「…………ごくり」
 自然に、喉が鳴る。
 今はもう、夜遅く。
 それどころか、すでに0時を回ってるはず。
 ……多分。
 真っ暗な寝室には、時計もなければ携帯もなくて。
 ……いや、まぁ……携帯はあるにはあるんだけど。
 でも、こんなところで液晶見たら、あの眩しい光で大切な計画が水の泡になっちゃうじゃない!
 ダメダメ。
 それだけは、絶対にダメ。
 今こそ――……ううん。
 今日こそ、実行するって決めたんだから。

 ずばり、『睡眠療法』ってヤツを!

 そう思うと同時に、右手でぐっと拳を作っていた。
 ……あれは、この前のお昼の番組だった。
 あんまり面白くなさそうな番組で、チャンネルを変えようとしたそのとき。
 目と興味を引く短いフレーズが、画面の中央に現れた。

 『性格は、矯正できる!』

 そんな……マジで?
 半信半疑ながらも、やっぱり、私が食い付かないはずはない。
 だってだって、性格の矯正なんて聞いたら……ねぇ!
 身近にひとり、それを試してやりたい人がばっちりどっかり座ってるんだから。
「……直ったら……いい、よね」
 思わず、ごくりという確かな音とともに、ひとつのプランがばっちりと頭に浮かぶ。
 もしも。
 もしも彼の性格を直すことができて、そんでもって――……私の、想像通りの人になってくれたら。
 そうなったら私は………私は……っ!!

「ヤバいっ……! ちょっ……ほ、惚れ直しちゃうかも……!!」

 思わず、ガッツポーズを作りながら、頬が赤くなるのもわかった。

「………………ごくり」
 そんな、大興奮からさめやらぬ、その日の夜。
 私は、早速計画を実行に移すことにした。
 時はすでに、0時すぎ。
 ……なんかもう、いろんな意味で『準備万端』って感じがするんだけど。
「…………ごく」
 妙な気持ちの昂ぶりもあって、ついつい何度も喉が鳴ってしまう。
 ……ああもうっ。
 これじゃあなんだか、寝入ってる綜に夜這いをかけるみたいじゃないのよ。
 思わず、すぐ隣で姿勢正しく眠りについている彼をチラ見しながら、どくどくと鼓動が早まった。
 …………でも。
 でもでもっ、でも……!
 やっぱり、今の今しかチャンスはなくて。
 千期一来のチャンスよ、チャンス!!
 だもん、みすみす逃してしまう理由なんかなければ、余裕もない。
 ……やるならやらねば。
 ふと、昔耳にしたことのあるようなフレーズが頭に浮かぶと同じに、ゆっくりとベッドから抜け出ようと身体が動いた。
「…………」
 ……ごくり。
 抜き足差し足忍び足。
 そろりそろりとベッドを回って、綜の枕側に回った瞬間。
 こらえていた喉がまた鳴った。
 ……よし。
 なんといっても、ここからが本番。
 ……やるわよ。
 やるったら、やるんだからね……!!
 床に膝をついて、寝ている綜とほぼ同じ高さに顔を合わせる。
 すぐそこには、しっかりと瞳を閉じたまま静かに胸を上下させている彼。
 世界的ヴァイオリニスト、芹沢綜。
 でも、そんな彼はこれから私がしようとしていることなど、露知らず。
 綜も夢を見るのか知らないけれど、でも、今はもうすっかり夢の中――……なはず。
「…………」
 そう考えたら、ちょっと不安になった。
 ……狸寝入りとかしてないでしょうね。
 でもまぁ、一応確認しておくことで損はない。
「…………」
 しゃがんだまま、手のひらを軽く振ってみる。
 もちろん、綜の目の前数センチの場所で。
「…………よし……」
 どうやら、本当に眠っているらしい。
 眼球運動とかその辺まで確認することはできないけれど、でもまぁ、本当に寝てるんだろう。
 そう自分を納得させて、息を整える。
 改めて綜を見ると、都合よくまっすぐ前を向いてお行儀のいい姿勢で眠っていた。
 ……ふふ。
 この格好ならば、耳元で囁くには好都合……!
 思わず、嬉しさからニヤリと口元が緩む。
 ……そう。
 実は、今からやろうとしている『性格矯正法』というのは、単純明快、至極簡単。
 ずばり『寝ている人の耳元で「あなたはこうなりますよ」ってことをひたすら喋り倒す』だけ。
 …………。
 ……あー……あー、うん。
 そ……そりゃあ、ね?
 まぁ確かに、『ホントにそんなんで人が変わるか』と聞かれると、私も……自信はまったくないから、絶対だなんて大それたことは言えない。
 でも、テレビでやってたんだもん。
 なんちゃら大学の名誉教授って人が、言ってたんだもん!
 ……えーと……なんだったかな。
 確か、『催眠による睡眠学習的要素』がうんちゃらかんちゃらで……って。
 …………。
 ……うーん……。
 確かに、若干怪しいというか……嘘臭いというか……。
 そういうモノが、ないとは言えないけれど。
 でも、まずはやってみなければ何とも言うことができない。
 ……うん。
 とりあえず、やってみれば結果がわかるわけじゃない?
 最初から『そんなのできっこない』なんて決めつけるのは、すごくすごく寂しい上に、とってももったいないと思うし。
 やってみてダメなら、仕方がない。
 だけど、もしかしたら変わるかもしれない。
 だって、可能性がないわけじゃないんだから。
「…………よし」
 そう自分を励ましてから、改めて床に正座する。
 ……さぁ、ここからが正念場よ。
 だって、『ど』の付くような素人が、催眠ってヤツに手を出すんだから。
 ええと……確か、『ひたすら、気合の続く限り繰り返す』のが大事だって言ってたっけ。
 ってことは――……まぁ、そのまんま。
 要は、ひたすら耳元でぼしょぼしょと呟き続けろ、ってこと。
「……ぇぃぇぃぉー」
 うん、と小さくうなずいてからちっちゃくガッツポーズを作り、改めて綜に向き直る。
 手元に丸めた紙がないのが少し心もとないけれど……でも。
 きっと、朝が来たら変わってるから。
 きっときっと、今日までの綜とは、ひと味もふた味も違ってるはずだから……!
 そう思いながらまず私は、綜の耳元でこう呟いた。

「だんだん優菜ちゃんがかわいく見えてくる」

 ……やっている間に、案外コレが楽しくなって来たのは――……とりあえず内緒の話。


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