「…………」
「…………」
「……ねぇ、たーくん」
「あ?」
まっすぐ前を見つめたままで、どうしようか考えていた。
だけど、やっぱり……気になるのが正直なところ。
……もしかしたら、怒られるかもしれない。
でも、気になっちゃったんだから……仕方ないよね。
二の足を踏みそうになる自分の心を奮い立たせながら、改めて彼を見る。
「ここって、よく来るの?」
「は?」
「だって、ほら……昔から知ってる場所なんでしょう?」
彼は、これまでずっと私が知らない時間を生きてきた。
話だけでしか知らないけれど、でも、やっぱり――女の人とも付き合ってるって聞いたし。
……それも、たくさん。
日本へ帰って来た、クリスマスのあの日。
彼の車に乗ったときも思ったけれど、今、この状況でもやっぱりふつふつと嫌な自分が出た。
彼にとって、きっと今の私ほどよく映ってない人間はいないだろう。
まるでどころか……本当に、ただ詮索しているだけじゃない。
それはわかってるのに、どうしても教えてもらいたかった。
きっと、自分が喜べるような答えなんて、返ってこないってわかってるのに。
「葉月」
「……え?」
みょ。
「っん!」
「……お前な。真剣な顔して何言い出すのかと思えば……馬鹿か」
「い……っ……もう、痛いでしょう? 何も、鼻つまむことないのに……」
「しょーがねーだろ! ……つーか、お前が下らねーこと言い出すから悪いんだろが」
ち、と舌打ちしたたーくんと、ひそひそという『囁き』のレベルを脱しないように続けた、言い合い。
だけど、彼の顔をまっすぐから見てようやく……我に返った。
「なんだよ」
「……ううん。なんでもないよ?」
急に正面へ向き直ったのが不思議だったのか、彼が顔を覗き込んできた。
……別に、怒ってるわけじゃない。
ただ、自分がちょっと嫌だっただけ。
彼が、私の『好き』っていう気持ちを、受け入れてくれた。
それだけで十分嬉しいことのはずなのに、なんでもかんでも許される特権を手にしたみたいに……我侭になっていく。
……嫌な子。
いったい、彼の目にはどう映るんだろう。
それが、少し怖――……。
「……来てねぇよ」
小さなため息のあと聞こえた声で、弾かれるかのようにして彼へと顔が向いた。
「女はめんどくせぇだろ」
「…………」
「っ……!」
「……そんなふうに言っちゃだめだよ?」
こちらを見ずにいたたーくんの頬を、指先だけでつまむ。
これができたのは、今の言葉でどこか安心したっていうのもあった。
『ここに、ほかの女の人と来てない』
それは、確かに嬉しい。
でも、今の言葉はなんだかちょっと許せなかった。
……それって、私に対しての言葉でもあるんだから。
「っ……く……! なんだよお前は!」
「そんなふうに言っちゃだめでしょう? 付き合ってきた人に対して、失礼だよ?」
「お前が聞いたから答えたんだろ!」
「だけど! ……それでも、もう少し言い方があるじゃない」
「じゃあ、どう言えっつーんだよ」
「え? ……だ、だから。たとえば……」
「…………」
「…………」
「真剣に悩むな」
「あぃた!」
むぅ、と眉を寄せてあれこれといい案がないか考え始めたら、いきなり頭を小突かれた。
……しかも、顎で。
相変わらず、お行儀悪いというかなんというか……。
「なんだよ」
「……なんでもないよ?」
首だけを曲げてたーくんを見上げると、心底訝しげな顔で眉を寄せた。
……わかった、から。
これ以上何も言うな、って意味なのは。
「ここは俺が見つけたんだぞ?」
「ん?」
「ん、じゃねぇよ。だから、さっきの話」
「……あ……うん」
ゆっくり動いていく車列の光を眺めていたら、彼がものすごく瞳を細めた。
……だって、今ちょっと前に忘れようと思ったんだもん。
単純だから、そういうところはポジティブなの。
「だから」
「え?」
「どうしてほかの連中にタダで教えてやんなきゃなんねーんだっつー話」
「……彼女にも?」
「ったりめーだろ」
