「あれ?」
お風呂から上がると、珍しく彼がパソコンに向かっていた。
えっと……別に、まぁ、見たことがない姿じゃないんだけれど。
でも、なんていうのかな。
いつも彼がパソコン起動してるときって、録画したスポーツ関係の番組流してるか、音楽をかけてるか、論文書いてるときだけ。
だから、ネットに繋いでるところなんてほとんど見たことがなかった。
…………。
……ってまぁその前に、これまでは私が週末遊びに来てるときは、ほとんどパソコンの前に座ったりしなかったから、というのもあるけれど。
でも、今はもう3月。
無事に高校を卒業して4月からの行き先も決まった私は、こうして彼の家で過ごせる時間が徐々に徐々に増えてきていて。
だからこそ、こんなふうに新しい一面を発見できる楽しみもあるんだよね。
「…………」
ちょっと真面目な顔をしてサイト見ている姿は、新鮮で観察のし甲斐がある。
すぐに終わるかな、なんて思ってソファに座ったまま紅茶を飲んでいたんだけど……キーボードを叩くいい音に刺激されて、見ているページがついつい気になり始めて来た。
……気になる……んだよね。
「何見てるんですか?」
「ん?」
彼の肩越しに画面を覗くと、顔だけをこちらに向けてから小さく笑った。
「孝之のサイト」
「……お兄ちゃんの?」
「うん。明日、海老名のS.Aでオフ会やるって聞いてる?」
「あ、うん。それは知ってますけど……」
「それの最終確認」
…………え。
「せ……先生、行くんですか?」
「行くよ? 参加者だもん」
「えぇえ!? う……嘘っ……! や、知らない! 聞いてないですよ!!」
けろりとした顔であっさり言われ、思わず瞳が丸くなった。
……だ、だって。
それってとってもとっても大事なことなんだもん!
というか、私にとっては、ある意味衝撃事実をも意味するから。
「まぁ確かに、オフ会に行くとは言ってなかったけど……。でも、出かけるってことは言ってたよね?」
「……それは聞きましたけど……」
不思議そうな彼に眉を寄せてから、視線を画面に移す。
お兄ちゃんの気まぐれでいろいろな車の写真がトップページに来る、思いきり趣味丸出しのサイト。
その名も『T-ZONE』。
お兄ちゃんが免許を取ってから作ったページで、どっちかっていうとお兄ちゃんの友達同士の集まりみたいな雰囲気だったんだけど、いつの間にか輪が広がって、今では毎日結構な書き込みがあった。
というのも、お兄ちゃんの日記が結構好評らしいからなんだけど。
確かに、面白いといえば面白いと思う。
さすがに国語を愛してると自負するだけあって、文才はある……のかな。
……だけど、まさか1番身近な彼がお兄ちゃんのサイトを見ていたことは知らなかったし、何よりも明日のオフ会の参加者だなんてちっとも知らなかった。
お兄ちゃん、絶対知ってたはずなのに……!
意地悪というか、ホントに……何考えてるんだろう。もう。
せめて私にくらい、教えてくれてもいいのに。
「……先生、ハンドルネーム……なんですか?」
「俺? ユウだけど」
「うぇ! ゆ、ユウさんって先生だったの!?」
「……なんだ、掲示板見てるの?」
思わず大きな反応をしてしまって、慌てて口に手を当てる。
でも、やっぱりときすでに遅し。
意外そうな顔をした彼と、ばっちり目が合った。
「……先生が……」
ごくり、と喉が鳴った。
……まったく、知らなかった。
本当に。
彼が使ってる『ユウ』というハンドルネーム。
その名前での書き込みはたまにだけど、私が知ってる限り、昔からの常連さんのひとりだ。
書き込みを見てて面白い人だなぁという印象はあったけど、まさか……先生だったなんて。
……確かに、気付くべきだったんだよね。
昔からの常連で、お兄ちゃんに対して普通の口調でびしばし書いてるし。
「…………ん?」
彼と同じ目線で掲示板を見ていたら、ふと……あることに気づいた。
…………ちょっと待って。
ということは、ひょっとし……なくても『ユウ』さんの書きこみによく出てくる『彼女』っていうのは……。
――……私?
