この話を読む前に、100ちゃれ『78:メガネ』を読まれる事をお勧めします。





「………………」
「……ごほん……」
「………………」

「……その……祐恭君、ごめん……」

「え?」
 朝。
 それはもう、これでもかってくらいによく晴れている、月曜日の朝。
 これからがんばって気合入れるぞってな具合に誰しもが思う輝く朝の職場で、いきなり純也さんに謝られた。
 ……しかも、なぜか深刻そうに。
「あの……何かあったんですか?」
「え? いや……ほら。なんか……機嫌悪い、のかな……って」
「……え?」
 なんだろう、このよくわからない展開は。
 思わず、頭を掻く彼を見ながら眉が寄る。
 ……が、しかし。
 途端に彼は、また慌てたように手と首を振った。
「いや、その……まぁ、なんだ。……えーと……あの、何か俺気に触るようなことした?」
「……いや、何もしてませんよ?」
「そう? ……いや……うん。それならまぁ、いいんだけど……」
 ……ていうか、ちょっと待ってくれ。
 なんで、こうも彼は慌てふためいているように見えるんだろうか。
 謎だ。
 いや、それ以前にやっぱり、ものすごく気になる。
 まるで、腫れものにでも触るかのような、彼らしくない態度。
 素振り。
 そして、声色。
 先ほどからずっと、まるで俺の顔色を伺っているかのように出ている言葉の意味をものすごく知りたい。
「……あの、純也さん」
「え? ……何? やっぱ、俺何かした?」
「いえいえいえ、とんでもない! そうじゃなくて……ですね」
「……うん」
 ごくり。
 まっすぐ俺に向いている彼が、机に両手をついて喉を鳴らしたように見えた。
 ……あー……。
 なんだろう、この違和感。
 なんだか知らないが、ものすごくドキドキする。
 …………。
 ……もちろん、緊迫とかって意味でのほうだけど。

「……あの……なんでそんなふうに思うんですか?」

 当然というか、必然的な質問。
 だが、それを口にした途端に彼は、意外そうな声をあげた。
 もしかしたら、俺自身が妙な顔をしていたのかもしれない。
 だけど彼は、少しの間沈黙を置いてから……改めて首をかしげたような気がした。
「……祐恭君さ……」
「え?」

「そういや、なんで今日は眼鏡してないの?」

 ぽつりと言われた言葉に、思わずまばたきが出た。
「…………」
「…………」
「……いや……実はその……壊れて」
「じゃあ、今は裸眼?」
「です」
 あれは、つい先日の土曜日だった。
 ……彼女が、俺の眼鏡を捻じ曲げてくれたのは。
 当然その日の内に修理へ出したのだが、手元に戻ってくるのは早くて2日か3日後だと言われ、今日は苦手なコンタクトに頼るほかなかった――……のだが、案の定装着3時間でギブアップ。
 昔作った眼鏡もあるにはあったんだが、視力が合わずさすがに断念。
 ……結構進んでるんだな、と物悲しくもあった。
「なるほどね。それじゃ、ほとんど見えない?」
「ええ。純也さんの顔はまったく」
 顎に手を当てたらしき彼にうなずき、『すみません』と小さく謝る。
 彼との距離、およそ2m弱。
 だが、すでにその視界はもやがかかっていて、細部はほとんど見ることができない。
 彼だろうという判断こそ付くものの、実はちゃんと顔が見えていないという……。
 だからこそ、ついつい――……。
「あ」
 ピンと頭に閃いた、考え。
 ……もしかして。
 いや、恐らく間違いない。
 だから彼は、これまでずっと俺の態度を気にしてたんだ。
「俺、純也さんを睨んでたワケじゃないですよ?」
「……うん。なんか……納得した」
「…………そうですか?」
「うん。絵里もたまにやるからね」
 そう言って笑った彼の言葉に、少しだけほっとしていた。
 ……そういえば、ときどき授業中に彼女が俺を睨んでるときがあるんだよな。
 …………。
 なるほどね。
 まさか、彼女も実は俺と同じ系統だったとは。
 これまでずっと嫌がらせかはたまたストレス発散か、それとも恨みつらみか何かかと思っていただけに、内心ほっとした。
 ……まぁ、目が悪いという理由ならば仕方ないとは思うんだが。
「でも、運転は? 今日も車で来たんじゃないの?」
「……あー……ええ、まぁ。……実は、さっきまでコンタクトしてたんですけどね」
「あ、なんだ。……え? じゃあ、なんで外しちゃったの?」
「……いやー……」
 話せば長くはならないけれど、恐らく呆れて笑われるだろう。
 曖昧な笑いで誤魔化そうとしたものの、根本的なところであるコレを話さなければ、恐らく彼に納得してはもらえない。
 ……ってまぁ、別にそこまでしてって話でもあるんだが。
「実は……コンタクトと、相性があんまりよくなくて……」
 苦笑を浮かべると、気持ち声が小さくなった気がした。
 そして案の定、彼は少しの間を置いてから、『なんだ』とおかしそうに笑ったのだった。

