのために、努力しようって思ってるのに。
 なのに……コイツ……!!
「純也の馬鹿!! もう知らない!!」
「な……んだよ、急に」
「知らん!! もう寝る!!」
「早っ! おまっ……まだ9時過ぎだぜ?」
「うっさいわね! いいのよ!! 9時だろうと寝るっていったら、寝るんだから!」
 クッションを両手で持ったまま眉を寄せている純也を思いきり睨みつけ、ダンダンと足音を立てながら寝室へ向かう。
 あーもーそうよ。
 どうせ、馬鹿なのは私のほうよ。
 うるさいわね! わかってるんだから、言わないで!!
「っくぅ……! ……こンの、あんぽんたんッ……!」
 少しだけ乱暴に寝室のドアを開けると、悔しい思いとともに――……やっぱり切ない気持ちもこみ上げてきた。
 ……いっつもそうだ。
 素直に甘えるとか、照れながら本音を言うとか……。
 そういうのって、ほとんどどころか……皆無に等しい。
 羽織みたいにかわいく言えたら、どれだけいいだろう。
 あの子みたいに、照れながらかわいく笑えたら………きっと純也だって同じように笑ってくれるだろうに。
 だって――……。
「っはー……。……かわいくないわよ、どーせ」
 後ろ手にドアを閉めると、明かりを点けていないのもあって、真っ暗な部屋にぽつんと独り言だけが響いた。
 ……どうすればいいワケ?
 私は元々かわいくないし、羽織みたいに上手に甘えることだってできない。
 私はいつだって誰かを『愛する側』であって、羽織のように――……『愛される側』ではなかった。
 ……かわいくないもんなぁ。
 それは自分でも、きっちりばっちりと自覚があるから否定はしない。
 ……でも。
「……しょうがないじゃない」
 だって、わかんないんだもん。
 どうすればいいのかっていう、その方法が。
「………………はあ……」
 ずるずると背中をドアにつけたまましゃがみ込むと、自然に頭を抱えるような格好になっていた。
 ……どうしよっかなぁ……。
 とりあえず――……いろいろ、あがいてみる?
 真っ暗な部屋の中に幾つか浮かび上がっている光を見つめたままで、そんな自問をしていた。


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