「っ……!」
……うわぁああ。
は……恥ずかしー……!!
だ、だって!
確かにもう今さらになってしまうけれど、ユウさん……つまり先生の書き込みに対して私、レス付けてたんだもん。
よっぽど彼女のことを大事にしてるんだろうなぁとか思ってたからこそ、そういう返信もしていたわけで。
……どうしよう。
なんだかもう、たまらなく恥ずかしいんだけど……。
ていうか、お兄ちゃんも知ってたなら教えてくれればいいのに。
自分で自分の境遇に対して、羨ましがってるような発言を繰り返してたなんて……なんかもう、穴を掘ってでも入りたい気分。
恥というのは、まさにこのこと。
「羽織ちゃんさ」
「っ……うぇ……!?」
そろそろと離れようとすると、あっさり彼の手に捕まった。
……う。
な、なんでこんなにしっかりと力がこもってるんだろう。
逃げるな、という密かな暗示めいたものを感じて、喉が鳴る。
「な……なんですか……?」
「『ユウ』を知ってるってことは、俺が書いてた内容も読んでるよね?」
「う。……よ……んでますけど」
「ふぅん。それじゃ、それに対してのお言葉は何もないのかな」
「っ……」
にっこり、というよりはニヤリ。
明らかに意図のありそうな意地悪っぽい顔を見せられて、眉が寄った。
……ぅ。
しかも、やっぱりまだ手を離してくれそうにもない。
「言葉……ですか?」
「だって、俺が書いてた『彼女』っていうのは君のことなんだよ? 一緒にどこ行ったとか、こう言ってたとか、こんな子だとか……その辺は読んでないのかな?」
「……ぅ」
「俺がわざわざ自慢してたのに、見てなかったのかなァ」
「ぅぅうっ……」
……い……いじわる……!
読んでないわけないじゃないですか。
だって……私、読んでただけじゃなくて、レスまでつけてたんだよ?
知らないはずないのに。
…………。
……って、そうか。
そういえば、先生はまだ私がなんてハンドルネーム使ってるのか、知らないんだっけ。
ちょっと、納得。
…………まぁ、納得したところで特に何かが好転するわけでもないんだけれど。
「彼女思いだなぁ、って思ってましたけど……」
「ふぅん。……じゃあ、実際に彼女としてどう?」
「え?」
「……大切にされてるって思える?」
「もちろん!」
少しだけ、彼の表情が変わった。
これまでは、すべてにおいて120%くらいの自信が溢れる笑顔だったのに。
……なのに、ほんの少しだけ。
そんな顔が、本当に私の気持ちを聞いているような色を見せたから。
「……そっか」
少しだけ、どこかほっとしたようにも見えた。
……よかった。
あまりこうして気持ちをちゃんと言う機会ってないから、自分でも嬉しい。
けど、私が大きくうなずいたのは当然。
だって、本当のことだもん。
「……で」
「え?」
にっこり微笑んだ彼が、少しだけ間を空けてから、私に椅子ごと向き直った。
「実は、明日参加するなんて言わないよね?」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
暫く、沈黙が漂う。
曖昧な表情以外に……何も彼に言えない。
……だって……。
…………だ……だって、なんだもん。
「行くの?」
「……だって……ぇ」
瞬時にして、彼の表情が変わった。
瞳が細まり、鋭さを増す。
明らかに、『なるほどね』なんて笑顔で言ってくれる感じではない。
むしろ――……まったくと言っていいほど否定的だ。
「でも、車は? 免許もないだろ?」
「そうなんですけど……だって、葉月も行くって言うから……」
「葉月ちゃんも?」
彼にとっては、私の次に意外な人物だったんだろう。
瞳を丸くしたかと思いきや、掲示板へと向き直った。
……私だって、『どうして?』って思ったもん。
でも、彼女は『好奇心』とも言っていて。
ちょっと不思議なんだけど、確かに楽しそうではあるから、気持ちはわからないでもないけど。
「……そういや、さ」
「え?」
口元に手を当てたまま見つめる、掲示板。
