ことの発端は、きっと些細なものだったんだと思う。
だけど、ひとつひとつの積み重ね……とでもいえばいいのかな。
なんだかこう、最終的な形態として、それは今、とてもとても大きなモノになってしまっていた。
「…………」
ごく。
ソファに座ったままの彼を見て、つい、喉が鳴った。
視線を受けているせいか、リビングの入り口に立ったままの私は動くことができない。
……怖い。
ええと、別に彼が怖いとかそういうんじゃないんだけれど、その……な、なんでかなぁ。
今の祐恭さんは、私を軽く睨んでいるような、そんなふうに見える。
……でも、別に怒られるような何かをした覚えは……って、もしかしたら、それが間違いなんだろうか。
「ねえねえ、そう思わない?」
「え? あ、はい。思います」
「やっぱり!? んもー、さすがは羽織ちゃんっ!」
急に意見を求められ、思わずこくこくうなずくと、目の前の彼女がとっても嬉しそうに笑った。
その顔を見てから……ちらり、とソファの彼に視線を戻すと、やっぱりおもしろくなさそうな顔で、今朝も読んだ新聞に目を落としている。
「…………」
私、気づかないうちに何かしちゃったのかな。
今の私がすべきなのは、今まであったことをまず振り返ってみることなのかもしれない。
今日はとてもいい天気で、まさに洗濯日和という朝だった。
雲が少ない青空から、さんさんとふりそそぐ日の光。
これは、お洗濯だけじゃもったいない……けれど、マンションではお布団を干すこともできなくて。
そもそも、祐恭さんは冬でも薄い掛け布団しかいつも使わないから、乾燥機で済んじゃうんだけど。
なんていうか、こう、これだけキレイに晴れていると、お洗濯以外のこともしたくなるんだよね。
お掃除もいいし、普段しまいっぱなしになっている服やクローゼットの扉を開けたり……あ。
いつもは使わない部屋の窓を開けておくのもいいかもしれない。
和室と洋室がいくつかあるものの、普段は決して入ることのない場所。
お客さんも滅多にこないし、来たとしても大抵リビングに通しちゃうんだよね。
だから、ほかの部屋で話を……なんていうのは、実は見たことがない。
祐恭さんも祐恭さんで、ほかの部屋に行くことは滅多にないし。
もちろん、いつも仕事で使っている書斎だけは別の話。
「……うん」
リビングにある大きな掃き出し窓を開け、外の空気に触れながらひとり小さくうなずき、早速行動開始。
といっても、洗濯機はすでに回しているので、するのはほかのこと。
まずは、使ってない部屋の窓を開け――……と思ったら、いきなり後ろから伸びてきた腕につかまった。
ぎゅっ……というより、がっちりと。
「……あの。祐恭さん?」
「あー、落ち着く」
「…………うぅ」
耳元でそんなに柔らかく言われちゃうと、行動しにくい。
彼は今朝早く起きてから今まで、ずっと書斎で仕事をしていたらしい。
普段もよくあるけれど、今朝私が起きたときには隣にいなくて、代わりに書斎のドアから廊下に薄く光が漏れていた。
何時からやっているのかはわからないけれど、少なくとも、それなりの時間は集中して行っていたに違いない。
いつも思うんだけど、本当に、彼の集中力というか作業の処理能力というかには、脱帽。
私じゃ、彼の半分ももたないかもしれない。
「っ……」
「……寝る? 一緒に」
「寝ませんっ」
「なんで」
「なんでって……だって、これから洗濯物を畳まなきゃいけないし……」
「乾燥してるんだし、ほっとけばいいのに」
「もぅ。そんなことしたら、皺になっちゃうじゃないですか!」
ふぅ、と首筋に息を吹きかけられて身を縮めると、さらに強く抱きしめられた。
余計に彼の唇が近づく形になり、首をすくめる。
すると、今度は耳たぶを唇で挟まれた。
「ん、やっ……」
「ちょっとだけ。一緒に休憩して」
「だ、だめですってば!」
「……休憩って、なんかえろいな」
「っ……もぉ……祐恭さん、疲れてますよっ」
「うん。疲れた」
ぼそりと呟かれたひとことは、間違いなく本音。
彼は、疲れたときこんなふうによく私に絡んでくるし、それだけじゃなくて、妙なことを口走ったりするんだよね。
……うぅ。
それにしたって、休憩って言葉をそんなふうに思うなんて。
相当疲れてるに違いない。
「あ、のっ。紅茶入れましょうか」
「別に」
「じゃあ、何か軽く食べれるものとか……」
「別に」
「うぅ……じゃあ何がいいんですか」
「別に」
「っ……もぅ、祐恭さん!」
「……相変わらずかわいいね、君は」
何を言っても同じ調子で返され、たまらず声をあげると、くすくす笑いながら彼が腕をほどいてくれた。
ようやく解放され、身も心もほっとする。
「っ……」
それも、束の間。
くるんっと腕を掴んで身体の向きを変えられ、真正面から目が合う。
……苦手、なんだよね。
だって、こんなふうにまっすぐ見つめられると、途端にどきどきが止まらなくなるから。
大好きな人の、優しいまなざし。
それも……とっても柔らかくて、彼のあたたかい感情が込められているように感じる瞳は、昔――……そう。
今から少し前。
こんなふうに、彼の家にふたりきりでいられるようになる前を思い出すから。
恋していたころの、自分と重なる。
彼の一挙一動が気になって、授業中も声や仕草や表情にどきどきして。
ちょっとしたことが嬉しくて、ちょっとしたことで落ち込む。
そんなあのころの自分を思い出すと、ちょっぴり恥ずかしくて、でも、とっても楽しかったなぁって思うんだよね。
「どうした?」
「え? あ……いえ。なんでもないです」
不思議そうな顔をした彼に首を振り、にっこり笑う。
どうやらそんな私が彼には予想外だったようで、少しだけ目を丸くしたものの、すぐに微笑んでくれた。
頬にあてられた手のひらがあたたかくて、顔が緩んでしまう。
近づく唇が、目の前で少しだけ笑った。
――……それはそれはとても楽しそうに。
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