「っ……わぁ」
 昇降口に着いたときに気付いた。
 ……外は、雨が降っていたってことに。
「…………うそつき」
 ぽつりと漏れた言葉とともに、眉が寄る。
 だって、朝出てくるときに見た天気予報はしっかりと『あたたかく穏やかな天気に』って言ってたのに。
 だから、それを信じて傘なんて持ってこなかったのに。
 バッグの取っ手を両手で持ちながら、またため息が漏れた。
 ……やだなぁ。
 濡れて帰るのは避けたかったのに……。
 まだ時間も遅くないし、お兄ちゃんもお父さんも仕事だろう。
 家に電話したって、誰かが出てくれるわけじゃないし……。
 ……うー。
 こういうときに限って、頼みの絵里は先に帰ってしまった。
 絵里は置き傘してるからなぁ……。
 私も見習わなきゃダメかな。
 しとしとと音を立てて降っている雨を見ながら、またため息が漏れた。
 ……うーん。
 でも、そんなに降ってるわけじゃないんだよね。
 どっちかっていうと、小康状態。
 うー……。
 バスが来たらバス停まで走って、乗り込む。
 ……あ、それならそんなに濡れないで済むかも。
 …………って、ちょっと待って。
 乗ったはいいけど、バス停に着いたあとは……どうするの?
 そこから、家まで走る?
 ……あの距離を?
「…………はぁ」
 我ながら、考えがちょっと浅はかだった。
 そうだよね。
 もし、バスに乗ってる途中で雨が強くなったりしたら、困るもん。
 この時期風邪を引くわけにはいかないし。
 ……この雨がちょっと憎い。
「ん?」
 下駄箱に背を預けて空を見上げていると、ポケットに入れていた携帯が震えた。
 2度振動して止まったから、メールだろう。
 もたれたままで取り出し、そっと開く。
 うん。やっぱり、メールだ。
 ボタンを押して画面を開く――……と。
「……先生?」
 差出人の名前を見て、瞳が丸くなった。
「え……?」
 近くにいないのはわかっているけれど、ついあたりを見回してしまう。
 だって、学校にいて彼からメールが来るなんて珍しいんだもん。
 ……なんだろう。
 姿を見つけることができないままメールを開くと、そこにはひとことだけこうあった。

『化学室へ』

 ……いつも思うんだけど……先生って、メール嫌いなのかな。
 先生のひとことって、本当にひとことなんだよね。
 意味はわかるからいいんだけど……まあ。
 でも、このたった4文字の言葉がやけに重く感じる。
 だって、いかにも『問答無用』っていう雰囲気が……あるじゃない。
 うう、行きますけどね? そりゃあ。
 靴を履き替えてから上がり、言われた通り化学室を目指す。
 ……何があるんだろう。
 でも、どきどきするのは、やっぱりしょうがないよね。
 彼とのこういうやり取りは、いつまで経っても慣れないなぁ……なんて、ちょっと思ったら少しおかしかった。

「失礼します」
 声をかけてから化学室に入ると、窓際に立っていた彼と目が合った。
 ドアを閉め、そちらへ足を向ける。
 すると、すぐに意地悪っぽい笑みを浮かべた。
「傘ないだろ」
「え……。どうしてわかったんですか?」
「ついでに言うと……もしかして走って行こうとか考えてなかった?」
「え! な、なんで!?」
 顎元に手をやって窓にもたれながら言われ、瞳が丸くなった。
 こちらの問いには答えようとせず、おかしそうに笑う姿。
 ……えぇ?
 なんでわかったんだろう……。
 少なくとも、あの場に彼はいなかったはずなのに。
「渡り廊下通ったら、そんなこと考えていそうな子が見えたんだよ。空を睨んであれこれ考えてそうな誰かさんが」
「……ぅ」
 腕を組んで壁にもたれて、相変わらずにやにやした笑みを向けられ、思わず声が漏れた。
 ……意地悪な顔だなぁ。
 鞄を両手で抱えて彼に近寄ると、小さく笑ってから手をポケットに忍ばせる。
「兄妹揃って、考えること同じとはね」
「え……。お兄ちゃんも、そんなことしてたんですか?」
「アイツは、傘があろうとなかろうと平気で帰ってたよ。考えもせずに、びしょ濡れで」
「……あー……」
 そういえば、そんな記憶がある。
 雨が降っているときに家へ帰ってくると、彼は必ず玄関から声をかけてタオルの催促をしていた。
 ……そういえば、そうだなぁ。
 今考えてみると、よく制服が痛まなかったと感心する。
 お兄ちゃん、結構制服いい加減に着てたし。
「……え?」
「なんなら、送っていってさしあげましょうか?」
「ほ……んとですか?」
「行い次第では、考えてあげる」
「……なんですか、行いって」
「ん? そのまんまだけど?」
 口調は穏やかなのに、相変わらず彼が浮かべているのは意地悪な笑み。
 ……なんですか、行いって……。
 そんな彼を見ていたら、自然と眉が寄った。
 小さくため息をつき、窓の外を見てみる。
 だけど、やっぱり変わらず雨が降っていた。
 ……さすがに、やっぱり走って帰るのは難しそうだ。
「…………そういえば……」
「え?」
 じぃーっと窓を見ていたら、彼が思い出したようにぽつりと呟いた。
 それで、彼へと自然に顔が向く。
 ……?
「なんですか?」
「……いや、別に?」
 含み笑いをして首を振る彼。
 ……むー。気になる。
 そんなふうにされると、誰だって気になるじゃない?
 なのに、彼はただ笑うだけで何も言ってくれなかった。
 …………気になる。
「もぅ、気になりますよ。……そんなに笑われたら」
「んー……それじゃ、ヒントあげようか」
「ヒント?」
「そ」
 くすくす笑いながら壁にもたれた彼が、人差し指をぴっと立てた。
 そして、相変わらずのあの笑みで首を軽くかしげる。
「雨の日」
「……雨の日……?」
「そ。ちょうど、今日みたいに雨が降ってた日」
「……雨……」
 そう言われて再び単語を口にしてみたけれど、これといってピンと来なかった。
 ……雨の日。
 これまでに、雨の日なんて沢山あったけれど……特別なことがあった日もないし……。
「え?」
「それがわかったら、送ってってあげる」
「えぇ!? そ、そんな……」
「まさか、忘れたりしないよね? ……あの日のこと」
「……え? あの日……? えぇ!? なんですか!?」
「忘れるような子は、俺も知らない」
「っ……そんなぁ……!」
 けろっとした顔でそっぽを向かれてしまい、慌てて首を振る。
 だけど、彼は相変わらず視線を合わせてくれないわけで。
 ……うー。気になるよー。
 彼と同じように壁に持たれて雨を見ながら、必死に記憶を呼び覚ます。
 ……雨……の日。
 あの日、っていうんだから……きっと少し前なんだろうけど……。
 ふと彼を見上げると、同じように窓の外を見ながら小さく笑みを浮かべていた。
 嬉しそう……な顔?
 じぃーっと彼を見つめていてもやっぱり出てこなかったので、私も再び窓の外へと視線を向けるしかできなかった。


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