「……いろいろあるんだな」
ずらりと並んでいるモノを見たまま、ありきたりの言葉が漏れた。
整然と並んでいるといえば、間違いない。
塵やほこりはもちろん、1センチのズレすら見当たらないこの場所。
ここは、まさに『眼鏡一色』と言ってもいい場所だった。
「……たくさんありますね」
「まぁそうだろうね」
ほーっとため息をつきながらあたりを見回した彼女に、ストレートな言葉が出た。
……別に、怒ってるワケじゃない。
そうじゃないが、ただなんとなく。
――……そう。
今日起きたあの件を、わざとまだ尾として引かせているだけ。
……無理矢理に。
「…………ぅ。あ、え、えっと……これなんか、どうですか?」
「…………」
俺の顔を見て、一瞬言葉を詰まらせた彼女があたりを見渡してから、手近にあったフレームを指差した。
それは、『今季No.1』と書かれたカードが添えられている、チタンフレームの眼鏡。
シルバーよりもずっと濃い色は、いかにも男物だと表している。
「…………」
「ぁ……や、そ、その……。っ……あ! それじゃあ、あれなんか……」
両手でそれを手にした彼女をまっすぐ見つめ、だがしかし何も言わずに待ってみる。
すると、慌ててそれを元に戻してから、違う棚にあったセルフレームの眼鏡を手にした。
「こ……これとか……今、流行ってるみたいですよ?」
「ふーん」
「……え、えっと……なんでも、この四角い形がすごく……と、トレンド? とかって……テレビで……」
まったく気のなさそうな返事をしてから、まったく気のなさそうに腕を組む。
……あー、困ってる困ってる。
しどろもどろな説明が徐々に小さくなっていって、しまいには口を閉じてしまった。
上目遣いで精一杯俺の気を惹こうとする姿は嫌いじゃないんだが、そろそろ可哀相になってきた。
というワケで、ここらでひとつトドメを口にしてみようかと思う。
「……でも、セルって曲がらずにすぐ折れるんだよな」
ぴくぅっ
「…………」
「……っ……」
「…………」
「ぅ……。……ご……ごめんなさぁい……」
瞳を細め、彼女を見たままで表情を崩さずに呟く。
それはもう、ぽつりと。
だが、その途端彼女は思いきり反応したかと思うと、すぐにうじゅーっと半泣きの顔を見せた。
……よし。
それじゃあ、愛想の悪い芝居はこの辺で終わりにしておこう。
…………。
ってまぁ元々、別に怒ったりしてなかったんだけど。
単に、楽しみたかっただけ。
……なんて言ったら、どれだけ怒られることか。
「え……?」
ぽん、と彼女の頭に手を置き、持ったままだったセルフレームを元に戻す。
「そこまで気負ってくれなくていいんだけど」
「っ……でも、私……」
「さっきも言ったろ? 別に、怒っちゃいないって」
……ほんの少し不自由なだけで。
しょげた彼女にそこで苦笑を見せると、ほんの少しだけ表情に明るさが戻った。
よしよし。
せっかく、わざわざ遠くまで足を伸ばしたんだ。
彼女と一緒に買い物できなくちゃ、意味がない。
……何よりもここは、いわゆる『眼鏡専門店』なワケで。
せっかく試してみたいと思っていたことがあるのに、彼女の機嫌を損ねる必要は皆無なんだから。
――……そもそも。
どうして俺がわざわざ眼鏡屋に足を伸ばしたかと言うと――……それは、決して長くない理由。
単に、彼女が俺の眼鏡を捻じ曲げたから、だ。
ことの発端は、つい数時間前である、本日の午前中。
いつものように彼女と我が家でのんびりしていたとき、普段しないのに、何気なく眼鏡を外してソファに置いたのが失敗だった。
普段ならば、間違いなくテーブルに置いたのに。
そのときばかりは、『まぁいいか』と何気なく置いたのが始まりの素。
パソコンラックにある眼鏡拭きを取りに立ち上がり、その場から離れた――……次の瞬間。
パキャ
なんとも儚くて切ない音が聞こえたのと、瞳を丸くしてソファに座っていた彼女が見えたのは、夢じゃなかった。
「…………」
