「……………」
「…どうぞ?」
…本気、の顔。
その顔で、彼は私を促した。
靴を脱いでベッドに両足を乗せたままで、彼の正面に座る。
これだけでも、半分服を脱いでいるような格好なので、十分恥ずかしさがある。
……なのに、彼はやっぱり『いいよ』とは言ってくれなかった。
眼鏡をしていない、あの、コンタクトのままで。
彼は、まるで何かを待っているかのように、顎に指を当ててこちらを見つめていた。
「…手伝おうか?」
「ふぇ!?そ…それは……いいです…」
「そう?」
いきなり言われたとんでもない事で、とんでもない反応が出た。
だけど、彼は笑ったりしないで、先程と同じ姿勢のまま。
……や…るしかないのかな。
初めから分かっていた事だけど、やっぱり途中で変更される事はないらしい。
「…………」
ゆっくりと肩紐を腕から抜いて――…ワンピースを腰までずらす。
いくら室内が暗いままとは言え、彼の顔を見る事は出来ない。
……自分から脱ぐなんて、やっぱり……慣れてる訳なんか無くて。
だったらまだ、彼に手伝って貰った方がいい様な気さえしてしまう。
「…………」
「…………」
何も言われないのも、結構辛いもので。
…でも、まぁ……何か言われても、困るんだけれど。
「…………」
などと余計な事を考えながらワンピースを――…全て脱いでしまう、と、不意に目の前の彼が動きを見せた。
「良く出来ました」
「…うぅ…」
「……なかなかいい眺めだよ?」
「っ…いじわる…」
「そう?…俺は満足」
くすっと意地の悪い笑みを見せた彼とは対照的に、こちらは眉が寄ったまま。
……恥ずかしくて、死んじゃう。
そんな言葉のせいか、顔だけじゃなくて、身体まで熱くなっている気がした。
「それじゃ、今度は俺の番ね」
「っ…え…?」
彼から顔を逸らそうとした、その時。
不意に、首へと何かが触れた。
「……これ…」
「…ん。いい眺め」
満足そうに、少しだけ濡れた声で。
彼が私に掛けたのは――…今まで彼が結んでいた、ネクタイに違いなかった。
「……ネクタイ…」
ぽつりと呟いてからネクタイに視線を落し、改めて手を伸ばす。
…やっぱり、ネクタイだ。
今の今まで、彼が普通に締めていた……もの。
「…え?」
だけど。
それを手にとってまじまじと見つめていたら、彼が短く声を上げて笑った。
顔を上げてみても、やっぱりその表情は笑顔で。
……?
首を傾げるも、彼は首を緩く振るだけ。
…勿論、笑ったまま。
だからこそ、どうしてそんな顔をしているのか良く分からない。
「…マズいだろ」
「え?」
「その格好は」
…格好。
目の前に胡坐を掻いて座った彼が、ネクタイに手を伸ばした。
――…と、同時に。
「……そんな顔しない」
「…え?」
ふと彼を見ると、少しだけ辛そうに眉を寄せていた。
「…先生……?」
「その格好で、先生とか呼ばない」
「?どうしてですか?」
「…いや……色々と」
普段彼がしているように、目線を落したまま彼がネクタイを結び始めた。
当然、首に宛がわれる程きつくではないものの、それでも……やっぱり、締められてる格好。
………何だろう。
どうして彼が微妙なニュアンスで物事を言うのか、分からない。
…そして、この何とも言えない…表情も。
だから、眉が寄る。
でも、彼は何も言わない。
……むー。
なんだか、複雑な気分。
「…っ…わ…!?」
「……ヤバいね」
「な…にがですか…?」
くんっ、とネクタイを引っ張られ、慌てて両手で身体を――…支えようとすると、その前に彼が身を乗り出した。
お陰で、膝で立ったまま彼の肩に手を乗せている格好。
……うぅ。
丁度、胸の前に彼の顔があって。
私が見下げているから、彼は……上目遣いでこちらを見ていて。
…何とも言えない気分になる。
当然、一番大きいのは『恥ずかしさ』だけど。
「…分からない?」
「……何がですか…?」
「だから、今のこの格好から」
瞳を細めて、まるで私を試しているような顔で。
彼は、小さく笑ってからネクタイを引いた。
「っ…あ!」
途端に、首がごく近くまで引き寄せられてしまう。
…すぐそこにある、彼の顔。
吐息が掛かりそうな程しかない、唇との距離。
………顔が赤くなる。
でも、それが見えないのは唯一の救いだろうか。
これがもしも、もっと明るい場所だったら――…今頃は、こんな風に装う事すら出来ないと思う。

「…これでもかって位、ヤラシイ格好してるよ?」

「っ…!」
耳元に唇を寄せた彼が、思いっきり含みを帯びた声で囁いた。
途端に、ぞくぞくと身体が反応をする。
……いじわる。
一体、誰のせいだと思ってるんだろう。
彼が言う『ヤラシイ格好』にしたのは………彼自身なのに。
…言われなくても、分かってる。
でも、彼が――…半ば無理矢理こんな格好にさせたのに。
ネクタイを結ばれるなんて、思いもしなかった。
……きっと、これが無いだけでも…随分と印象は変わるはず。
「……先生がしたんじゃ――…え…?」
むぅ、と眉を寄せて彼を見つめた時。
言葉を言い終わる前に、彼が指先で唇に触れた。
「っ…」
途端に、ぞくっとするような表情に変わる。
……えっちな顔。
妖艶って言うか、なんだか……やっぱりこの瞳のせいで、本当に惑わされているような気がしてしまう。
だから、余計に何も言う事が出来ない。
彼の前では、今夜は特に力を発揮するような事は出来なさそうだ。
「…だから。その格好で『先生』とか言わない」
「……でも…」
「いいの?」
「…え…?」

「本気で、止まんなくなるよ?」

「っ…!」
そう言った時の彼の顔は、これまでの比じゃなかった。
…まるで何かを堪えているかのように、少しだけ…辛そうな顔。
切羽詰ってるって言うか、何て言うか…。
………だから、何も言えなかった。
言葉が出なかった。
「…………」
きっと、この時もう私は魅入られてしまっていたんだと思う。
…彼が纏う、いつもとは全く違った独特の雰囲気に。
「っ…あ…」

「…抑え、利かないかもな」

くんっ、と再びネクタイを引かれて、唇と唇が僅かに触れた時。
ぼそっと呟いた言葉の意味は――…やっぱり、そう言う意味だったのかもしれない。


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