目の前に並ぶ、先ほどのコンビニで調達した食材。
 いや、正確にはもうコンロにかけるだけなんだろうけど。
 ようやく解放されてキッチンに立つ現在なんだが、はたして彼女が食えるかどうか。
 …………とりあえず、聞くか。
 こういうときの頼みの綱は、やっぱりお袋。
 記憶に間違いがなければ、風邪引いたときに粥を作ってくれたのは彼女だったと思う。
 いくら料理がダメでも、まぁ粥くらいは作れるだろ。
 スマフォを手にしながら鍋焼きうどんのフィルムを眺めていると、ほどなくして元気そうな声が聞こえた。
「もしもし。あのさ……粥ってどうやって作ったらいい?」
『粥? ……って、お粥? なんでまた。どうしたの? 風邪でも引いた?』
「いや、俺じゃなくて羽織ちゃんなんだけど……」
『……あらぁ……かわいそうに。ちゃんと看病してあげてるの?』
「まぁ、そこそこ」
『そこそこって……。んー、早くよくなるといいわね』
「ああ。そうだな」
『それじゃあね』
 ……って、おい!!
「だから! 粥はどうした、粥は!」
『……あ。そうかぁ。ごめんごめん』
 ごめん、じゃねぇだろ!
 危うくペースに巻き込まれたまま電話を切るところだった。
 昔からそうだ。
 マイペースというかなんというか。
 ……我が親ながら、マイウェイ驀進するタイプだよな。
『えっとね。まず、お米1合を洗うでしょ? で、それをお鍋に入れて、お水入れて、煮るだけ』
「……大雑把な説明だな。水って、どれくらい入れるわけ?」
『え? そうねぇ。適当で平気じゃない? 少なくとも、お米がお粥になるくらい』
「だからっ! それはどれくらいだって聞いてるんだろ!」
『どれくらいって……。もー、これだから学者はイヤねぇ。だいたいでいいのよ、だいたいで。お米の倍……ああ、7倍くらい入れたら?』
 …………学者はイヤだとか言われても、こっちが困る。
 つーか、むしろそういう大雑把すぎる母親のほうがイヤだ。
「7倍か。わかった」
『あら、何よ。祐恭が作るの?』
「ほかにいないだろ? 何を言い出すんだ」
『へぇ、そぉ。まぁ、火傷に気をつけなさいね』
「……俺はそこまで子どもじゃないぞ」
『はいはい。それじゃあ、羽織ちゃんが元気になったら、また遊びにきなさいね』
「ああ、わかった。伝えとく」
 ようやく終わった電話をシンクに置いてから、鍋を手にする。
 で、米を――……。
 米?
 ……あれ。
 自分の家なのにどこに米があるかわからないってのは……問題だよな。
 勝手知ったる我が家ならばと連れてきたのはいいが、これじゃああまり変わらない。
 とりあえず1番最初にするべきことは、目的の米探しとなってしまった。
 シンクの下、冷蔵庫、キャビネット……。
 ……あれ? どこだ?
「! ……ってぇ……っくそ」
 しゃがみこんでいろいろやっていると、棚からカレーやら何やらの箱が落ちてきた。
 だからって何も、角が当たる事無いだろ。
 ……まぁ、自分が悪いんだから何も言えないけど。
 米を捜索し始めて、約10分。
 ようやく見つけたのは、普通にキャビネットの横のストッカーの中だった。
 灯台下暗しってのは、このことだな。
 散乱したほかの物を棚に戻してから、米を1合鍋に入れる。
 それにしても、米をとぐのなんて、久しぶりだ。
 水を入れながらそんなことを考え、とりあえずとぐ。
 濁りがなくなるまでっつーけど、まぁ、4回替えりゃ十分だろ。
 水気を切ってから、計量カップで水を計り…………7倍だっけ?
 まぁ、いい。
 適当でいいって言ってたしな。
 結局は、自分もあのお袋の子どもだと実感しながら、鍋を火にかける。
 どの位で食べれるようになるものなんだろうな……。
 とりあえず蓋はせず寝室に向かい、彼女の様子を見るべく足を向ける。
「…………」
 相変わらず、苦しそうに呼吸をしながら眠っている彼女。
 先ほどと違い汗はかいていないが、まだまだよくなる気配はない。
 ……起きたら、少しでもメシ食わせて、薬飲ませて……着替えさせないとな。
 ベッドにもたれながらそんなことを考えていると、遠くから何やら物音が聞こえてきた。
「…………?」
 誰か来たの……とはまた違う。
 ……なんだ。
 なんとも形容しがたい音がしてるな。
 不審に思ってリビングに戻る、と――……。
「っ! うっわ!!」
 鍋がふきこぼれてた。
 慌ててキッチンに向かい、火を消す。
「っち……!」
 慌てているせいで鍋を触ったらしく、水で冷却。
 ……まさかこれごときで火傷までするとは……。
 無残な鍋を見てからため息をつき、今度は弱火で鍋に付き添うことにする。
「…………はあ」
 冷蔵庫にもたれながら見守っていると、今度はふきこぼれることもなかった。
 ……それにしても、料理ってのは大変だな。
 ため息しか、出てこないのは……まぁある意味仕方ないことだろう。

「……どう?」
「ん、おいしい……」
 いつもよりずっと弱くではあるが、見せてくれた彼女の笑み。
 それで、心底救われた。
「…………よかった……」
 大きく息をついて笑みを見せると、嬉しそうに彼女が手を伸ばした。
「先生が作ってくれたんですか……?」
「うん。だから、味の保障はできないけど」
「ううん……とってもおいしい」
「それはよかった」
 彼女にそう言ってもらえると、心底ほっとする。
 やっとできあがった粥は、粥というより軟飯と化していた。
 だが、それでも文句ひとつ言わずに食べてくれる彼女は、本当にありがたいと思う。
 ……いや、むしろ文句言ってくれたほうがいいのかも……この場合。
 鍋焼きうどんはフィルムに作り方が書かれているからいいものの、粥はな……。
 とはいえ、買ってきて思ったが、さすがに今の彼女に油ぎとぎとのアレを食わせるわけにもいかない。
 そう思っての“軟飯”だったが、少しでも元気が出たように見えてちょっとほっとする。
「……先生は……?」
「ん?」
 粥を飲み込んでから見せる、不思議そうな瞳。
 ……俺?