「…………」
時が止まる瞬間を、確かに目撃した。
……恐らく彼女は、初めて『体験』したんじゃないだろうか。
少なくとも、俺にはそう見えた。
そしてもちろん言うまでもなく、静寂で満たされた室内には彼女の悲鳴が響き渡ったワケだが。
「……で?」
「え?」
「本気で、俺にセルが似合うとでも?」
「……ぅ」
まじまじとセルフレームばかりが並ぶ棚を見つめてから彼女を見ると、困ったように視線を逸らされた。
…………さては、想像したな。
俺がセルフレームした姿を。
「……悪かったな、似合わなくて」
「っえ!? そ、そんなこと言ってな――」
「いーよ別に。……そりゃあね。これまでも選択肢にはまずなかったし」
っていうか、こういうしっかりしたフレームのヤツって、俺なんかより――……。
「え……」
「…………」
「だ、ダメですよ!」
「平気だって」
ワインレッドのセルフレームを取り、開いて彼女にかけてやる。
…………。
……ほぉ。
これはまた……。
「ぅ。……は、恥ずかしいんですけれど……」
「うん。なかなかイイかも」
「似合わないですよ、私は!」
「そんなことないよ? ……ほら」
「っ……!!」
慌てて外そうとした彼女の手を握り、くるっと回れ右させてみる。
そこには大きな姿見が1枚。
ほどよい具合に、彼女を映し出していた。
……女子高生、眼鏡っ娘。
ぽつりと浮かぶのは、そんな馬鹿な単語。
生憎、優人とかと違って属性がどうのなんて話で盛り上がるほど馬鹿じゃないが、それでも多少は馬鹿なんだろう。
なんせ、『一度彼女を眼鏡屋に連れて行きたい』と思っていただけでなく、実際にそれを実現させてしまったんだから。
「意外と……イイな。クラス委員長みたい」
「っ……もぉ……」
「あれ。外すの?」
「当たり前じゃないですかっ!」
ほどよく頬を染めて眉を寄せた姿は、それなりにソソ――……じゃなくて、なかなかかわいかったのに。
……ち。もったいないことを。
なんて思ったのは、心の中だけに留めておく。
「先生はどんな眼鏡がいいんですか?」
「……そうだな……」
そっとセルフレームを元に戻した彼女が、ぐるりと店内を見渡した。
つられるように、自身も眺めてみる。
色とりどりかつ、種類も昔よりずっと増えた眼鏡のフレーム。
……どれ、と言われても。
正直、そこまで強いこだわりはないのが本音。
「選んでよ」
「え!?」
「いや、ほら。……これをかけてたらいいなーとか、ない?」
断じて、自分で選ぶのが面倒臭いとかってことじゃない。
そうじゃなくて、彼女に選んでほしいという強い欲求があったというか、なんというか……。
……まぁ、そんなところだ。
「うー……ん」
顎に手を当てた彼女が、視線をあちこちに飛ばしながら物色を始める。
……ふむ。
その間に俺は何をするかと言うと、もちろん――……。
「羽織ちゃん」
「え?」
にこにこ。
「……先生……」
「お名前でどうぞ?」
「っもぉ……なんですか!」
これはどうかなと思えるフレームを、彼女に差し出してみる。
俺は俺で、真剣に選んでるんだ。
……彼女に試着してもらうべく、女物の眼鏡を。
「わ!?」
「……おー、なんか……インテリ女子高生みたい」
割と太目の、四角いシルバーのフレーム。
きらりと光を受けて光るソレは、まさに『賢そう』な印象。
「うん。頭よさそう」
「…………」
「いや、普段の成績もちゃんとしてるのはわかってるけど、さらにこう……プラス要素として、っていうか……」
「……そこまで励ましていただかなくても……」
黙り込んだのを見て、てっきり落ち込ませたんじゃないかと思ったんだが、どうやら違ったらしい。
苦笑を浮かべた彼女は、もしかしたら内心『眼鏡ってそういえば、そういう雰囲気あるよね』とか思ったのかもしれない。
「……って、何しに来たんですか! ここに」
私の買い物じゃないんですよ? とため息を漏らした彼女が、フレームを外した。
