「お。お疲れさん」
「こんなところにいたんですか」
「なんだよー。それじゃまるで、俺がさぼってるみたいじゃない」
「いや、そうは言ってませんて」
 放課後となると、辺りには急に音が湧く。
 窓を開けて練習している吹奏楽部の楽器音がもっとも大きいが、離れているはずのグラウンドでやっているらしい運動部の声も聞こえてきて、自分の学生時代とそういうところは変わらないんだなと妙に納得もした。
「祐恭君てさー、それ好きだよね」
「好きというか、まあ、コーヒーが苦手なだけなんですよ。飲んだ後の口がマズいっていうか」
「俺はその後味が好きなんだけどなー」
「孝之も同じこと言ってましたよ。ただ、アイツは割と甘めの飲んでますけど」
「甘い缶コーヒー飲める人間は、ほんとすごいと思うよ。置いといたら、アリがたかるんじゃないかってくらい砂糖入ってるのとかもあるじゃん。急に血糖値上がると、俺ヤバいわ。クラクラして寝ちゃう」
「気持ち、少しだけわかりますね」
 ベンチと呼ぶには心もとない、だいぶグラつきのある場所へ腰を下ろした純也さんが、ブラック缶コーヒーのプルタブを起こす。
 音と同時にコーヒーの香りがただよい、自分の無糖紅茶が一瞬苦く感じた。
「あ」
「あ」
「あ?」
 乾いた音がして振り返ると、つい今しがた噂をしていた人間が財布片手に歩いてきた。
 思わず純也さんと顔を見合わせ、自販機前に立った孝之を、見守るというより凝視。
 すると、次の瞬間純也さんがひどく疲れた声を漏らした。
「孝之君って、ほんと裏切らないよね」
「なんの話すか」
「それ、練乳って書いてない? 気のせい?」
「甘いっすよ。超絶。パックのコーヒー飲料よりも、ずっとか甘いヤツっすね」
 飲みます? と差し出された右手を、純也さんが叩きつける勢いで拒否した。
 よっぽどの顔をしていたようで、『ンな顔しなくても』と孝之が笑う。
「俺も、すげー疲れたときしか飲まないすけどね。3か月分の授業準備した気分なんで」
「いいことだな」
「……お前は黙っとけ」
「たまには、教師らしいことするじゃないか」
 視線を合わせず言ってやったのに、あえて絡んでくるとかお前、どんだけ絡む気満々なんだ。
 ああ、そうか。
 そういえばコイツは、意外とかまってちゃんなのかもしれない。
「あらあら。いい男が3人も揃って、小休止?」
 張りのある、凛とした声。
 振り返るまでもなくわかったのは、俺だけではなかったらしく、背中を向けていた孝之が『そういえば』と切り出した。
「櫻子さん、今朝の釣り銭はワザとすか?」
「やぁねぇそんなことしないわよ。たまたま。ちょうど、あんまりきれいじゃない10円玉しかなかっただけ」
 くすくすと笑いながら姿を見せたのは、この学校の売店の店主、櫻子さん。
 永遠の20歳”を謳っているとあって、それこそ20代前半と思えるようなときもあれば、俺よりずっと先輩に見えるときもある、不思議なひとだ。
 生徒たちの間では、櫻子さんの七不思議”なんてものまでささやかれているとか、いないとか。
 ……そういえば、たまに校長とか理事と話しているのも見かけるんだよな。
 七不思議のひとつ『教職員や生徒の実態、噂、裏事情等々を知る情報通。学校の影の権力者』というのも、あながちすべて嘘ではないのかもしれない。
「櫻子さんて、地元冬瀬なんすか?」
「ええ。それこそ、七ヶ瀬大学ができたときも知ってるわよ」
「ぶ! まじすか!」
「……あ。瀬那君、今年齢計算しようとしたでしょ。そういうことしてると、もう二度とこっそりタバコ仕入れてあげないから」
「ちょ、なんでそうなるんすか! 俺何も言ってないって」
「言ってなくても顔に書いてあるのよ。あーあ。雪江ちゃんに言ってやろーっと」
