「……怪しい」
瞳が細まると同時に、ひくりと鼻が動く。
怪しい。匂う。クサい。
勘というより、これまでの経験に基づくちゃんとしたモノのせい。
……知ってた?
勘が働くってのは、元々自分の中に蓄えられた知識や経験から成り立ってるモノなんだってこと。
「……怪しい」
純也は、またもや大した用事を告げることもなく出て行った。
今日で、連続3日目。
まぁ昨日と一昨日はまだわかるわよ? 土日だったから。
でもね、今日はがっつり週のスタート月曜日。
それなのにまた同じ時間に出て行くあたり、もはやあほなんじゃないかとしか思えない。
てかさ、ここまできて『ちょっとジュース買ってくる』なんて言い訳が通ると思ってんのかしら。
……まぁ、本気で思ってるから、今日もまた『ジュースを……』なんて言いながら出てったんだろうけど。
でもね。
明らかに、ちょっと考えるまでもなくおかしいのよ。
だって、ジュースを買いに行くのならば、フツー遅くても20分位までが限度でしょ?
なのに、昨日までの2日間の平均時間は……驚くなかれ。
2時間よ、2時間!!
ありえない!!
いったいどこまでジュース買いに行ってんだ、って話でしょ!
当然つっこみたいことばかりで、帰宅と同時に仁王立ち。
だけどアイツは、呆れたことに2日連続『コンビニで友達と偶然会って話し込んだ』って言ったのよ。
ま、開口一番言うわよね。
馬鹿じゃないの? と。
だってありえないでしょ? コンビニで2時間もしゃべり倒すとか、どんだけよ。
ある意味営業妨害でしょ。
それにっ!
純也が『ともだち』って言うのもおかしい。断じておかしい。ていうかぶっちゃけ、ありえない。
だからこそ、浮かぶのは『何をひた隠しにしてるのか』ってこと。
素行がすべて怪しいうえに、意味不明。
まさに不可解。
ずっとずーっと考えてたけど、いい加減眉間がこり始めたから、実行することにする。
「……よし」
スマフォを取り、履歴からコール。
18時近いものの日がのびて真っ暗ではない今、だいぶあたたかくなってきたし、何よりも今は春休み!
4月までの短い期間なのに、今遊ばなくてどーする! あぁもったいない!!
……ってことで、もちろん電話先はあの子。
今の私の気持ちをうんうんと黙って聞いてくれるであろう、かわいくて従順な幼馴染ちゃん。
「あ、もしもし?」
ぷつっとコールが途絶えた瞬間に口を開き、相手の出方を待つ。
……いや、待ってられなかった。
「とりあえず。今から出るから、支度しなさい」
思いっきり『えぇ!?』なんて聞こえたけれど、気にしない。
っていうか、気にするんなら最初から電話したりしないって。
「いーから! 行くわよ!! 一大事!!」
くわっ、とまくし立ててから電話を切り、自分も早速支度をする。
とりあえず、持つものだけ持っていけばいいでしょ。
てかまぁ最悪、財布とスマフォさえあればどうとでもなる。きっと。
「あ」
とにかく来なさいと言ったはいいけど、そういえばここまで来る羽織のアシがないな……なんて思ったのは、内緒の話。
――あれは、昨日の夜のこと。
夕飯を食べてすぐ『ちょっとコンビニ行ってくるわ』と出て行った純也は、私がお風呂から出たときにちょうど帰ってきた。
……でもね、その格好がいかにも挙動不審で。
見るからに『何か隠してます』と主張するかのような歩き方に、当然の疑問は沸く。
「何してんの?」
「うおぁ!?」
タオルを肩にかけたまま背中に声をかけると、思いきり反応をして、持っていた何かを床に落とした。
……その、モノ。
ブツ。
それを見た瞬間、ちょっと『あれ?』って思ったのは事実。
でも、ホントに一瞬。
次の瞬間には、錯覚じゃない確かな疑惑を純也に向けていたから。
「何? これ」
慌てて拾おうとした純也より先に、ひったくるように手にしたものは、見た目以上に軽くて……しかもどこか甘い匂いのする白いエプロンだった。
えぷろんよ、えぷろん!!