「失礼します」
 その日の昼休み。
 聞きなれた声とともにそちらを見ると、やっぱり羽織ちゃんが入ってきた。
 ……が、しかし。
 なぜか片手には、機嫌の悪そうな絵里ちゃんを連れて。
 …………。
 ……そんでもって、なぜだろう。
 これまでの純也さんの雰囲気も、少し変わった。
 ……いや。
 正確には、『この部屋の』雰囲気だけど。
「あれ。……先生、眼鏡じゃないの?」
「ん?」
 まじまじと笑みが消えた純也さんを見ていたら、絵里ちゃんが不思議そうな声をあげた。
 ――……と。
 同時に、彼女の隣でなんともいえない曖昧な表情をしている、ウチの彼女が目に入る。
「……どっかの誰かさんが、人のフレームねじ曲げてくれたんだよ」
「…………ぅ」
「高かったんだよな、あの眼鏡。……弁償してくれるのかな」
「そ、それはその……」
 頬杖をついて、まっすぐ見据えたまま瞳を細める。
 すると、たじろぎながら、案の定ひどく申し訳なさそうな顔を見せた。
 ……俺が怒ってないってのは、彼女も知ってるはずなんだけどな。
 まぁいいけど。
「……ふーん。っていうかさ、それならそのままコンタクトにしちゃえばいいんじゃない?」
「えぇっ……!?」
「……は?」
「え?」
「…………ぁ……」
 まじまじと俺と彼女のやり取りを見ていた絵里ちゃんが、さも当然のような声で提案を出した。
 だが、俺よりも先に――……なぜか、彼女が反応を見せる。
 しかも、俺が思ったよりもずっと大きな声で。
「…………」
「…………」
「ぅ……」
 当然といえば、当然だろう。
 思わず、絵里ちゃんと顔を見合わせてから隣の彼女へ視線がぶつかる。
 まるで、慌てたように両手を口に当てて、尚かつ、瞳をくりくりと動かしながら俺たちの顔を伺う姿。
 それはもう、明らかに理由を聞かねばならないだろう。
「……えっと……その……」
 どうやら、無言の圧力に負けたらしい。
 しばらくそのままでいたのだが、耐えきれなくなったかのように口を開いた。
 ……もしかしたら、俺よりも絵里ちゃんの『何よ。とっとと話しなさい』光線にヤられたのかもしれないが。
「その……私、先生が眼鏡直す仕草って、好き……なんですよね」
「……え?」
「ほら、こう……片手で直すじゃないですか。眼鏡の縁を軽く持って」
 なんだか、ドキドキするっていうか……すごく……色っぽいっていうか、なんていうか。
 ……先生の手が好きだからっていうのも、あると思うんですけれど……。
「…………」
「…………」
「……ごく」
 まるで、彼女の抱いていた想いを告白されたが如き、雰囲気。
 少しだけ照れたかわいい顔をして、ほんのりを頬を染めて……かつ、うるうると輝く瞳。
 ンな顔でされて、内心ばくばくしないヤツはいない。
「…………」
「……な……なんですか?」

