「………………」
 どれくらい経っただろうか。
 そう思って、ふと時計を確認すると……16時近く。
 俺はどうでもいいが、問題は彼女。
 さすがに、このまま何も飲まず食わずの状態はよくないだろう。
 そう思って、パソコンの電源を落としてから彼女を振り返ると、汗はそれほどかいてないようだが、依然として具合が悪そうにしていた。
 ……そうそう。
 冷却シート換えないとな。
 それをしてから、ちょっとコンビニまで行ってくるか。
「…………」
 よく寝ている彼女に手を伸ばし、そっと冷却シートを剥がす。
 ……相変わらず熱があることをしっかりと示している、ジェルがほとんど残っていないシート。
 新しい物のフィルムを剥がし、彼女の額に当てる。
 ――……と。
「……ん……」
 うっすらと瞳を開けて、彼女が反応を見せた。
「あ。ごめん……起こした?」
「ううん、平気…………気持ちいい」
 額に当てた冷却シートを指で触って、再び瞳を閉じる。
 相変わらず、頬が赤い。
 熱もまだあるみたいだし……ひとまず水分補給だな。
「ちょっとコンビニまで行ってくるけど、何か欲しい物とかある?」
「……え……? 先生……行っちゃうの?」
 いつもと違う、弱い声。
 そんな声で、ひどく不安そうな顔をされると……たまらなくつらい。
「すぐ帰ってくるから。ね? 少しでも何か食べないと――」
「いらない……いらないから……っ。先生……行っちゃヤダ……っ」
「っ……羽織ちゃん……?」
「行かないで……やだっ、ひとりに……しないで」
 つらいはずの身体を動かして、彼女が精一杯の力で抱きついてきた。
 途端に感じる、熱い身体。
 相当熱がこもっているらしく、これはやっぱりつらそうだ。
 ……ずっと何も飲んでないし……。
 そうなると、少しでも何か飲ませたほうがいい。
 汗だってかいてるし、喉も渇いてるだろうし。
 ……なんだ、けど。
「すぐ、帰ってくるよ。そんな、どこかに行くわけじゃ――」
「でも、でも……やなの……行かないで。何もいらないから……っ」
 いつもよりずっと華奢に感じる身体。
 そんな身体で擦り寄られ、苦しくなる。
 当然、こうしてそばにはいてやりたい。
 けど、少しでも……早く楽になってほしい。
 ……参ったな。
 ひとりで置いていくのは心配だし……不安だ。
 だからといって、彼女を連れてなんて行けるわけもない。
「大丈夫だよ。すぐ、帰ってくる。ほら、あのコンビニ……わかるよね? すぐそばの、あそこ。飲み物だけ買ったら、すぐに帰ってくるから。……ね?」
「……けど……」
 視線を合わせて呟くも、変わらず今にも泣き出しそうな瞳のままだった。
 熱のせいで潤んでいるのは頭ではわかるのだが、こんなふうに甘えられてそんな瞳を向けられると、どうしても見入ってしまう。
「すぐ帰ってくるって。5分。5分で戻ってくる。……な?」
 落ち着かせるように髪を撫でてやりながら囁くと、じぃっと瞳を見つめて何かを考え込んでから…………ゆっくりと首を縦に振った。
「っ……」
「すぐ……帰ってきて……?」
 立ち上がろうとしたとき、彼女の手が服の裾を捉える。
 今にも崩れそうな、儚い印象。
 病気で弱っているからこそ、余計にそう思う。
「すぐ帰ってくる。何かあったら、電話して。……わかった?」
「……ん」
「じゃあ、行ってくるよ」
 ベッドへ寝かせてやってから頬に軽く口づけ、枕元に彼女のスマフォを置く。
 すると、少し不安そうな顔が和らいだように見えた。
 リビングに向かい、間仕切りに立ってから――……1度振り返ると、やっぱり目が合った。
「……すぐ、帰ってくるって」
「うん……」
 ものすごく後ろ髪を引かれるな。
 今にも泣きそうな瞳ですがられたら、当然か。
 子どもというかペットというかを置いていくのは、こんな気持ちかもしれないな。
 財布とキーケースを掴んで玄関に向かい、玄関をあとにする。
 早く帰ってこないとな……。
 じゃないと、家に帰ったら泣き出していそうで、本気で不安だった。

 不安に駆られながらコンビニに向かい、とっとと物資を調達する。
 とりあえず、スポーツ飲料といくつかの浸透性の高そうな飲み物。
 あとは、惣菜……って、食えないだろうけど。きっと。
 そんなとき、アルミの容器に入っている鍋焼きうどんに目が行く。