「っ……なんでそこでお袋……! つか、櫻子さん人脈広すぎだって。しかも年齢層もハンパねーし!」
「ふふ。秘密のルートがあるのよ。人脈こそ金ですからねー」
 ほほほ、と笑った彼女はやたら妖艶さを漂わせる。
 仕草といい、雰囲気といい、どこからどう見ても女性そのものなのだが、先日校長と話し込んでいたときは、彼を叱りつける兄貴のように見えたからやはり謎多き人なんだろう。
「で? 瀬尋君は、噂の妹君に会えたの?」
「え……」
 まったく想定外のことを言われ、目が丸くなったのを見られた。
 にやりと笑った顔は、ああ……もう番長ですね。
「なんで知ってるんですか。俺、誰にも言ってないのに」
「ふふー風のたよりでちょっとね。くふふ。かわいいわよー? 羽織ちゃん。雪江さんっていうより雄介さん似の、かわいくて素直な子だし」
「……へぇ」
 いわずもがな、孝之の父上であり高校時代の恩師の名前に、声が漏れる。
 実際、孝之の妹ってだけでも十分興味はあるのだが、そういえば、瀬那先生の娘さんなんだよな。
 メリハリのきちんとある人で、担任としてだけでなく、部活の顧問としても3年間大いに世話になった人。
 ……の、娘さん。
「…………」
「なんだよ」
「いや、お前って……なんでもない」
「ンだよ! 気になるだろ!」
 いろいろ言いたいこともあるが、まぁ、口に出したところで何が変わるでもない。
 と思っていたら、櫻子さんがにっこり笑った。
「瀬那君は、ちょーっと葉月ちゃんに対して過保護すぎよねぇ?」
「……別に過保護じゃないっすよ。あんなもんでしょ。こっちに帰ってきたばっかなのに、ふらふら出歩くとか信じらんねぇ。こないだも、歩いてあのモールまで行ったんすよ? 無謀じゃないすか?」
「やぁねぇ。かわいくてかわいくて仕方ないんでしょ」
「っ……そんなんじゃないっすよ」
「いーのよ無理しなくたって、ちゃーんと本心は見えてるんだから。それにしたって、かわいい子には旅をさせよって言うじゃない。まぁもっとも? 葉月ちゃんの場合は、ひとりで歩いてたら悪い虫が寄ってきちゃいそうだけど」
 今、小さな小さな声で『君以上に』と聞こえたのは気のせいか。
 ひょっとしたら、純也さんや張本人には聞こえなかったのかもしれない。
 視線だけをこちらへ向けた櫻子さんは、意味ありげにウインクしてみせた。
「ね? 田代君は羽織ちゃんのこと、よーく知ってるでしょ?」
「へ? あーええまあそれなりに」
「そうなんですか?」
「うん、まぁなんていうか……うん。いろいろと?」
 まったく警戒していなかった純也さんが、櫻子さんのひとことで挙動不審に。
 にこにこと笑っている彼女に対し、なぜか純也さんは目を合わせようとしない。
 だが、櫻子さんには理由がわかっているようで、両手を後ろに組んだまま、つつっと彼へ近づいた。
「絵里ちゃん元気そうでよかったわぁ。おばあさまも心配なさってたのよー? だから、私もちゃんとお伝えしておいたから、安心して」
「っ……ごほごほ! 櫻子さ……えぇえ? どこまで知ってるんですか?」
「うふふ。全部」
 にっこりと音が聞こえたどころか、語尾にハートマークまで見えた気がする。
 目が疲れているわけではなく、どちらかというと、目に見えないチカラが働いたような……いやまさかそんな。
 だが、純也さんのうろたえぶりを見ていると、彼をここまでさせるだけの力があるというだけで、十分なすごい人だと改めて認識する。
「……ん?」
 声がしたのは、そう。
 だが、聞き覚えのあるということを踏まえれば、放課後でただ聞こえる生徒の声でなく、ある意味身近な人間とでもいえるかもしれない。
「絵里先輩、それってどうかと思います!」
「あー、みゆきならそう言うと思った」