だが、すでに俺の中での『次』は決まっている。
「いいじゃない、たまには。……お。コレなんかもいいかも」
「っ……! せ――……ぅー……祐恭さんっ!」
……これはこれは殊勝な心がけで。
『先生』と反射的に呼びそうになった自分を押し留めて、訂正してまで呼んでくれるとは。
うん。
やっぱり彼女ほど素直な子はなかなかいない。
「……うわ……教え子に手とか出してそうな女教師っぽい」
「っ……なんですかそれは……!」
「いや、むしろアレだな。……教え子に言い寄られて、困っちゃうけど……っ、みたいな」
「ッ……! えっち!」
細い楕円のフレームをかけてみると、そこはかとなくイケナイ雰囲気になった。
……楽しい。
っていうか、えろい。
うーん……ここまで雰囲気が変わるとは、正直驚きだ。
それもまぁ、普段眼鏡をかけていない彼女だからこそできることなんだろうけど。
「でも、こういうフレームって……絵里ちゃんとかも意外に似合いそう」
「あ。……それはありますね」
思いきり独り言っぽかったのだが、彼女も強く同意してくれた。
……ほほぅ。
なかなか楽しそうですね、羽織サン。
しげしげと微笑とともにフレームを眺めているのがわかって、ついつい口角が上がる。
ハマってくれれば、こちらのモノ。
どうやら、まだまだ彼女で遊べる余地が残されているようだ。
「意外と言えば、葉月ちゃんなんかも眼鏡似合うかもね」
「あ、そうですね。そういえば……葉月、結構似合うかも」
「こういうのとかね」
「……あー。なんか、それこそ先生っぽいですよ」
「確かに」
どうやら、お互い同じような姿を思い浮かべたらしい。
……いや、むしろ彼女のほうがより鮮明にイメージできたのか。
『いいかも』なんてぽつりと呟いたのが、聞こえた気がする。
「そういや、孝之って眼鏡しないな」
「そうですねー。ウチの家族、目はみんないいから」
「それはいいことだ」
確かに、そういえば瀬那先生もお袋さんも、眼鏡はしていない。
孝之にいたっては、両目の視力を昔から散々自慢していたほど。
……で、彼女。
「え? なんですか?」
「いや別に」
彼女からも、目が悪いとかモノが見えにくいなんて話は、まったく聞かない。
……羨ましい。
心底、羨ましい。
俺の場合、視力がそれなりによくないので、眼鏡のフレームよりもレンズ加工代で実はかなりかかる。
……切ない。
まぁ、仕方ないといえばそれまでなのだが。
…………。
だが、彼女のように目がイイ人間ながらも、そこはかとなく眼鏡がよく似合うところを見てしまうと、ファッショングラスとして最近広まりつつある伊達眼鏡の需要が高まっているのも、なんとなくわかる気がした。
……うん。
これはこれで、やっぱり捨てがたい。
「でも、お兄ちゃんってサングラス結構持ってますよ」
「……あー。そういやそうだな。俺も見かける」
確かに。
孝之なんかが、それこそイイ例。
……まぁ、伊達眼鏡とサングラスは違うとか言われるかもしれないが、根本的な部分は間違ってないような気もするし。
「……けどさ」
「え?」
「アイツがサングラスしてると、すげーガラ悪すぎじゃない?」
ふと思い出す、以前の記憶。
確かアレは、孝之が持ってるサイトのオフ会と称して、海老名の下りS.Aに集まったときのことだ。
……いたんだよ。
うるせー黒のレビンに寄りかかって、サングラスしたまま煙草吸ってる、『いかにも』って感じのヤなヤツが。
うわ、ぜってー近寄りたくねーとか思ってたら……実は、こともあろうか主催者の孝之で。
……あのときは、ホントに我が目を疑った。
サングラスひとつで、あそこまで人相が変わるモンなのか、と。
「アイツは、ホントに近寄りがたくなるよな……。サングラスすると」
「……あはは」
どうやら、彼女もそれは深く同意してくれているようで、苦笑を浮かべたままうなずいていた。
きっと、知り合いじゃなければ俺はまず避けて通るだろう。
優人と一緒に並んでたりしたら、『絶対』に。