 ……これなら、作れるかも。
 しげしげと見つめてからそれをカゴに入れ、レジへと向かいかけて……棚を折れる。
 桃缶、食ってたっつってたしな。
 少しでも食える物があれば、というわけで缶詰もカゴへ入れ、清算を済ませる。
 ほとんどが飲み物のせいか、結構な重さがあった。
「…………」
 どうか泣いていませんように。
 袋を両手で持ち、見えているマンションまで早足で戻る。
 さすがに、5分てわけにはいかなかったか。
 スマフォを取り出して時間を見ると、マンションに着くころには15分ほど経っていた。
 ……泣いてないだろうな。
 ふと、枕をひとり濡らしている様子が目に浮かんでいまい、エレベーターを降りてからは駆けていた。
 さすがにここまでで、彼女の姿はない。
 ということは、大人しく……というかまぁあれだけ具合悪そうだったんだから当然だが、家にはいてくれているようだ。
 アルコープの門扉を開け、ドアに鍵を差し込む。
 ――……が。
「っな……!」
「……せんせぇ……!」
 ドアを開けた途端、目が合った。……へたん、と玄関に座り込んだ状態の彼女と。
 さすがに毛布をかぶってはいるが、身体を起こすのすらつらいはずの彼女が……ここまで起きて歩いてきたというのが信じられなかった。
 だが、目の前にはしっかりと本人がいるわけで。
「何してるんだよ! ちゃんと寝てなきゃダメだろ!?」
「だって……ぇ」
 慌てて荷物を下ろしてしゃがむと、先ほどと同じように彼女がすがりついてきた。
 ぎゅうっと力ない身体を精一杯に動かしての、アピール。
 ……熱があがってるな。
 先ほどよりずっと熱く感じられて、たまらず眉が寄る。
「……頼むから、無理しないでくれ」
「だって……だって、先生……帰ってこないんだもん……!」
 涙声でそんなことを言われたら、こっちが泣きそうになる。
 ……だが、まさかの的中とは。
 参ったな。どうやら、かなり弱っているらしい。
「……ごめん」
 抱き上げてやってから寝室に向かい、そっと下ろす。
 だが、荒い息をついて横になるものの、瞳は合わせたままだった。
 よほど不安だったのか、服の裾を離そうともしない。
 ……ひとりきりにしたのは、やっぱりマズかったかもしれない。
「何か食える? あと、結構ジュースとか買ってきたから、飲めたら飲んでほしいんだけど……」
「……ん。飲む」
「じゃあ、ちょっと――」
「! や……!」
 玄関に置いたままの荷物を取りに立ち上がろうとすると、慌てたように彼女が身体を起こした。
 と同時にこぼれる、涙。
 思わず、ぎくりと身体が強張る。
「っ……大丈夫だって、そんな……ちょっと荷物取ってくるだけだから。な?」
「いらないっ……いらないから……行かないでっ……」
 緩く首を振って、瞳を合わせたままでの懇願。
 ……マジか。
 確かに、病気のときは人恋しくなるというし、精神的にも弱くなるというのはある。
 だが、彼女の場合はこっちが甘えてほしいと願っても、そこまで甘えてくることはなかった。
 まず、ワガママを言わないし、振る舞いもしないし。
 ……それがどうだ。
 風邪で伏せっているからという理由かどうかはしらないが、この甘えっぷり。
 というか……俺を必要としてくれているというか。
 普段の彼女からは想像つかない、この様子。
 常にそばへいてあげないと死んでしまいそうな、本当のうさぎのように思えた。
「……わかった。そばにいる。……だから、少し休もう。ね?」
「絶対……? ……もぉ、独りになるの……やだ……」
「大丈夫だって。もう、どこにも行かないから」
 寝かせてから手を握ってやると、案の定結構な熱がこもっていた。
 できれば、少しでも何か食べて薬を飲んでほしいんだが……すべては、彼女がひと眠りしてから、だな。
 それまでは、こうしていたいというか……してやりたい。
 涙を拭ってやって髪を撫でると、すぅっと息をつくように瞳を閉じた。
 ……だが、相変わらず呼吸は荒い。
 寝てるだけじゃよくならないのは重々承知しているが、今の状況で彼女を放っておくわけにもいかず。
 まずは、彼女を落ち着かせるのが最優先だ。



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