「……くっそ」
 思わずしかめつらして毒づきながら向かうのは、図書館から目と鼻の先にある本館の教学課。
 だが、本来ここは学生らが通うべき場所であって、とうに卒業して就職を果たした俺が足を向ける場所じゃない。
 ――が、職場は同じ大学内。
 しかも、図書館の“ひとり総務”みてーな仕事を日々こなしている俺は、行かなければ仕事にならない。
 それでも、たまには毒づきたくもなる。

 なんで俺ばっかり。

 そんな、ワガママなセリフがうっかり漏れたって、しょうがねぇだろ。

「はいどーぞ」
「……は?」
 出勤するなり野上さんが渡してきた、A4版の封書。
 普通はまず『おはようございます』が先だろーに、この人は慣例をことごとく打ち砕く。
「なんだコレ」
「学内司書講習会のお知らせです」
「…………」
「…………」
「ちょっと待った。なんで俺が」
「だって、館長が『やっぱりコレは瀬那君だろう』って言うんですもん」
「っはぁ!?」
 けろりとした顔でのたまった野上さんにデカい口を開け、弾かれるように館長のほうを向く。
 カウンター越しのガラス窓から見える、執務室の1番奥。
 そこには、のほほんとした顔で珍しく定刻出勤している館長の姿があった。
「いやいやいや、おかしーだろ。つーか、講習だったらそれこそ、俺よか野上さんのほうが適任じゃん」
「えー、だってこの日、館長も副館長もいないんですもん」
「いや、だから! 野上さんはいるだろ!」
「やです」
「……は?」
「私、こういう小難しい話してると、だんだん頭がパニックになって、どーん! って言いたくなるんですもん!!」
「…………あのな……」
 ふるふると首を振った彼女が、両手を突き上げて『どーん!』とくり返す。
 まだ開館時間じゃねーからいいようなものの、こんなところをほかの学生に見られでもしてみろ。
 たちまち、また俺にまつわる妙な噂が広まるじゃねーか。
「つか、そもそもなんで館長も副館長もいねー日に講習会設定したんだよ」
「設定したあとで、ふたりの出張が決まったからですよ」
「は? だったら、その時点で普通は変更入れるだろ」
「入れなかったんですもん、しょうがないじゃないですか」
「……あのな……」
 俺に喧嘩売ってんのか。しかもこの朝っぱらから。
 そもそも、今週の始まりからずっとそうだ。
 なんだかんだと理由をつけて、俺に押し付けられてきた雑多な用事はいくつあった?
 たしかにまぁ、全部が全部野上さん経由できたわけじゃない。
 ワケじゃないが――もしや。
「変更しといてくれ、って誰かさんが頼まれたんじゃねーの?」
「ぎぎぎくぅ!! なっ……なんで……なんでわかるんですか!? え!? 瀬那さんってもしかしてエスパー!?」
「……あのな」
「ひぇ!」
 すぅ、と息を吸い込んでから久しぶりに野上さんへ低い声とともに瞳を細めると、両腕をぎゅうっと縮めながら今にも泣きそうな顔で俺を見上げた。
 ……ってのは、半分嘘。
 『やばい、瀬那さんもしかしてご乱心モード!?』なんてニヤけた口元が見え、呆れのせいで盛大なため息をつく。
「……で?」
「で、ですから、その……ここはひとつ、この差し迫った危機を見事逆転ホームランしてくれるのは、瀬那さんだけなんです!」
「…………」
「かかか顔が広いのも、教学課に嫌な顔されないのも、全部ずぇんぶ瀬那さんしかいないんですよぉおおぉお!!」
「…………はー……」
 やっぱり理由はそれか。
 恐らく、これまで館長がたびたび教学課へ行くのを渋って俺にばかり行かせてるのを見て、野上さんもそう学習したんだろう。
 ……はー。めんどくせーことが増えた。
 しかも朝から。
 つか、昨日も終業時間間近だってのに期限ぎりぎりの書類を俺が届けに行かされたのに。
 きっと、むこうだって思うぜ。
 『また瀬那さんですか。……しかも朝から』って。
「……行ってくる」
「うわーん、ありがとうございます!」
「…………」
「恩に着ます! 着ますからね!!」
「代わりに返却図書、棚に戻しといてくれ」
「うっ……!」
 きびすを返しながら、ブックポストに投函されている山のような本を指差す。
 これは、いつも俺の仕事。
 いったいいつからそう決まったのか知らないが、いつの間にやらそうなっていた。
 が、今日だけは絶対に譲らない。
 なんせ、この俺がまた誰かさんの尻拭いをしてるんだから。
「……ったく」
 重たいガラスドアを押しながら舌打ちが出て、ひとしれずため息も漏れた。


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