しかもそれってば、間違いなく女物でかつ、それこそメイドさんが『いらっしゃいませ』なんて身に着けていそうなアレ。
「……何これ」
握り締めたまま、疑問ではなく答えを言えと圧力掛けながらまったく同じ言葉を繰り返すも、慌てたように手を振ると……それはそれはひきつりながら笑顔を浮かべた。
「あ」
「いや、だから違うんだって! これは……っその……」
冷や汗かきまくり。なんなら通常の2倍以上出てます。
そんな顔のままエプリンをひったくり、後ろ手に隠すのを見てため息は漏れた。
どーしてわからないのかしら。
そういう行動が、あからさますぎて一層『怪しさ』をかもし出してるってことに。
「何に使ったの? それ」
びっくりするくらい真顔で、恐ろしいほど低い声が出た。
途端、純也がごくりと喉を動かしたのもわかる。
……何よ、その顔。
目を泳がせ、予想通り口ごもり。
…………あーもーサイテー。
嫌なくらい気持ち悪い沈黙が、腹立つ。
「これは……な?」
「何」
「いや、だからさ。ちょっ……ちょっと使って、そんで汚れて……な」
最後の最後で、なぜに目を逸らす。
じぃいいいと穴が開けばいいと思って見つめていたのに、純也は最終的に逃げた。
怪しいっつーの。
全然説得力ないっつーの。
っていうか、そもそもソレって女物じゃない。
誰が使うのよ、誰が。
しかも、汚れたって……何それ。
「っと……そんじゃ、俺も風呂」
「あ!? ちょっ……! 純也!!」
「いーから! 風呂だよ風呂!! じゃあな!!」
「ちょっと!?」
純也とそのブツとイコールで結べるものを模索してたのに、なんの前触れもなくダッシュで洗面所まで向かった。
何度も声をかけ、名前を呼び、最後は……まぁ、少し罵詈になってなかった気もしないでもないけど。
でもヤツは結局、振り返ることも反応することもなく洗面所のドアをぴしゃーんと閉め、すぐさま洗濯機を回す音が聞こえてきた。
「…………最低」
何がなんだかわからないままの私を残して、ヤツは口を割ろうとはしない。
『別に関係ない』とか『なんでもない』とか。
絶対何か企んでるっていうか、何か隠しごとしてるっていうのは間違いない。
でも、それが何なのか。
そして……相手の女は誰なのか。
今日の朝もしつこいくらい聞いてやったけど、純也はやっぱり手と首を横に振るだけだった。
「――ってワケなの!! 怪しいでしょ!? おかしいでしょ!?」
これまでの2日間でまとめあげた私なりの考えを、かいつまんで話し終える。
めちゃめちゃ息が上がってるのは、なんでだろう。
……自分でも正直よくわかんない。
だけど、これだけは言える。
もし今ここで純也にバッタリ出会ったら、間違いなくアイツを殴るであろうということだけは。
「でも……それって、まだハッキリしてないんでしょ?」
「何を呑気に言ってるのよ!! あのね、いい!? これは何も純也に限ったことじゃないのよ!?」
眉を寄せて『田代先生に限ってそれはないよ』なんて励ましてくれる羽織へ、びしっと指差しつつ『違う』を連呼。
そもそも、今私たちがいるのはウチじゃない。
なんつーか、こー……寒風吹き荒ぶ……とはまた違うんだけど。
まぁ、時期が時期だけにまだ暖かいとは言いきれない、冬から春へ向かう夜にはそぐわない場所。
……そう。
何を隠そう今私たちは今、祐恭先生のマンションのエントランスにいた。
「それで……どうしてここなの?」
足を心配したものの、羽織はあの時間から一旦駅へ向かうバスを乗りついてここまでやってきた。
昼間は暖かかったけど、今はだいぶ冷えている。
「あのね。純也がうっかり口を滑らせたのよ」
「なんて?」
腕を組むと、少しだけ不敵な笑みが浮かんだ。
……ふ。
ヤツらのアジトを掴んだ以上、もう勝ったも同然。
あとは強硬手段を用いずとも、突入すればすべてが終わる。
……そう。
こっちにはそれこそ“最後の鍵”並みに万能の働きをしてくれる、祐恭センセんちの鍵があるんだから。
「あのね。純也が出てくとき、『う』って言ったのよ。『う』って」
「……う?」
「そう! 『う』!!」
眉を寄せて『何? それ』みたいな顔をした羽織に、首を縦に振りながら主張。
わかってるわよ?