……あの従兄弟コンビは、どうにかならないものなのか。
って、まぁ血だから仕方ないんだろうけど。
…………と、勝手に結論付けておく。
「それで……いいのありました?」
「ん?」
しばらく、あれこれと盛り上がりを見せていた眼鏡談義。
ここまで店内で喋ってるのに、店員がまったく寄ってこないのはある意味奇跡だろう。
……それとも、違う意味で納得されてるのかもな。
『ああ、あの客は絶対買わないな』って。
まぁ、彼女連れの上にひたすら試着で遊んでるのを見たら、誰だってそう思うかもしれないが。
「……うーん。正直言うと……結構迷うんだよね」
あれこれと見てはいたのだが、実際はソレ。
迷う。
基本的に、結構。
……だから、選んでほしかったというのもある。
面倒臭いワケでは、決してなく。
「縁なしとかも昔はしてたんだけどね。……今は、やっぱ縁がないと逆に落ち着かない」
「……なるほど」
「でも、だからといってカッチリしたヤツだとな……すごく印象が変わるからさ」
「……そう……ですか?」
「うん」
たとえば。
手近にあった、最近流行の四角いフレームの眼鏡を取って、かけてみる。
――……と。
「……わ」
「違うでしょ?」
「かなり……」
改めて彼女を見ると、瞳を丸くしてから、口元に手を当てた。
しかも、ご丁寧なことにぶんぶんと首を縦に振ってくれながら。
「……うわ」
そんな彼女から鏡へ視線を移すと、どうにもこうにも、ものすごく嫌味っぽいヤツがぼんやりと映っていて。
……感じ悪いな、コレ。
レンズが入っていないので、まったく見えず、つい瞳を細める。
すると、鏡を覗き込んでいた彼女が、声をあげた。
「ん?」
「えっ! ……いぅあっ……あ、あの……ええと……」
なぜにそこまで動揺するんだろうか。
……ほほぅ。
「もしかして、ドキドキしてる?」
「えぇ!? そ、そんなっ……こと……!」
どうやら、図星らしい。
ほんのりと頬が染まっているところを見ても、これはこれで結構イイようだ。
……ふむ。
「それじゃ、コレは?」
「……あ。なんか……薬剤師さんみたいな……」
「…………マイナーなところを行くね」
「そうですか?」
「いや、別にいいんだけど」
こうも、ころころ表情を変えてくれるとは。
だが、これで彼女も実感してくれたであろう。
眼鏡ひとつで、表情はもちろん、その人間が纏う雰囲気と人に与える影響がガラリと変わることを。
「……えっと……」
「ん?」
「それで、その……結局、どんな眼鏡にするんですか?」
「…………」
「…………」
困ったように笑う彼女と、フレームを戻したまま固まる俺と。
この、ストレートかつ当然の疑問を受けた途端、やっぱり微かにまた時間が止まったような気がした。
――……そんなワケで。
結局のところ、元のフレームを直してもらうということで合意し、修理に出すだけで新調の選択肢はなくなった。
……となると。
わざわざ遠くの同系列の眼鏡屋に足を伸ばした理由は、ただ単に彼女で遊びたかったという我侭かつ下らない俺の欲求を満たしただけのことで。
笑われる、だろう。
……いや、もしかしたら怒られるかも。
まぁいいか。
当の本人は、『よかったですね』なんて言いながら、少しほっとしてたし。
使い慣れた眼鏡が新品同様に戻ってくることと、そして今回、彼女の思わぬ一面を見られたこと。
そのふたつを総合すれば、満点のでき。
……あー、楽しかった。
なんて、口が裂けても言えない。
……ちなみに。
実は、こっそり彼女対策眼鏡をひとつ新調しておいたんだが――……実際にお目見えするのは、いつになることか。
機会を狙ってはいるんだが、今からその反応がものすごく楽しみだったりするんだよな。
……あー、俺ってつくづく彼女馬鹿だなと改めて思ったのは、無論言うまでもない。
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