「どういう意味ですか?」
 4,5人の生徒のかたまり。
 そのうちのひとり、いちばん背の高い皆瀬絵里のすぐ隣で、険しい顔をして詰め寄っているのは、1年の倉田みゆき。
 眼鏡をかけており、セミロングの髪は緩やかにウェーブがかっている。
 見た目は大人しく優しそうだが、洞察力に優れ冷静に物事をよく見極める力がある。
 だけでなく、先輩だろうと教師だろうと、真っ向から意見をぶつけてくる、おもしろい生徒だ。
「どういうって……そのままの意味でしょー。ほんっと、真面目なんだから」
「真面目なことは悪いことではないですよね?」
「そういう意味じゃないんだけど……うーん……あ。いいところに」
 『発見!』と声をあげた絵里ちゃんは、明らかに純也さんを指差した。
 当然のようにそちらに気づいていた彼は、たちまち嫌そうな顔をしたが、お構いなしらしい。
 小走りで近寄ってくると、何かを察知して去ろうとした彼のシャツを掴む。
「ねえ、純也に聞きたいことあるんだけど!」
「俺を呼び捨てで呼ぶな! というか俺を巻き込むんじゃない!」
「なんでよ! いいでしょ!? だいたいアンタ、化学部の顧問じゃない!」
「そっ……そうだけど?」
 いきなり何を言いだすのかと思ったのは、彼も同じだったらしい。
 背中を向けて退散姿勢をとっていたものの、絵里ちゃんの言葉に少しだけ訝し気な顔をしながらも踏みとどまった。
 ……そういえば、化学部もそろそろ始動か。
 新学期ともあってバタバタとしてしまい、なかなか教員側の都合で放課後に開放できなかった化学室だったが、今日は職員会議などもないため、そろそろ部長に伝えてもいいころかもしれない、と昼休みに話したばかりだった。
 だがまぁ、ある意味手間は省けたな。
 化学部部長その人が、こうしてわざわざやってきたんだから。
「今日から活動していいぞ、部長」
「あっそ。別にそれはいいんだけど、私が話したいのは文化祭のこと」
「……はぁ?」
 てっきり部活うんぬんでもめていたと思ったため、純也さんと顔を見合わせて肩をすくめる。
 すると、倉田のすぐ隣へ立った、同じく1年の橘まきが、ゆっくりと首を傾げて顎へ手を当てた。
「文化祭って、サイエンスショーとメイド喫茶を掛け合わせるんじゃなかったんですか?」
「しっ! ちょお、まき! それ言っちゃダメだって言ったでしょ!」
「え? そうでしたっけ?」
「そーよ!!」
 ぱちくりと大きな瞳をまばたいた彼女は、まったく悪びれた様子なくにっこり笑った。
 真面目なのは倉田とほぼ同じだが、彼女は少しだけ時間の流れが違うのではないかと感じることもある。
 授業中も、爆弾にも似た発言を飛ばし、まわりの生徒が慌てて彼女を押さえたことも一度じゃなかった。
「でもでも、先輩。トリック満載のサイエンスショーをやったら、こっそりおひねりもらえるかもーって言ってたじゃないですか」
「あぁぁああまきぃぃぃい! アンタって子はぁぁぁあ!!」
「絵里先輩! そんなことまで考えてたんですか!?」
「ち、ちがっ! ちょおぉぉお! みゆきも、まきも落ち着いて! ね!? いい子だから!!」
 かつて、これほどまでに慌てた彼女を見たことがあっただろうか。
 たとえ相手が男子だろうと教師だろうと、まったく臆することなく対峙してきたのに、よもや年下の女子が苦手だとは……へえ、そうなのか。
 倉田と橘両方に挟まれ、必死に説明する彼女が少しだけいつもと違っておかしかった。
「瀬尋先生はどう思うんですか?」
「え?」
 まったく予想してなかったことを倉田に向けられ、思わずまばたく。
 どう……とは。
 何に対してのことか逡巡するも、下手なことを言って火に油では困るな。
 そうは思いながらも、何も言わないわけにはいかず、整理しながらひとつだけ咳払い。
