「……幸せ…?」
 
自分に向かって言っても、その言葉の重みに耐えられなくなった鏡の中の「自分」は凄く素直に、切ない微笑を返してきた。
 
「幸せ、なのになぁ…」
 
それなのに、どうして彼を一人で待っていると、こんなにも寂しくなるんだろう?
彼のためにご飯を作って、大好きな彼の部屋で、彼の帰りを待ってる。
世の遠距離で頑張ってる恋人達に言わせてみれば、きっと私の状況は「幸せ」に値するんだろうな。
人間っていうのは、誰だって今の現状に満足しない生き物。
誰かを好きになって、最初は気持ちを知ってるだけでいいって思うのに、段々と「付き合いたい」に変化し、「傍にいたい」、「もっといたい」に変化していく。
だから、私は幸せすぎるんだ。本当は。
   


「―――真姫?いたのか?」
     


ソファに座って、ぼーっと夜景を眺めていると、玄関から稔の声が聞こえた。
振り返ると、そこには脱いだコート片手にスーツ姿の愛する人の姿。それを見るだけで、孤独に震えてた私の心に灯りが灯る。
 
「…電気もつけずにどした?」
「別に…」
「あいっかーらず素直じゃねーなぁ」
 
ぷいって横向くと、稔が苦笑するようにコートをソファに放り、スーツを脱ぎだした。
ソファから体を乗り出して稔の仕草一つ一つを確認するように見入っていると、苦笑するように「真姫」と私の名前を呼ぶ。
 
「…なに?」
「着替えてくるから、待ってな」
「いいよ。私、そろそろしたら帰るから」
 
気付けば制服だ。
学校が終わってすぐに稔のマンションに直行したのはいいものの、仕事で帰っているはずもなく、
現在夜の10時10分を回ったところ。こんな時間まで長居していた。
稔の放ったコートの傍に学校鞄が息を潜めてあったことを思い出し、取っ手を掴んで立ち上がる。
 
「待てって」
 
ネクタイを緩めたままの稔が、ソファの上で立った私の腕を引き寄せる。
稔が見上げる体勢になって、いつもと違う目線で彼を見ていた。
 
「…なに?」
 
これ以上傍にいても、きっと泣いてしまう。
こんな日は涙腺がゆるくなるんだ。別に稔を待ってたわけじゃないし、ただ、稔の顔見たかっただけだ、し…。
 
「―――ぅん…っ」
 
突然触れた唇に驚いて目を丸くすると、稔は本当に困った顔で、私を抱き寄せた。
 
「…泣きそうな顔してるおまえを、一人にできないって…」
 
「良い子で待ってろよ?」続けてそう言うと、稔は寝室の方へ行ってしまった。
一人広いリビングに残されたのは私一人。
さっきまで触れていた稔の体温がすぐに消えちゃって、突如として襲ってくるのは―――喪失感。
 
「…真姫?」
 
寝室から顔を出して、すぐに抱きすくめられる。
ソファの上でまん丸になって彼を待ってたら、眠くなってきていた。
 
「…体、あったかいなぁ…」
「………」
「なんかあったのか?」
「………ううん」
「じゃ、なんだよ」
「……わかんない」
「はぁ?」
「わかんないんだけど、……すっごく、寂しいの…」
 
きゅぅ、と稔のシャツを握り締めると、彼が優しく頭を撫でてくれた。
 
「…稔。私、やっぱりまだパーティに出るのは、早い?」
「はい?」
 
突然呟かれた私の一言に、困惑を隠せずに瞳を丸くしていた。
 
「私、クリスマスの計画立ててたんだけど…」
「…え…」
「一昨日、尋未とお菓子まで作ってたんだけど…」
「あ…」
「………それでも、私には来て欲しくない?」
「…いや、あの、それは、だな…?」
「この間のパーティも誘ってくれなかった。今回のクリスマスパーティも、…尋未は誘われて私は、稔に誘われてない!
 また尋未からパーティのこと聞いたんだよ!?…私は、私は、――――」
「―――俺から、聞きたかったよ、な…」
「そうだよ!!それなのに、そーれーなーのーにぃーーーーっ!!!」
 
