「ん?」
「……あ……」
「何?」
「……う。なんでも……ないです」
「ホントに?」
「も、もちろん!!」
訝しげに見つめた彼に首を振ってから、誤魔化すように笑みを見せる。
すると、暫く怪訝そうにこちらを見ていたけれど、すぐにテレビへ視線を戻した。
……ほっ。
夕食をとうに終えて、こうしてふたりでソファに座っている時間は、いつも大好きだった。
見ているテレビが、ニュースでも、映画でも。
彼がそばに居てくれて、いろいろ教えてくれて。
そんな時間が自分にあることが、何よりも幸せだった。
……いつもは、そうなのに。
「はぁ……」
思わず、テレビから視線が落ちて小さなため息が漏れた。
……だって。
だってだって!!
ああもう、どうしてこんなことにならなければいけないんだろう。
ソファにもたれながら瞳を閉じると、またため息が出そうになった。
課せられた、宿題。
それが、何よりも気持ちを重くしていた。
……でも。
でも、あれは――……本当にやったかどうか、わからない……よね?
私が話さなければ、事実は誰も――……。
「……あ」
そう思ったとき。
テーブルにおいていた携帯がメールの着信を知らせた。
手を伸ばしてそれを取り、画面を――……開く……と。
「……うぅ」
差出人は、私に宿題を課した人物。
そして、メールにはただひとことだけあった。
『結果は、直接先生に聞くからね』
……うーー。
もう、もう……!!
どうして、こんなことにならなきゃいけないんだろう。
携帯を閉じてソファにもたれると、やっぱり大きなため息が出てしまった。
ことの発端は、今日の放課後だった。
いつものように化学室に集まっての、部活の時間。
そのとき、絵里がこの前見たテレビの話題を持ち出したのだ。
「お風呂ってさー。いくら親子だからっていっても、小学生までが限度よねー」
「っていうか、小学生でもナシじゃない? 今どき、入りたがらないでしょ」
「だよねぇ」
先生に見つからないようにポッキーを食べながら、私の横で始まった話題。
最初はなんのことかぴんとこなかったんだけど、しばらく聞いている内にようやく思いついた。
「でも、そんなに不自然かなぁ?」
英語の宿題をやっていた手を止めて呟くと、今まで和やかなムードだった彼女らが一斉にこちらを向いた。
それはもう、音がしたんじゃないかと思うくらいに。
「……な……何……?」
「何、じゃないわよ。じゃあ、何? 羽織は、いつまでおじさんとお風呂入ってたわけ?」
「え?」
びしっと絵里がポッキーでこちらを指し、眉を寄せた。
……そ……そんなに怖い顔しなくても。
彼女から外れた視線が、ふいに宙へと向う。
……お風呂。
うーん……。
そう言われてもすぐに即答できないんだけれど……。
「多分、小学校……4年生くらいかな」
「でしょ? それが、普通なのよ」
視線を外したままで呟くと、絵里が『さも当然』とばかりに肩をすくめて見せた。
……そっか。
まぁ、確かにそうだけど。
…………でも。
お風呂……ねぇ。
ふと思い浮かぶのは、ここ最近の自分。
……。
…………。
…………うー……。
や、やっぱり……彼氏と一緒に入ってるっていうのは、マズいのかな。
なんとなく視線を絵里に向けることができず、開いたノートへ向かう。
……だって。
絶対、絵里ってばこういうとき何かしら楽しそうな顔をして――……。
「っ! なっ……何……!?」
いきなりノートに置かれた手で両腕を抱くと、それはそれは意地の悪い顔の絵里がすぐそこにいた。
……マズい。
マズいよ、これってばすごく!
だって、こういう顔をしているときの絵里は間違いなく危険だからだ。
言わずもがな、私にとっての――……なんだけどね。
「いーいこと思いついちゃった、私」
「……な……何?」
「うっふっふ」
「な……何よぉ……」
テーブルに手を付いたままじりじりと詰め寄られ、椅子から落ちない程度に身体を反らせる。
すると、もう少しで落ちるというとき、彼女が目の前に人差し指を立てて笑った。
「いいこと? 羽織。今日、家に帰ったら――……『これからはもう、お風呂に一緒に入らない』って、断りなさい」
「っ……! な……なななっ……!?」
「題して。『瀬那羽織の一度はやっちまいな!』ね。うん、ゴロいいじゃない」
「よくない!!」
きっぱりと言い放った彼女は、まるで私が彼と一緒にお風呂に入っていることを知っているかのように見えた。
それで、瞳が丸くなる。
なんで?
どうして、絵里……!
……なんで!? 知ってるの!?
彼女とは正反対に、みるみる顔が泣きそうになるのがわかる。
だけど、絵里はまったく動じることなく、さらに口元を吊り上げた。
「一緒に入ってるんでしょ? パ パ と。んー?」
「なっ!? ち、ちがっ……!!」
「えー! 何よ、羽織ってば今もお父さんと一緒に入ってるのー?」
「きゃー! やーらしーんだぁー!」
「っ!? だ、だから!! 違うってば!!」
途端、絵里の言葉で水を得た魚のように騒ぎまくる彼女らは、もう手の施しようがなかった。
違うのに!
全っ然、事実と異なってます!!
椅子から立ち上がって彼女らに大きな声で否定するものの、一向に信じてくれる様子はなかった。
――……唯一の救いは、この場に彼がいなかったことだろう。
……ああもう。
本当に、どうしてこんなことになってしまったんだろうか。
きゃーきゃーと騒いでいる彼女らに大きくため息をついてから席に戻る――……と。
「っ……」
ちょうど準備室のドアが開いて、彼が入ってきた。
……あ、危ない。
もし、こんなことを話していたなんてバレたら、いったいどんな目に遭うか……!
「え……?」
思わず彼から顔をそむけて俯くと、つつっと寄ってきた絵里が小さく耳打ちをした。
「なっ……!?」
「だってー。なんか、そんなふうに見えるじゃない?」
「見えません!!」
「あはは。ごめんってばー。あ。……じゃあ、アレ? お兄ちゃん、のほうがよかったかしらん?」
「ッ……! 絵里!!」
口元に手を当ててこっそり付け加えた絵里に眉を寄せると、大して悪びれる様子もなく、ぺろっと舌を見せて『ごめん』と囁いた。
んもーー!!
そのままの勢いで椅子に座り、大きく……それはもう、かなり大きくため息を漏らす。
……どうしよう。
っていうか、どうしてこうなるの……?
こちらの騒ぎを怪訝そうに見ている彼を横目で見てから、再び絵里へと視線が向いた。
『ほら。来たわよ? 娘離れのできない、若いパパが』
そんなこと、先生が聞いたら絶対怒る。
……ううん。
怒る、だけじゃ済まされないよ……絶対……。
「……はぁあ」
ぺたん、とテーブルに頬をつけてため息を漏らすと、テーブルの冷たさが心地よかった。
……はぁ。
どうやら、自分では気付かないうちに、かなり頬が赤くなっていたようだ。
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