「その……詳細はよくわからないけど、文化祭のことはこれからみんなで決めていけばいいんじゃないの?」
「それじゃ遅くなっちゃうじゃないですか!」
「けどほら、まだ5月にもなってないんだし、ほかの部員の言い分も聞いてみないと、この少数だけで決めるのはあとあと納得してない人間が出たら、面倒だよ」
 俺の言い分は、それこそ守り一手で彼女の欲しいものでないことはわかる。
 だが、そこそこの人数が所属する部活でもある以上、全員に周知させ説明を行う前に決めてしまうのは、今後の関係にも響いてしまうだろう。
 ……部員か。
 そういえば、まだちゃんと全員確認してないんだよな。
 名簿も、さらっと見ただけで、人数すらきちんと把握できてなかったような。
「瀬尋先生、今日から部活できるんですか?」
「うん。好きに使っていいよ」
「やったぁ! じゃあじゃあ、プランターでお野菜育てるのもアリですか?」
「うーん……まぁ、肥料の違いや土の酸度の違いで差を見つけるなら、あり……とも思うけど。でも、そろそろ個人研究の計画を立てないと、科学展に間に合わなくなるんじゃない?」
「あ。そうでした」
 きらっきらした眼差しで提案してくれた橘には申し訳ないところだが、本来は個人で出展するのが大きな目標でもある。
 まぁもっとも、全員が全員取り組むわけではなく、グループになったり、最終的に間に合わなくて出展先を変更なども例年あるにはあるけれどね。
「ねえねえみゆきちゃん! 私、塩化ナトリウムの研究して、新しい融雪剤のことやりたいんだけど……どう思う?」
「悪くないとは思うけど……夏前に雪降らないでしょ」
 1年ペアということで、ふたりが一緒にいるところを見ることは多いが、仲も悪くないらしい。
 なんだかんだ言いながら、ツッコミも真面目に入れる倉田は、橘にとっていい相手だと思える。
「……お前は暇そうだな。部活、何か顧問じゃなかったっけ?」
「競技カルタのな。でも、あいにく今日は休み。部員の有志は図書室で百人一首読み漁ってるぜ」
 ああなるほど。コイツにはハマり役だな。
 コイツは、学生のころからほんっとに本ばっかり読んでた印象しかない。
 初めて出会った高校時代も、見た目に反して懐から文庫取り出したときは二度見したもんだ。
「……え?」
 そんな孝之が、ふいに視線をあちらへ飛ばすと小さく舌打ちした。
 それになんの意図があったのかは、わからない。
 ――が、振り返ってすぐ、今日一番の驚きにも似た感情が身体を伝った。
「お、やっと来たわね。副部長」
「ごめんー! えと、日直の仕事がちょっと終わらなくて……」
「ったく。だからあんだけ言ったじゃない。日誌は朝のうちにちゃちゃーっと書いておきなさいって」
「もぅ。朝の時点で書いちゃったら、未来日記になっちゃうでしょ?」
「日記じゃなくて日誌だけどね」
「あ、そっか」
 えへへ。
 絵里ちゃんのすぐ隣へ歩いてきた彼女は、素直そうに笑った。
 背も、表情も、纏っている空気も、何もかもが違う。
 俺の勝手な想像とは、それこそ真逆と言ってもいいかもしれない。
 大人しそうというよりは、穏やかな表情。
 少し華奢な身体つきは、いかにも女子高生という印象を受けるものの、すぐ隣に立つ絵里ちゃんとはまた違っていた。
 ただひとつ。
 肩より少し長い髪だけは、すぐここにいる兄貴とよく似た、少し明るい色だった。
「……あ」
 俺ではなく、その隣。孝之を見つけた彼女もまた、何を話したわけでもないのに、わずかに唇を尖らせた。
 その目元は、確かに瀬那先生に似ているように見える。
「お兄ちゃん、葉月にまたお説教したでしょ。いいじゃない別に、放課後クラスの子たちと買い物に行ったって。せっかく約束できたんだもん、縛らないであげて」