「俺、そんなふうにしてたっけ……?」

「っ……してますよ!」
「あ、ごめん」
 思い当たる節がなくて、普通に口から出た。
 だが、とんでもないとばかりに、すごい剣幕で首を振られて。
 ……どうやら、彼女にとってその仕草は、俺が考えている程度のモノではないらしい。
 まさに、重要。
 そう、彼女は全身で言っている。
「…………」
「な……んですか、もぅ……」
「……ふぅん……?」
「っ……」
 改めて頬杖をつき、まっすぐから彼女を観察してみる。
 そのとき、自然と意味ありげなニヤけが漏れたが、それは仕方ないだろう。
 ……まさか、こんなところで思わぬ本音を頂戴できるとは。
 相変わらず、ウチの彼女らしくイイ意味で俺を裏切り続けてくれる。
 自分ではまったく気にしていなかった、それこそクセに値するようなこと。
 だが、彼女はそれを好きだと言ってくれた。
 普段何気なくやっているから、自分じゃわからないんだろう。
 ……それこそ、いつやるかなんて自分でも覚えていないんだから。
 だからこそ――……普段からいつだって多く俺のことを見てくれてなければ、気付けない。
 見つけられない、そんな一瞬。
 それでも。
 彼女はそんな、ものの数秒の間にしか見られない仕草を、好きだと言ってくれた。
 ということはイコール、当然……俺をよく知ってくれているということになる。
 それも、本人以上に。
「……かわいいこと言っちゃって」
「え……っ……絵里!!」
 俺が言おうとしたことを、ぼそりと恐ろしいくらいのタイミングで絵里ちゃんが口にした。
 途端に羽織ちゃんの頬が染まり、慌てたように絵里ちゃんへ身体ごと向き直る。
 だが無論、時はもう遅く。
 ニヤけたというよりは、まるで弱みをがっちり握り締めたかのように、彼女がなんとも形容しがたい笑みを浮かべていた。
「それじゃ、先生は脱・眼鏡宣言できないわよねー」
「まぁね」
「っ……ぅ……」
 相変わらず、弄られっぱなしの彼女。
 だが、やっぱり本来こういう図式はものすごく正しいだろう。
 ……さすがは、幼馴染。
 よく心得てる。
「ま、ノロけはその辺で適当にやってちょうだい」
「絵里っ!」
「はいはい、わかってるってばー」
 ひらひらと手を振って、それこそ『からかってます』オーラを全身から放っている彼女に食いかかる、羽織ちゃん。
 だが相変わらず頬は赤く染まっていて、見ているこっちが……少し照れくさい。
 いや、まさかあんなふうに言われると思わなかったからな。
 正直驚いてはいる。
 ――……もちろん、それ以上に大きな収穫があったワケだが。
「とっ……とにかく! えぇと、その……そっ……そうだよっ! 私じゃなくて、絵里なの!」
「何が?」
「だから! ここに用があったのは!」
 赤い顔して、一生懸命。
 これをソソられると言わずして、なんと言う。
 だが、まったくワケがわかっていないらしい絵里ちゃん本人は、涼しい顔をして首を傾げた。
 ……ふむ。
 まぁ確かに、次は彼女の番だといえばうなずけないこともない。
 とはいえ、もうしばらくは羽織ちゃんのかわいい告白の余韻に浸っていたい気がしないでもないけど……まぁ、いい。
 かわいい彼女の一押しなんだから、ここは俺も手助けしてやるか。
 というか、ふと思い浮かんだことがあったからというのも、理由のひとつなんだけど。

「じゃ、次は絵里ちゃんが仲直りしたらイイんじゃない?」

「んなっ……!」
「っ……祐恭君!?」
 ぽそりと瞳を細めて呟いた瞬間、瞳を丸くした彼女以上に、目の前に座っていた純也さんのほうが大きく反応を見せた。
 ……うーん。
 なんだかんだ言っても、やっぱり似てるよな。このふたり。
 思わず、互いに顔を見合わせた彼らを見ながら、苦笑が浮かぶ。
「なっ……何言って……!」
「ホントだよ? ……わからない?」
 ものすごくわかりやすいというか、正直、これ以上明らかなことなんてそうそうないと思うんだが。
 ……ま、誰しも自分が1番わかってないなんてこともあるしな。
 …………。
 って、俺も人のこと言えた義理ないんだけど。
 彼女の、クセ。
 それは――……。

 『見ない・聞かない・喋らない』

 ……とでも表現すればいいだろう。
 無論、主語が誰かということは言うまでもないが。
「今度は、絵里ちゃんの番だよね?」
 瞳を丸くしたまま喉を鳴らした彼女に、ニヤりと笑みが浮かぶ。
 途端、それはそれは心底嫌そうに眉を寄せたのが見えた。
 ……そして。
 それはやっぱり、純也さんにも共通して言えることで。
 改めて、ふたりは似てるんだと実感した。


2007/5/26




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