「別に、忘れる必要ねぇんじゃねーの?」
「……え?」
「そいつのこと。無理して忘れなくて、いいじゃん」
 アイスコーヒーを飲みながら彼女を見ると、驚いたように瞳を丸くしていた。
 ……だが、これは俺に対しての本心でもある。
 俺だって、きっと一生忘れることはできないからな。
 これまでずっと真剣に好きだった女への、報われない恋心ってヤツは。
 だから、彼女の気持ちもわかる。
 俺と同じように、これまで心底惚れてた相手への想いを簡単に消せないことくらい。
「これまでずっと好きだったヤツなんだろ? なら、これからもずっと好きでいりゃいい」
「……けど。それじゃ……」
「いーじゃん、別に。そいつを好きなまま先に進めよ」
 椅子にもたれるようにして彼女を見てから、小さく笑う。
 すると、しばらくしてから彼女もおかしそうに笑ってみせた。
「……なんかさぁ……」
「ん?」
「カウンセラーみたいね」
 くすくす笑ってから頬杖を付いた彼女に、今度はこちらが瞳を丸くする。
 ……まぁ、非なるものではあるが。
「当たらずとも遠からずってトコだな」
「へぇ。そうなの?」
「ああ。これでも、保健室の先生ってヤツだし」
「……あー。なるほどね」
 フォークを皿に置いて烏龍茶を手にした彼女が、大きくうなずいた。
 ……どうやら、彼女自身も割と俺の言葉で変わってくれたようだ。
 自惚れだと言われるかもしれないが、表情がさっきまでと違う。
 むしろ、どこか晴ればれとしたような――……ある意味決意に満ちた、ともいえるようなものだったから。
「で、だな」
「ん?」
 テーブルに両腕を乗せてから身を乗り出すように彼女を見ると、ストローで氷を突いていたアキがこちらを見上げた。
 ……なんつーか、そういう仕草は普通に女っぽいんだけどな。
 どうしてか、目を合わせるとそんな感じじゃない。
 …………やっぱり、変わった女。
 そんな印象が強くなるが、同時に興味も湧いてきたワケで。

 こいつが本気で惚れたとき、どう変わるのか。

 それを見たいという気持ちも、若干芽生えつつあった。
 ……だから。
 だから俺は、こう言ったんだ。
 彼女の目を見て、たったひとことだけ。
「ひとまず、俺と付き合えよ」
 そのときの彼女は、やっぱり一瞬だけ瞳を丸くした。
 ……まぁ、そのすぐあとで『さっきの言葉がだいなし』とか言われたんだけどな。

「はー……おいしかった」
「つーか、お前食いすぎ。俺が来る前にも散々食ってたんだろ?」
「うん」
「……うん、じゃねぇって」
「だって、しょうがないじゃない。お腹空いたんだから」
「わーったわーった」
 俺が来る前にすでに何か食べてたくせに、俺が注文するときになって一緒にまた頼みやがった。
 ……こいつ、ホントによく食うな。
 これまで付き合ってきて思ったことの中で、それが1番デカい。
「さて……と」
「ん?」
「そろそろ行くか」
「……宗ってさぁ」
「ん?」
 伝票を中指と人差し指で抜き取ってから笑みを見せると、頬杖を付いてこちらを見ながらアキがため息をついた。
「なんだよ。どーした?」
「なんか……それしか考えることってないわけ?」
 何を言い出すのかと思えば、それか。
 ……まぁ、彼女に言わせれば俺のほうこそ『それか』なんだろうけど。
「あのなぁ。いいか? 男にとって、1週間っつーのはなかなか理性ギリギリなんだよ?」
「ンなこと言われたって知らないわよ」
「……うわ。つめてー」
「しょうがないじゃない。……っていうか、宗って会うたびそれしか言ってなくない?」
「まぁな」
「まぁな、じゃないから」
 にっこり笑ってうなずくと、おかしそうに噴き出した。
 だが、これは恐らく多くの男に聞いても俺の肩を持ってくれるはず。
 女と違っていろいろ厄介なんだよ。男っつーのは。
「……ったく。男ってヤラシーわね」
「お前に言われたくないよ」
「なんでよ」
「だって、そーだろ? アキだって、結局なんだかんだ言いながら付き合ってくれんじゃん」
「あら。そういう自覚があるなら感謝してほしいわね。犯罪者になる前に、私が食い止めてあげてるんだから」
「あはは。そりゃどーも」
 ああ言えば、こう言う。
 このやり取りは、彼女と初めて会ったときから変わっていない。
 これまでの、どんな女とも違うアキ。
 ……そんな彼女と、考えてみればもう今日で何度目になるかわからないくらいになっていた。
 これまでの間、互いに文句は出ていない。
 ……これだけ言い合う仲なのに、ある意味珍しいぞ。
 だからきっと――……これからも当分は、こんな関係が続いていくんじゃないだろうか。
 この、どっちつかずの微妙な関係が。
 恋人じゃない。
 だけど、ただの友達でもない。
 お互いに、似ている場所を見つけてしまったあの日から始まった、傷の舐めあいともいえる関係。
 ……不純だろうがなんだろうが、俺たちには関係ない。
 とりあえず今は、この時間が俺にとって習慣づいて来ているから。
「じゃ、行くか」
「……ったく。わかったわよ。行けばいいんでしょ? 行けば」
「んー……そこでひとつ提案があるんだけど」
「何よ。改まって」
「とりあえず――……今日は、泊まりにしねぇ?」
 レジへと向かいながら振り返る、彼女。
 そこには、いつものように呆れながらも、確かに笑みを見せているアキがいた。
「しょーがないわね。いいわよ? 別に」
「よし。言ったな? 朝まで覚悟しとけよ」
「それはこっちのセリフ」
 おかしそうに笑って、隣に並ぶ彼女。
 ……今は、とりあえず。
 この不思議な関係を、心底楽しんでみようかと思う。


2005/7/2


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