「……あー、苦し」
 ヤバイ。食いすぎた。
 自室に戻ってからパソコンを起動し、椅子にもたれる。
 やっぱ、かぼちゃプリンが効いたな。
 すっげぇ腹いっぱい。
 それでもまぁ、ウマいものをたらふく食えてこういう結果になったんだから、ある意味幸せっちゃ幸せだけど。
「洗濯物、置いておくね」
「あ? ああ」
 短いノックのあと入ってきた葉月が、きちんと畳まれた服をベッドに置いた。
 つってもま、平日の洗濯物なんてごくわずか。
 休みの日でもなければ、俺の場合はたかが知れてる。
「葉月」
「ん?」
 廊下に戻ろうとしたところを呼び止め、椅子を回してそちらに身体ごと向き直る。
 不思議そうな顔をしたが、手招くとそれでも『なぁに?』と素直にくるあたり、コイツらしい。
「っ……え……」
「はー……」
 目の前までこさせたところで腰を抱くように両腕を回すと、少しだけよろけながらもなされるがままに大人しくなった。
 自分と同じ服の匂いのはずなのに、いつだって頭は“違う”と判断する。
 それは、コイツがもともと持ってるモノのせいなのか、単なる勘違いなのかはわからない。
 それでも、結局はどっちでもいいか、って判断にはなるんだよな。
 コイツと俺が違うのは当たり前なんだから、って。
「…………」
 抱き寄せた瞬間は驚いた様子だったのに、慣れでもしたのか、葉月が頭を撫で始めた。
 ゆっくりと髪を滑る、小さな手のひら。
 こうされて心地いいと思ってるあたり、どうやら相当疲れてたらしい。

「がんばってるね」

「っ……」
「私は知ってるよ。大丈夫。たーくんががんばってるの、ちゃんとわかってるから」
「……お前……」
 いつもと同じ、穏やかな声。
 まるで、すぅっとしみこんでくるかのような音に、思わず閉じていた目が開き、腕の力が緩む。
「イライラするのは、怒っちゃダメだと思うからイライラするんだ、って聞いたことがあるの。だから、怒ってもいいんだよ? だって、口に出しちゃわなければ何を思ってもいいんだから」
「…………」
「誰かのせいでイライラしてるっていうのも本当は違うんだ、って。責任転嫁っていうか、すり替えてるだけっていうか……」

 本当は――……自分の思い通りにならないから、イライラしちゃうんだよ。

 少しだけ申し訳なさそうに笑った顔を見て、目が丸くなった。
「…………」
 なるほど、な。
 確かに、コイツの言うとおりだ。
 俺ばっかりって思ったり、なんで俺がって思ったり。
 そんなのは全部、自分の意のままじゃないから腹が立ってるだけ。
 ……俺はガキと一緒だな、やっぱり。
 俺なんかより、よっぽどコイツのほうがよくわかってる。
「え?」
「ちょっと座れ」
 ぽんぽん、と葉月の腰を叩いてから、足へ腰かけさせる。
 こうしても、まだ若干コイツのほうが背は高い。
 それでも距離は縮まった。
 これなら可能だ。
「っ……」
「お前もがんばってるよな」
「……たーくん……」
「毎日、がんばってるだろ?」
「そうかな……」
「そーだろ」
 頭を撫でてやったものの、首をかしげたのをみて噴きだしそうになった。
 俺よか、よっぽどお前のほうががんばってる。
 だけど、自覚してないんだろうな。きっと。
 『私はいっつもがんばってる』なんて、コイツは思ったりしない。
 なぜなら、それが『当たり前』だから。

「ありがとな」

「っ……」
「お前はホント優秀だな。俺専属のカウンセラーだ」
 それこそ、学内にある学生カウンセリングルームにいる、心理のセンセ方よかよっぽどイイ。
 なんでも話せて、許してくれて、圧迫感なんて皆無で。
 何より、俺のことをよく知ってるし、わかってくれてる。
 これ以上ない存在だ。
「っ、おま……!」
「だってそんな……ありがとう、なんて……」
 そんなこと言われたら――なんて続けながら、葉月は滲んだ涙を指先で拭った。
 すん、と小さく鼻を鳴らし、まばたく。
 ……あーあ。
 褒めた途端にコレじゃ、カウンセリングはつとまんねーぞ。
「つーか、アレだろ。お前のほうがよっぽど、がんばってるだろ?」
「え……?」
「ツラかったり、しんどかったり、いろいろあるはずなのに、何も言わずにいつもと同じ笑顔見せて。すげぇな、つえーなって感心する――のが半分」
 人間がいくら環境に適応するイキモノだっつっても、そんな生易しいモンじゃない。
 新しい場所に慣れるにはそれなりに時間がかかって当然。
 しかも、コイツは今まで日本にすらいなかったんだ。
 何もかも1から始めるのと同じはずなのに、それでもまったく愚痴をこぼさなかった。
 持ち前の強さってのもあるんだろうが、間違いなくそれだけじゃない。
 これまでずっと、我慢することを覚えて生きたせいで、吐き出し方がわからないってのもぶっちゃけあるだろうから。
「もう半分は、なんで俺に吐かねぇんだっていう、嫉妬」
「っ……」
「ちったぁ頼れ。俺だってそれなりに動ける」
 言い終わると同時に、ぎゅ、と腕へ力がこもっていた。
 腰に回した腕でさらに強く寄せ、わずかに見上げる。
 すると、さっきまでと同じように唇を噛んではいたが、ふいに表情が緩んで『ん』とコイツらしい笑みでうなずいた。


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