ぶわっと溢れ出したのは大粒の涙。
一昨日、尋未にお菓子作りの先生をお願いされて作ったシュークリーム。その用途を聞いてまたしても、寝耳に水、だ。
今回も壮大に楽しそうなクリスマスパーティが計画されていることなんて、今まで一度も聞いてなかった。
今までに一回、わけのわからない理由でパーティを誘われなかったことはあったけれど、
クリスマスという恋人達のイベントに隠し事されるのは、もっともっと悲しいことだった。
 
「あー、解った解った。ほら、泣くな」
「いやっ。今日という今日は、実家に帰らせていただきます!!」
「オマエ、そんな新妻のような台詞を吐くんじゃねぇっ」
「だってだって稔が悪い、稔が悪い〜〜〜〜っ」
「解ってるってば。俺が悪いのぐらい!!だから、俺の言い分も、ちゃんと聞け!」
 
稔のシャツを掴みながら、ばたばた両手足をばたつかせてぼろぼろ泣いていた私を、稔はソファに抑え付けた。
 
「今回のパーティは、真姫をちゃんと誘うつもりだったよ」
「…ホント…?」
「本当。…ただ、言う機会を逃したっていうか…、ほら俺もパーティの準備で忙しかったし、おまえだって期末試験だったろ?
 だから、いつ言えば良いのか解らなかったんだよ」
 
隣に腰を降ろして、片手で私を抱き寄せ頭を撫でながら、ゆっくりと私の涙が収まるように、話してくれた。
 
「…そっか…」
「それに、尋未ちゃんとこは一緒に住んでるんだから、情報が早いのもしょうがないだろ?」
 
…言われてみればそうだ。
私達は会えたら会う、みたいな関係だったし、たまにこうして夕飯を作りに来てもほとんど稔と顔を合わせる事はなかった。
彼は社長で、私は女子高生なんだから。
 
「…そうだね…」
「ん。解れば良いんだよ」
「でも、メールとか電話とかできたはずじゃん…」
「…電話は、夜中になるし、おまえだって勉強あるし、会うまでは内緒にしておこうと思ってたんだよ…。
 どーせ俺のためにクリスマス空けてるってのは解ってたし」
 
最後の一言を聞いて、弾けるように顔を上げた。
 
「それ、どういう意味よ!!」
「どーいう意味も、そういう意味だよ」
 
意地悪く口角を上げて、楽しそうに笑う稔に半ば「やられた」と思いながら、顔を背けた。
 
「意地悪っ」
「今に始まったことじゃないだろ」
「…何様のつもりよ…」
「だから、俺様だってば」
「ああいえばこう言う…」
「それはおまえだろーが」
 
むぅ、とむくれても稔に口では勝てなかった。
どう考えていても私が彼には勝てないっていうのは目に見えて解っていたことだし、今更悔しがることのほどでもない。
が、しかし、妙にはめられたような気になるのは、私だけだろうか…?
 
「…てことは、真姫もシュークリーム?」
「に、するつもりだったけど、稔すっごーっく甘いの駄目な人だから、もう少しさっぱりしたパイ系にでもするつもり」
 
むくれたまましゃべってやると、優しくその腕に抱き寄せられた。
頬に彼の胸が当たる。穏やかに呼吸している稔の胸に、耳を当てるともっともっと彼を抱きしめたくなる。
 
「パイ系かー…」
「稔、リンゴとシナモン好きでしょ?だから、そんなに甘くならないように、アップルパイにでもしようかなって」
「…おお」
「嫌?」
「嬉しい」
 
 
ちゅ。
 
 
にっこり微笑まれてキスをされた。
アップルパイがそんなに嬉しいのか、稔は嬉しさが滲み出ていた。ぎゅぅっと私を抱きしめ、こうして子供のように喜ぶ。
たまに俺様の顔を見せたと思ったら、こうして子供の顔もする。
…こういうギャップのあるところに、私もはまっていったんだろうなー…。
 
