「……はー」
 今週はもしかしなくても、どうやら俺の堪忍袋の強度が試されてるらしい。
 理不尽だろ。どー考えたって。
 なんで俺ばっかり……って、らしくもねぇ考えがつい出てくる。
 逃げるためか、はたまた堪えられなくてか。
 どっちにしろ、自分は相当参ってるらしい。
「……っと。もしもし?」
 教学課から受け取った書類と逓送(ていそう)、そして途中でうっかり祐恭からもらっちまった返却図書を抱えたまま、鳴りはじめた携帯を取る。
 つっても、両手はふさがったまま。
 仕方なしに、肩と頬とで支えながら応えるしかない。
「っ……お世話になっております。こちらこそ、先日はありがとうございました」
 相手は県図書館の司書。
 先日、県の図書館にのみ蔵書がある古い資料を貸してもらえないかと打診したため、ついまた礼を先に述べていた。
 本来、このテの電話は俺個人にくるべきではなく、図書館あてにくるのが正しい。
 が、何年か前に初めて飲みに行ったとき連絡先を交換して以来、彼はいつも携帯へかけてきた。
 ……ま、それでオーケーってことだから、俺も頼むときは直接携帯へ連絡入れさせてもらってるけど。
「いや、こっちこそ。助かります――……っ!」
 ははは、と愛想じゃない笑いが漏れ、うっかり封筒が落ちそうになったのを慌てて抱えなおすも、今度は携帯が落ちそうになり、ついついその場へ膝を折る。
 時間は昼休み。
 学生の流れが途絶えない本館から図書館までの道でこんなことしたら目立つどころの話じゃないが、それでも今の俺は仕事中。
 ちなみに、まだ昼メシは食えていない。
「え、定例会すか? いや、ウチからは多分ほかの人間が……はは。マジすか」
 隔月で行われる、県の各図書館の職員が集まって行われる情報交換会という名目の報告会の話を出され、相手の口調から『ああ、俺にこいってか』ってのは察するが、さすがに『行きます』とは言わない。
 これ以上俺の仕事が増えるのが嫌だとかっつー馬鹿な理由じゃなくて、単に、アレには今度野上さんが行きたがってたから。
 というのも、前回の例会に行った司書から『イケメン司書がいた』なんて話を聞いての、好奇心をむきだしにしたせい。
 ……つってもま、野上さんをウチの館代表で行かせるのは大いなる心配がある、って副館長が漏らしてたし、決定事項にはなんねーだろーが。
「そのへんはまぁ、上司と相談しないと俺だけじゃ……ええ。また改めて。はい。ありがとうございました」
 図書館前の階段を上ろうとしたところでようやく通話が終わり、仕方なく荷物を持ち直して携帯を外す。
 そのとき、ふいに左肩が痛んだ気がして、情けなさと切なさからほんのわずかに目が閉じた。
「…………」
 ……なんでだろうな。
 別にこの仕事が嫌いなわけでもなければ、忙しいのが嫌だとも思っちゃいない。
 ただ……俺だってがんばってんのに。
 誰もわかっちゃくれない、なんて浮かぶことがあって、そんなことを思う自分が情けなくてキツい。
 別に、褒めてもらいたいワケじゃない。
 ただ、認めてほしいだけ。
「…………やるか」
 それがワガママ、か。
 まぁ、そーだろーよ。ガキじゃねーし。
 短くため息をついてから階段を上がると、ほんの少しだけ自分にゆとりができたような気もした。

「あ、おかえりなさい」
「ただいま」
 くたくたってほどでもないが、だいぶ重たくなった足を蹴飛ばすように帰ってきた我が家。
 つま先を向けたまま脱いで上がり、いつものようにすぐ目の前で俺を迎えた葉月を見はしたものの、匂いにつられるようにリビングを左折。
「……お」
 ダイニングテーブルの上にあった大皿には、春巻きと何かのフライが鎮座していた。
「カマスと、サーモンのフライだよ」
「……へぇ」
 あとをついてきたのか、ひょこっと顔を覗かせながら笑った葉月を一瞥すると、『タルタルソースもあるからね』と付け足した。
 相変わらず、俺のことをよくわかってるな、お前は。
 そんな意味を込めて頭を撫で、部屋へ向かうべく階段へ足を向ける。
「すぐ食べる?」
「食う」
 階段を中ほどまで上がったところで顔だけを向けると、目が合ってすぐ嬉しそうに笑った。
 そのままキッチンへ引っ込んだのを見て、つい頬が緩む。
 ……うまそ。
 相変わらず、夕飯が好きなおかずってだけでちょっと浮上するとかガキと一緒だなとは思うが、素直なもので腹は小さく鳴った。
「はい、どうぞ」
「うわ。マジで?」
「ん? なぁに?」
「いや……別に」
 席へつくと、茶碗とともに新しいラベルの発泡酒が置かれた。
 この間、CMで初めて見たヤツ。
 ……もしかして、飲んでみてーっつったの覚えてたのか。
 だが、目の前へ座った葉月を見ると、笑みを浮かべたまま首をわずかにかしげただけだった。
「お前、何かいいことでもあったのか?」
「え? どうして?」
「いや……なんか、ずいぶんサービスよくね? 今日」
 大皿の隣には、久しぶりに食いたいと思ってたゲソの天ぷらまである。
 しかも、ご丁寧に塩つきで。
 普段のメシと違うっつーか、なんかこう……ずいぶんサービスがいいっつーか。
 まるで、俺のために支度された膳に見え、缶のタブを引きながらつい聞いていた。
「ん。ちょっとね」
「……へぇ」
 ぱちぱちとまばたいたかと思いきや、見せたのは笑顔。
 こくん、とうなずいたその顔で、噴きだしそうになる。
「よかったな」
「うん」
 にこにこ笑いながら箸を持ったのを見て、早速ひとくち。
 ……あー、うま。
 キレがあるとか、喉越しさわやかとか、そーゆーのはどうでもいい。
 ぶっちゃけ、俺にとって酒はつまみの脇役でしかない。
 少なくとも、家で飲む場合はそんな位置づけだった。
「あ。かぼちゃプリンもあるよ」
「マジで? 食う」
「……ん。わかった」
 ゲソ天をつまんだところで思い出したように言われ、しっかり味わいながらうなずくと、目が合ってすぐまた嬉しそうに笑った。
 どうやら、よっぽどいいことがあったらしい。
 ……ま、お前がそーゆー顔してるぶんには、いーけど。
 小皿にがっつりタルタルソースを取ってからサーモンフライに箸をつけると、味が想像できてつい笑っていた。


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