「……お前さぁ」
「ん? あ、やっと来たの? 遅いわよ」
「……遅い遅くないの問題じゃなくて。フツー、相手が来るまでメシ食うの待ってるぞ?」
窓際の席で見つけた彼女の元へ寄ると、すでに目の前には幾つかの空になった皿があった。
……ったく。
相変わらず、色気より食い気だな。
グラスビールをかたむけながら『座れば?』と言った彼女に苦笑しつつ席に着き、メニューを開く。
すると、しばらくしてかわいらしい制服を着たウェイトレスが水を運んできた。
「……誰かさんと違って、かわいげがあると思わねぇ?」
「悪かったわね、かわいくなくて」
「やだなー。別に俺、アキがそうだって言ってないよ?」
「じゃあ、人のこと見ながら言わないでくれる?」
「あはは。そりゃそうだ」
まったく気にもしない様子で肩をすくめた彼女に笑ってから、オーダーを済ませてネクタイを緩める。
――……すると、ビールを飲んでいた彼女が小さく笑った。
「ん? なんだよ」
「いや、なんか……やっぱ、違和感あるのよね。その格好」
「……そーいや、あのときも言ってたもんな」
「そゆこと」
おかしそうに笑ってグラスをテーブルに置いた彼女。
だが、俺に言わせてもらえばアキのその格好だってあのときと同じ。
――……あの、彼女と会った2度目の夜と。
「鈴木亜紀代サン」
仕事が終わったらしく、ようやく出てきた彼女に声をかけると、1度こちらを見てからまばたきを見せた。
「……えーと…………。誰?」
「オイ」
いったい何を言い出すのかと思いきや、こともあろうにまったく俺のことを覚えていないようだった。
……そりゃないだろ。
つーか、自分で名刺を渡した相手くらい覚えていてほしいもんだ。
「俺だよ、俺! ほら! これ貰っただろ!!」
手の内で弄んでいた名刺を彼女に見せると、それと俺とを見比べてから――……なぜかおかしそうに笑い出した。
……コイツは。
正直言って、ここまでコケにされたのは初めてだ。
なんか、無性に悔しい。
「ごめんごめん。いやー、スーツなんて着てるからわかんなかったわ」
「……失礼だな」
「だってさー。この前と全然雰囲気違うんだもん。なんか、いいとこのお坊ちゃんって感じよね。そういう格好すると」
けらけら笑って手を振った彼女を軽く睨み――……かけて、やめた。
……いいとこのお坊ちゃん、ね。
どうやら、俺はやっぱりあの家の息子らしい。
「ま、あながち間違いじゃないけどな。これでも、医者の息子だし」
「へー」
「……それだけ?」
「ん? なんで?」
「いや……別に」
てっきり、もっとすごい反応見せるもんだと思っていただけに、思わず面食らってしまう。
……つくづくほかの女と違うな。
もしかすると、彼女には『実は芸能人だ』と言っても反応がないかもしれない。
「っていうかさ」
「ん?」
「お腹空いたから、とりあえずごはん食べ行かない?」
神妙な顔で何を言うのかと思いきや、それかよ。
不思議そうな彼女を前に、うなずきながら久しぶりに声を出して笑った。
「つーかさ」
「うん?」
場所を近くのファミレスに変えて切り出すと、パスタを食いながら彼女がこちらを見上げた。
……ホント、うまそうに食うよな。
って、そうじゃなくて。
「普通、名前聞かずに帰らないだろ?」
「……あー……。そういえば、まだ聞いてなかったっけ」
「言ってねぇって」
まるで『今思い出した』とでも言わんばかりの彼女に、ため息が漏れる。
普通、初対面の人間に会ったら、まずは自己紹介っつーのが基本だろ。
……まぁ、この際何も不思議に思わないけどな。
彼女には、俺がこれまで培ってきた経験上の『普通』というものが、まるで役に立たないようだから。
「で? お名前は?」
「芹沢宗」
「……へぇ。なんか、いかにもお坊ちゃまって感じの名前ね」
「そうか?」
「うん」
どの辺がそうなのかわからないが、珍しく彼女が興味を示した。
「それで芹沢サン。ご職業は?」
「……なんか、気持ち悪いな。宗でいい」
「そ? じゃ、私もアキでいいわよ」
「そりゃどーも」
にっこり笑ってパスタを口に運んだ彼女に苦笑を浮かべてから、自分もアイスコーヒーを含む。
……なんつーか、なぁ。
やっぱ、この女は不思議な点ばかりだ。
「どう見えるか知らんが、これでもガッコの先生だぞ」
「へぇ」
「……お。何? 見直した?」
「んー……。なんていうか、意外もいいトコ」
「そうか?」
「うん。てっきり、キャッチとかしてるんだと思った」
「……随分だな」
「あはは。ごめん」
やはり、彼女は悪びれもせずに手を振った。
……まぁ、いいや。
もう慣れた。
「で? 私に会いに来たってことは、きれいな身体になったワケ?」
「いんや。取り敢えず、お付き合いしようかと」
「……ちょっとー。だから、好きな女がいるのに遊ぶなっつってんでしょ?」
「だから。そう簡単に忘れられるモンじゃねーだろ? ……お互い」
視線を外したままでいたものの、最後にまっすぐ見てやる。
すると、珍しくアキは瞳を丸くして口を結んだ。
……ビンゴ。
やっぱり、俺の読みは外れてなかったようだ。
「俺はキレイになっても、アキがキレイになんねぇのはズルいよな」
「……それは……」
「本当に好きなヤツがいるのに自分騙して逃げるな。……お前、そう言ったよな?」
「…………」
アイスコーヒーをグラスから飲み、そのまま彼女を見る。
……おーおー、女らしい顔しちゃって。
相当好きらしいな、その幼馴染ってヤツが。
こーなると、彼女がここまで惚れた男ってのを一度は拝んでみたい気もする。
「……自分で言っておいてなんだけど……。やっぱ、無理ね」
「無理?」
「うん。そんな簡単に、忘れられないし……」
いつもと雰囲気の違う声で彼女を見ると、視線を落として弱く笑っていた。
……こんな顔するのか。
俺がこれまで見受けた彼女らしからぬ儚い顔に、思わず瞳が丸くなる。
…………だが。
こんな顔をするということは、正真正銘の事実ってこと。
よーやく、彼女という人間の片鱗を見つけた気がして、少しほっとしたからかため息が漏れた。
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