「…ねぇ、幸せ?」
 
稔の部屋に来る度に、鏡に映った自分に問い掛ける質問を、いっそのこと稔にも問い掛けてみた。
 
「…んー…、そうだなぁ…」
「なによ、そんなに悩むようなこと?」
「だって、微妙なんだもん」
「びみょー?」
「真姫がいれば幸せだけど、…いなくなると幸せな気持ち吹っ飛んじまうからなー…」
 
苦笑して呟かれた一言は、最大級の「喜び」だ。
稔も自分と同じように考えてくれているっていうのが、たまらなく嬉しかった。
 
「…そっか…」
「なににやけてんだよ…」
「別に?」
「素直にならないと、家に返してやらんぞ?」
「んー…、それも良いかも」
「…珍しい返答だなぁ」
 
にやにや笑うのやめてもらいたい。
だって、稔の手の上で転がされてるみたいで、すっごく悔しい気分になるんだもんっ。
ってことは言わずに、思ってることを稔に言ってみた。
 
「…最近さ。一人で寝ると、稔のこと考えちゃうの」
「いーじゃないか。俺のこと考えて一人で悶えてるんだろ?えっちじゃないか」
「ばか!…そうじゃなくて、…寂しいんだって」
「…俺のこと考えると幸せになるんじゃないのか?」
 
首を傾げて、私の瞳を覗きこんでくる稔に、困ったように笑った。
 
「それもそうなんだけど…。稔のこと考えるとさ、今こうして抱き合ってる温もりも一緒に思い出すんだ…。
 ……そうすると、一人で眠るのが寂しいの。抱きしめてもらいたくて、キスしてもらいたくて、一晩中一緒にいてもらいたくて…」
 
貴方の背中や、声や、腕が、すぐ傍にあるんだけど、実際にはどこにもいない。
それが寂しいから一人で眠るのは嫌。
稔の面影が視界に焼きついて離れないから、実際傍にいないとたまらなく寂しくなるんだ。
 
「…寂しくて、いや…」
 
再び彼のシャツを握る。
 
「傍にいてよ。私の寂しいときは、電話してよ。声聞きたいし、一緒に眠りたい…!」
 
ぎゅぅって、彼の腰に腕を回すと次々と言葉が紡がれ、そして、彼が私を抱きしめる腕の力も強くなっていった。
 
「私の寂しいときって、いつだよ…」
「そんなの、自分で気付いて」
「…わがままなお姫様だなぁ…」
 
笑いながら呟く稔の腕の中は変わらず暖かくて、私を全て包み込んでしまう。
 
「……なぁ、真姫?」
「う?」
「…ぬいぐるみ、買ってやろっか」
「はぁ?」
「でっかいぬいぐるみ。クマでも、ウサギでも、なんでもいいから、でっかいぬいぐるみ」
「……私、高校生なんだけど…」
「解ってるよ。…それに俺だって、おまえの温もりが解る分、仕事から帰って夕飯の準備が出来てるのを見ると、…寂しくなるよ…」
「…みのる…」
「だからさ、俺の変わりにぬいぐるみ抱いてろよ。俺も、真姫の変わりになんか抱いて寝るから」
 
…なんだそりゃ。
 
「…いつから少女趣味になったの?稔サン」
 
わけのわからない俺様ぶりに、相変わらず笑っていると稔が困ったように笑う。
 
「なんだよー、俺は雅都とは違います。あんなクリスマスパーティ、男じゃ誰も企てないって」
「…あんな?って…お菓子トレードの件?」
「……うん」
「なに、その間。他にもなんか隠してるわけ?」
 
じぃーっと顔を見ると嬉しそうに笑いを堪える稔の姿。
絶対になにか隠してる。
それを探るべく、もう一回じぃーっと見ていると、優しい唇が降りてきた。

「…ん?」
「な、真姫。えっちしよっか」
 
にっこり微笑まれてダイレクトなお誘い。
頭が稔一色に染まって赤面する。
 
「み、み、稔…っ!?」
「真姫が一人で寝ても、寂しくないようにたくさん抱いてやる」
「ええ、ちょ、ちょ、ちょっと待って――――」
     


「待たない」
 
 

しっかりと、確実に響く声に一瞬で体が堕ちてしまった私は、彼がなにか隠している事を聞き出す前に、しっかりと彼に頂かれてしまった。
   

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