「縛ってねーだろ。馬鹿か! だいたい、アイツが買い物行きたいつったんだろ。だから、俺が合わせてやったんじゃねぇか。お前にとやかく言われる筋合いはない」
「なっ……そういう言い方はないでしょ? せっかく葉月、こっちでも友だちができたのに!」
「だから、友だちがどうこうじゃねぇっつってんだろ! だいたい、男が2人も入ってるグループの、何が友だちだ! 馬鹿か!」
「男の子だって友だちは友だちでしょ!? お兄ちゃんだって女の子の友だちいるじゃない!」
「俺の歳とお前らの歳とじゃ、意味が違うつってんだよ!」
「一緒!!」
 すぐここまで歩いてきた彼女は、孝之に対するとさらに語調を強めた。
 だが、孝之も孝之だ。
 身長もまるで違うのに、そこまで張り合うことないだろうに。
 ……もしかして、俺も妹とケンカしてるときはこんなものなのか。
 だが、正直中学を過ぎたころから妹とケンカらしいケンカなどしていない気がする自分にとっては、こういう兄妹”の姿が少しだけ新鮮に感じた。
 仲いいんだな、このふたり。
 ああだこうだと続いているやり取りを見ながら、つい笑みが浮かぶ。
「ほらほらー、羽織。アンタいつまでやってんのよ。孝之さんも、続きは家でやってください」
「うわ、絵里ちゃんまで羽織の味方かよ。いつからそっちの肩持つようになったんだ?」
「持ってませんて。ただ……ねー羽織ちゃーん? この人。だーれだ?」
「え? ……っ……」
 ぽんぽん、と彼女の肩を叩いた絵里ちゃんが、両手で頬を包むと、そのままこちらを向かせた。
 ばっちり正面から目が合ったかと思いきや、みるみる彼女が泣きそうな顔をしたからたまらない。
「え、俺? いや……何もしてない……よね」
 泣かれるのはとてもじゃないがたまらない。
 ましてや、今の一連のどこに彼女がそんな顔をする理由があった。
 孝之とケンカのようなことをしてはいたが、俺はまったく無関係。
 にもかかわらず、絵里ちゃんが俺の存在を示したと思いきやそんな顔をされ、挙句に背中まで向けられ、ほんの少しだけ慌てもした。
 年下の子が苦手なのは、一方的な罪悪感を覚えることが多かったこれまでの人生による影響が大きい。
 といっても、半分どころかほぼすべて、妹のせいだときっぱり言いきれるが。
「……え、えっと……」
「え?」
「瀬尋先生ですよね? 3年の瀬那羽織です。あの……すみません、ヘンなところをお見せして。ええと、兄がいつもお世話になってます」
 背を正した彼女が、ぺこりと頭を下げた。
 さらりと流れた柔らかそうな髪につい視線が張りつき、顔を上げた彼女を間近で見る結果に。
 一瞬目を丸くした彼女の頬がわずかに赤く染まったように見えたが、恐らくは気のせいだと言い聞かせ、自身も背を正す。

「初めまして、だね。会いたかったんだ。君に」

「っえ……」
「孝之の妹ってどんな子なんだろうって思ってたんだけど……こんなに、兄貴と対等に張り合える子だとは思わなかったよ」
 言いながら笑ってしまったが、決して悪気があったわけじゃない。
 素直に、思ったんだ。
 ああ、かわいい子なんだな、と。
 そう、自覚してしまっただけ。
「これからよろしく。羽織ちゃん」
「あ……こちらこそ、よろしくお願いします」
 俺と差し出した手とを見比べた彼女が、おずおずと手を伸ばす。
 つかんだ指先は、思ったよりも細くて華奢で。
 でも、この日からほんの少し経った後、手じゃない彼女自身の華奢さを実感することになることを、このときの俺はまったく予想していなかった。
 ただ――……ひとつだけ。
 このとき自分から手を差し出した理由は、考えてもやっぱりわからなかった。


ひとつ戻る 目次へ