「失礼しまーす」
 がたがったん
 がちゃーん
 ぱりーん
 にっこりという音が聞こえるんじゃないかというくらいの笑顔でドアを開けた途端、少し離れた場所から立て続けに大きな音が聞こえた。
 ……失礼ね。
 っていうかまぁ……むしろ、素直な反応だとでも言うべきかしら?
 にこにこと顔に張り付いてるんじゃないかと思うくらいの笑顔を崩さずに足を進めると、そんな私を見てものすごい形相をしたふたりが目に留まった。
「あのーぉ実はーぁ、おふたりに朝のおやつ作ってきたんですよー」
「……え……絵里……?」
「絵里ちゃん……?」
「なんでー、食べてもらえますかー?」
 にこにこにっこり。
 そしてついでに、“きゃぴ”なんて音が聞こえそうな仕草で首をかしげてみる。
 さらりとした髪が頬へかかり、久しぶりの感触がくすぐったかった。
 ……そう。
 そうなの。
 実は今の私は――……普段の倍くらい髪の長さがあったのだ。
 理由は、ちょー簡単。

 『知り合いの美容師に、やってもらったから』

 今は何かと便利な世の中で。
 見た目はもちろんだけど、髪の長さだって自由自在に変えられる。
 ……ふ。
 これもすべては、おばあさまの人脈のお陰。
 若い男の人の知り合いがなぜか多い彼女には、数え切れないくらい助けてもらってる気がする。
「でー。食べてもらえるんですかー? もらえないんですかー?」
「……いや、だから……え? っと……絵里ちゃん……?」
「………………はぁ」
 羽織のようなくりくりっとした瞳を真似て上目遣いに見つめ、祐恭先生に首をかしげてやる。
 すると、すぐ隣から大きな深いふかーいため息が聞こえた。
「……絵里」
「なんですか?」
「お前……またそーゆー馬鹿なことしてんじゃねーって……」
「……馬鹿……?」
 頬杖をついて呆れたように私を見た純也に、ぱちぱちまばたきを見せてやる。
 …………。
「っ……な……!」
「ひどい……っ……純也、ひどい……っ」
 ぼろっと、涙がこぼれた。
 もちろん、かわいく見えるように両手で作ったこぶしを、顎元に当てて。
 ……ふ。
 カンペキダ。
 これなら、どこからどう見ても『かわいい子』にしか見えないはず。
 多分。
「…………」
「…………」
 まるでものすごくヘンな物体でも見るかのようなゴツい顔してるふたりは放っておいて、とにもかくにもこの行動を続けてやる。
 ……手のひらに忍ばせた涙の素を、こっそりとエプロンのポケットにしまってから。
 あ。そうだ。
「……えへ」
「…………なんだよ……」
 ぐしっ、とわざとらしく涙を拭ってから、にっこりと頬に手を当てて――……ドアを振り返る。
 もちろん、ひらりとスカートが浮かぶようにいろいろ計算をした上で。
 ……ぐふふ。
 祐恭先生、今のうちよ?
 そんな、ものすごく怪訝そうな顔してられるのも。
 なんせ――……このドアの向こうには、めちゃんこかわいい教え子が待ってるんだから。
「羽織ー。入っておいでー」
「……え……?」
 口元に手を当てて、大きな声で呼んでやる。
 ……ふ。
 案の定、名前を呼んだだけで反応見せたわね。
 やっぱり祐恭先生らしいというか、なんというか。
 っていうか、何気に純也まで『何!?』みたいな顔したのがちょっと笑えるんだけど。
「……し……失礼、します……」
「ッ……な……!?」
「は!? ……え、羽織ちゃ……!」
 おーおー。
 私が姿を見せたときには、まったく微塵も見れなかった光景。
 それが、今まさに私の目の前でしっかりと繰り広げられていた。
 ……まぁ、無理もないでしょうね。
 だって、昨日の夜からこの羽織の姿を目にしている私でさえ、ヤバいって思ったんだから。
「……っ……ぅー……」
 ものすごく照れまくってるのが、誰の目にも明らかな表情。
 そして、困ったように視線を落として俯いたままの姿。
 ……で。
 極めつけは、これまでこのふたりが見たこともなかったであろう――……この髪型。
 ……ヤバい。
 ちょーかわいー。
 っていうかなんていうか……むしろ私にとったら、ちょっと懐かしい気もするんだけどね。
 だって羽織ってば、中学のころたった一度だけこんなふうにショートにしたことがあったから。
「……せんせぇ……そんなっ……見すぎ」
「いや、だってさ……すげ……かわいい……」
「……ぅー……」
 驚いたままで瞳を丸くしている祐恭先生と、そんな彼を真正面からやっぱり見ることができていない羽織。
 ……貴重。
 っていうか、やっぱり似てるっていうか。
 思わず、ふたりを見たまま口が閉じる。
 たとえるならば、アレね。
 まぁ――……早い話が、今の私と羽織それぞれの髪型を取りかえっこしたって感じ?
 さらりと頬に髪が沿って流れ、独りでににやっとした笑みが浮かぶ。
「……で。食べてくれるんですか? くれないんですか?」
「……お前はいったい何を作ったんだよ……」
「だからー。おいしいおいしい、マフィンでーす」
 耳に髪をかけながら笑うと、心底訝しげな顔のままの純也が、手にしていたトレイからひとつ取った。
 ……あら。
 大丈夫よ? そんな顔しなくても。
 だって、このマフィンは正真正銘、羽織お手製のモノなんだから。
「はい、祐恭先生もどーぞ」
「え? ……ありがとう」
 にっこり笑って、マフィン・オンザ・トレイを差し出す。
「…………」
「…………」
 未だに残る、もやがかかったかのようなハッキリしていないような雰囲気。
 そんな中で、目の前の教師ふたりは――……アイコンタクトをしたかのように、小さくうなずいた。
 それにはいったい、どんな意図が含まれていたんだろう。
 まぁさすがにそこまではわからないけれど、でも………きっと私が聞いたら手放しで喜べるようなことじゃないってのだけは、なんとなーくだけどピンときた。
「どうぞー。おいしいですよー?」
「……です……」
 相変わらず困ったように照れている羽織を横に立たせたまま、にっこりと首をかしげてみせる。
 ……そうよ。
 どんな顔してたって構わないから、取りあえずソレを食べなさい。
 しげしげと手にしたマフィンと同じく私たちふたりを見比べる彼らを見たままで、当然の如く内心ではそんなことをずっと考えていた。
 だって、そうでしょ?
 羽織お手製のそのマフィンの最後の仕上げをしたのは――……ほかでもない、この私なんだから。

「召しあがれ?」

 両手を彼らふたりにそれぞれ伸ばして手のひらを見せ、改めてにっこり笑いながらかわいく告げる。
 ――……神のご加護があらんことを。
 私が手を下したことなんてまったく知らない羽織を見てから口づけたふたりに、自然と瞳が細まると同時に口角が上がった。


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