自分でも、端から見れば変なこと言ってるってのは。
でも、しょーがないじゃない。ホントのことなんだから。
あれは……ついさっき。
帰ってくるなり荷物をリビングへ置いた純也は、着替えもしないで早々に家をあとにしようとした。
でも、さすがに昨日のことがある以上、ただで行かせるわけにはいかない。
「ちょっと」
「うわ! びっくりした。お前いたの?」
「ったりまえでしょ。で? どこの女に会いに行くのよ」
「は?」
玄関で靴を履いていた純也に思いきり疑問をぶつけてやると、どーやら私が疑ってることにようやく気付いたらしい。
いや、遅くない?
てかもうちょっと考えなさいよ馬鹿じゃないの。
「いや、会うのは男友達だって」
「ふぅん。男に会いに行くのに、わざわざスーツで行くの?」
「ちょっと時間ねぇんだよ。今日はこれから、う……いや、別に」
「…………は?」
今、ぽろりと何かバクダン発言したわよね。この人。
っていうか、いい加減『ともだち』って言葉に慣れてきた自分も怖い。
本気で言ってるとしたら、鳥肌モンに違いなかったのに。
「何よ、『う』って。どゆこと?」
怒涛の攻めにかかり、目の前の前まで進んでから『いつ・どこで・誰と・何を』なんて形式に進めていくものの、最初は困ったような顔した純也がなぜか急に口ごもった。
……ち。
自分で墓穴を掘ったって気付いちゃったのね。
残念っていうか……なんか、腹立つ。
「で。どこ行くの? 誰んち?」
「だから、別にいいだろ? そんなのは」
「よくないでしょうが! ていうかね、毎日毎日ひとりぼっちにされてる身にもなりなさいよ!」
ダンっと床を踏み鳴らし、仁王立ちよろしく両手を腰に当てる。
もちろん、表情と言葉が一致してないことはわかってる。
きっとここでさめざめ泣いたら違う展開になるんだろうけど、そんなタマじゃない。
だけど、珍しく純也は視線を逸らすと、どこか困ったように頭をかいた。
「あー……いろいろな」
「っ……あのねぇ!」
く、またソレ?
ぷっちんとキレそうになる自分を抑えつつも、当然納得はできない。
だって、この態度よ? この態度!
自分でも明らかに非があるって認めてるクセに、まだ明らかにしない。
何様よ、何様!
いつもだったらこんな口調で私が言えばすぐ噛み付いてくるのに、ここ数日はそれがまったくなくて。
だからこそ、『やましいことしてる』って容易に想像付くから……それがすごくイヤ。
違うなら違うで、もっと力いっぱい否定してくれればいいのに。
それだけで、私は救われるのに。
……なのに……。
「…………なんなのよ」
悔しくて、だけどこれ以上どこに向ければいいのかわからなくて。
理由があるなら、たとえどんなことだろうと、言ってほしい。
そうすれば、納得できなくても……それでも少しは、自分を慰められるのに。
でも、こんなふうに『なんでもない』なんてひた隠しにされたら、勘ぐってばかりの時間が続いて、精神的に参っちゃうのに。
……つらいのに。
「何よもぉ……」
ぎゅっと痛いくらい両手を握り締めて、でももうそれ以外の言葉は出てこなかった。
もういい。知らない。
まるで拗ねた子どもみたいなセリフしか浮かんでこないから、自然と回れ右して背を向けるしかできなかった。
「……おい、絵里?」
どうして、すぐにそういうトコには気付いてくれるのに、もっと表に出てる部分はわかってくれないんだろう。
「いーわよもう。……いってらっしゃい」
棒読みのようなセリフを返し、そのままリビングへと足を向ける。
ぺたぺた響くスリッパの音で、自分がかわいそうになる。
あーあ。そうよ。かわいそうじゃない、私。
なんでそんな、教えてくれないの?
「……行ってくる」
ちょうどリビングのドアノブに手をかけたとき、小さなセリフが聞こえた。
ほどなくして、鍵が閉まる音も続く。
「…………馬鹿」
私を呼んだ声が優しくて。
それが悔しくて、意地でも振り返れなかったけど、そもそもそれがいけなかったのかななんてちょっとだけ思った。
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