そこには、今日までの書き込みが連なっている。
……もちろん、彼のも私のも。
「羽織ちゃん、誰?」
「え」
当たり前といえば、当たり前すぎる質問。
だけど、正直答えづらいというか、なんというか……。
……うう。
彼を見たままで口が開かず、眉が寄った。
「……あおい」
「え?」
「で、ですからっ! ……私、が……アオイなの」
「…………」
「…………」
「な……っ……え、『アオイ』って……羽織ちゃんだったの?」
「……ぅー」
やっぱり。
思わず眉を寄せると、意外そうな顔で彼が見つめた。
そう言われると思ったから、イヤだったのに……。
もちろん、いつまでも黙って過ごせるわけじゃないのはわかってたけれど。
「ふぅん」
「……っな……なんですか?」
一変して彼が態度を変えた。
まじまじと私を見つめてから、意味ありげに……視線を向ける。
その顔はやっぱり、いかにも弄りますと言わんばかり。
「なるほど。羽織ちゃんが、ねー。……ふぅん」
「もぅっ。なんですか?」
嬉しそうにひとりうなずきながら、意地悪そうな瞳で私を見つめる。
これはもう、絶対に何か言われる。
そんなことを考えていると、案の定いたずらっぽい笑みを向けた。
「じゃあ、自分で自分を羨んでたんだ」
「……だって……知らなかったんだもん」
やっぱり、つっこまれた。
でも、ユウさんが先生だったなんて、本当に意外。
この人は本当に彼女さんが大切なんだなーなんて、そこまで想われている『彼女』がちょっと羨ましかったんだもん。
優しい人なんだな、って。
…………。
もちろん、別に普段の彼が優しくないとかってわけじゃないんだけどね?
「……はぁ」
なんとか手から逃れてソファに座り、膝を抱えてテレビに見入る。
またひとつ、彼に弱みを握られた気分。
なんてことを考えていると、パソコンの電源を落とした彼が隣へ腰かけた。
「で?」
「で、って……?」
「明日。どうするの?」
「……行ったら……まずいですか?」
「別にいいけど……でも、ほかの男と喋るのを見るのはハッキリ言って納得できない」
「それは私だって……先生がほかの女の人と楽しそうに喋るの……見るのは嫌だもん」
とはいえ、ネット上であれだけ赤の他人のように振舞っていたからこそ、今さら『実は付き合ってるんです』なんて言えないし。
それに、お兄ちゃんのサイトの主体は車関係。
免許も車もない私にとっては、若干手にあまるというか……実は、ぺらぺら掲示板でいろんなことに反応していた反面、ちょっぴり行きづらかったりして。
「え?」
そんなことを考えていると、ふいに彼が抱き寄せてくれた。
……ちょっぴり、ため息をついてから。
「俺以外の車に乗らないこと。……わかった?」
「っ……もちろん!」
笑みを浮かべてうなずき、同じように腕を回す。
すると、小さく苦笑を浮かべながらも、うなずいてくれた。
――……かと思いきや、ふいに見せたのは……なぜか、心配そうな顔。
「……迷子にならないでよ?」
「もぅっ。なりませんよ!」
「そう? ならいいけど」
眉を寄せた私を見て、なぜか楽しそうに笑った彼。
……もう。
この年になって、まさか迷子なんて。
そ……そりゃね?
確かに、そこまで何度も海老名のS.Aに通ったことがあるわけじゃないけれど、小学生じゃあるまいし。
ちゃんとそれなりに身長だって伸びてるんだから、車の陰に隠れちゃうこともない。
「大丈夫ですよ」
「そう?」
「はいっ」
にっこり笑ってからうなずき、小さく『ぶい』を作ってみせる。
すると、おかしそうに笑ってから、私を足の間に座らせて……そのまま後ろから抱きしめてくれた。
でも、オフ会かぁ……。
…………。
何か、変なことになったりしないといいけれど
「…………」
お兄ちゃんが企画した集まりだけに、ちょっとだけそこが不安だった。
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