「ごはん……どうするんですか?」
「ああ、それか。大丈夫だよ。なんでも食える」
「でも……」
「今は、俺の心配より自分のことだろ? ……早く、よくなって」
「……ん」
 頬を撫でてやると、いつもより儚い印象ながらも、柔らかい笑みを見せた。
 ……本当に、早くよくなってほしい。
 普段の彼女ですら華奢なのに、風邪を引いたりすると……今にも壊れてしまいそう。
 だから、余計に不安でたまらなくなる。
 なんとかメシを少しながらも食べてくれた彼女に、水の入ったグラスを渡す。
 実家のお陰で困らない、薬類。
 特に、一般向けとは違って病院薬があるから、その点は助かる。
 これでも応用化学を学んできたから、どれがどういう効用かはだいたいわかるわけで。
 少し弱めの薬を渡すと、素直にそれを飲んだ。
「少しは熱も下がると思う。……けど、寝る前に着替えようか」
「……ん」
 髪を撫でてから立ち上がり、着替えを取りにリビングへ。
 ……あー、そうか。
 風呂、入れないもんな……。
 せめて、身体だけでも拭いてやらないと。
 服を置いてから洗面所に向かい、洗面器に湯を張ってタオルを浸す。
 それらを持って寝室に向かうと、少し落ち着いているような彼女が見えた。
「っ……」
 俺が入った途端、ほっとしたような笑みを浮かべたのが見え、思わず喉が鳴った。
 ……相変わらず護ってやりたくなるような反応すぎる。まったく。
「ちょっと、寒いかもしれないけど……」
「んん、平気……」
 寝かせたままでボタンを外していくんだが、これは…………ヘンな気分だ。
 これからコトに及ぶわけじゃないのは十分わかってる。
 わかって、るんだが……。
「…………」
 平常心ってわけにはなかなか、ね。
 こればっかりは、頭と身体は別。
 たまらず視線が落ちる。
「……脱げる?」
「ん……。平気……」
 だるそうにしながらも、腕を抜いてくれる彼女。
 ……が。
「せんせ……?」
「……あ、ごめん。じゃあ、身体拭くか」
 慌ててタオルを手に取り、固めに絞ってやって背中に当てる。
 ……小さい背中だな。
 片手で髪をまとめてくれているお陰で、すんなりと拭けた……が、問題はここから。
「…………ごめん」
「あ……」
 仰向けにさせ、首から――……胸元へタオルを当てると、どうしたって視界にはいろいろ入るワケで。
 見ないように、とは思っていても、どうしたって目がいく。
 そのたびに手が止まりそうになり、自分自身がなんとも情けなかった。
「……ん……」
「っ……」
 ときおり漏れる声さえも、艶っぽくて信念が揺らぐ。
 ……しっかりしろよ、俺。
 彼女は、病人なんだぞ?
「…………」
 淑やかな身体は、まるで彼女を抱いたあとのように、ほんのりと赤みを帯びている。
 これが熱によるものだというのは十分わかっているのだが、なんともいえない艶っぽさがあるわけで。
 荒い呼吸と同時に上下する胸にも、どうしたって目が行く。
 ……とはいえ。
 こんな状態の彼女に手を出すわけにもいかず。
「…………はぁ」
 たまらず小さなため息をつき、封印よろしく、服を着せる。
 上着を着せてから、今度はズボンへ。
 ……しっかりしろよ、俺。マジで。
「ん……脱げます……」
「っ……ありがと」
 彼女の協力を得て下着とズボンを替えてから、再度念を押すように布団をかけて封印。
 ……危うい。
 なんか、激しくみっともないな。
 ため息を大きくついてから荷物を手に、洗面所へ。
 彼女はというと少しは落ち着いたようで、寝室を出るとき振り返ると瞳を閉じて睡眠体勢に入っていた。
 ……俺も、シャワー浴びるか。
 もしかすると、今日はいろんな意味で結構厳しいモノになるかもしれない。
 我ながら不謹慎だとは思うが、こればっかりは……どうしようもないわけで。
 意外と脆い理性を、改めて実感した。


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