「んー……たーくんって、ちょっぴりケ――った!?」
きょとん、とした顔のまま何気なく囁こうとしたら、少し先にたーくんが動いた。
彼を見上げたのがいけなかったんだろうか。
器用にデコピンを食らわされて、一瞬ぐらつく。
「二度と連れて来てやんねぇ」
「ええ? ……痛い思いまでしたのに」
「お前が悪いんだろ」
「ごめんね。二度と言わないから」
「ったく。わかりゃいーんだよ、わかりゃ」
額をさすって痛みを和らげながら、『どうせ読まれるなら黙っておこう』なんて思ったのは、内緒の話。
……って、これも彼に読まれてたりしたら、意味がないんだけれど。
「しかし、さみーな」
「ん……寒いね」
たーくんとぴったりそばにいるこの状況でさえ、やっぱりときおり吹いてくる冷たい風に瞳が閉じる。
確かに、今の状況は嬉しいし、これ以上の状況は願えないと思うけれど。
こんな大っぴらに抱きしめてもらえるなんて、本当に思わなかった。
やっぱり……嬉しいことに変わりないけど。
「……しるこ買ってくか」
「しるこ? ……って、お汁粉?」
「そ。自販機で売ってんだろ? あれ」
「だね。初めて見たときは、とっても驚いたんだけど」
「……ンなこと言ったら、カップ麺とかおでんの自販機見れねーぞ」
「え。そんなのも売ってるの? ……だって、自動販売機でしょう? 品質管理とかは?」
「さー? その辺は、テキトーに……」
「……それじゃダメじゃない」
「いーんだよ。あんま深く考えんな」
身体の前にあるたーくんの腕に両手で触れながら見上げると、ちょうど、白い息が闇夜に溶けていくのが見えた。
「…………」
たったそれだけのことなのに、なんだかとても嬉しくなる。
……こんなに、そばにいるんだ。
そう実感できたのが、嬉しさの源かもしれない。
「そういえば、日本の自動販売機って、ちゃんと『ありがとうございました』って言うんだね」
「は? ……あー、いや。でも、全部が全部そーじゃねぇだろ」
「そうなの? 律儀だなぁって思ったんだけど……」
「……自販機に『律儀』とか遣うヤツ、初めて見た」
「そう?」
「ああ」
一瞬の間のあと、彼がくっくと笑い声を上げた。
……あれ。
もしかして、今のは馬鹿にされた?
「……もう。何もそんなに笑わなくてもいいでしょう?」
「いやいやいや。今のは笑うトコだろ」
『違う』としっかり否定しても、やっぱり彼は笑うのをやめなかった。
……本当のことなのに。
「っ……」
「そろそろ帰るか」
「…………ん」
本当は、違う言葉を言うつもりだった。
……なのに、やっぱりたーくんに対してはとことん弱いのかもしれない。
ぎゅっと抱きしめられたかと思いきや、そのまま……首筋に顔を埋められて。
ぼそっと囁かれたひとことで、何も言えなくなってしまう。
…………直接触れられたわけじゃないのに、こんなにどきどきするなんて思わなかった。
でも、きっとたーくんは私がこんなふうに感じてることを、知っているんだろう。
だから、まるでいたずらが成功したような顔をするんだ。
「あー、さみー。……やっぱ、冬の夜は外に出るもんじゃねぇな」
「寒いね。……でも、また連れてきてくれる?」
「……は?」
「だって、たーくんしかこの場所を知らないんでしょう? だもん、ほかの人に連れてきてもらうことはできないじゃない」
手を繋いだまま階段を先に下りた彼に小さく笑うと、そっぽを向いてから『また今度な』と口早なセリフが返ってきた。
……相変わらずだなぁ。
でも、やっぱりそういうところも、たーくんらしいと思う。
「ありがとう」
「おー」
繋いだ手に力を込めて隣に並び、改めて空を見てみる。
……きれいな空。
きっと、この星を数えきることはできないだろう。
でも――彼との思い出も、それくらいになるといいな。
すっ……とひとすじ星が流れた気がして、ついそんなことが浮かんだ。
2005/12/3
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