「……え……と」
ごくり。
なぜかわからないけれど、ほんのりと笑みが浮かぶ。
でもそれ以上に、自分の鼓動が早くなっているのがわかった。
……つまり、緊張。
どうしようもないというか、ある意味追い詰められているというか……。
とにかく、『非常事態』と呼んでもいいような気さえする。
「……ど……どうしよ」
思わず独りごちるものの、だからといって今が好転するとは考えられない。
……なぜならば。
私は今、宣言どおり――……迷子になってしまったから、だ。
ことの始まりは、単純なものだった。
海老名の、下りS.A。
そこが、今日のオフ会の集合場所だった。
横浜町田インターから乗ってすぐに見えてくる、海老名S.Aの看板。
集合時間は11時なので、着くころにはちょうどみんな揃っているのかもしれない。
今回の参加人数は14名。
……なかなか……っていうか、結構な人数だよね。
って、ほかのオフ会は知らないけど。
先生と私を含めて、お兄ちゃんの知り合いはその内8人。
あとの5人は、オンラインでしか知らない人たちだった。
休日というのもあって、当然混雑が予想される。
そのため、場所は一般車が少ない、スタンド寄りの離れた大型車用スペースに停めることを条件に挙げていた。
……まぁ、お兄ちゃんは全員の携帯の番号を控えてたみたいだし、無理矢理そこに停めなくても平気だとは思うけど。
「…………」
ふと横を見ると、いつも通り運転している彼がいる。
別に不機嫌でもないし、かといって機嫌がいい訳でもない……ごくごく、普通の眼差しの彼が。
「せっかく晴れたんだし、このままドライブにでも行きたいね」
「ですね。だんだん暖かくなってきたし……気持ちいい」
「さすが。好みが合うね。こういう日は箱根とか行きたくなる」
「今度晴れたら、連れてってくださいね」
「ん。もちろん」
車線を変更して1番左の走行車線に入ると、空には筋状の雲が沢山見えた。
ほどなくして、大きな看板が目に入る。
「……なんか……どきどきする」
「なんとなくね」
彼がウィンカーを出して左に折れ、いよいよ……オフ会の集合場所である大型車レーンへ。
……そこまで混んでない。
ざっと一般車の駐車スペースを見ていたんだけど、そこまでゴミゴミしている訳でもなく、駐車待ちをしている車もなかった。
そして、指定されていた大型車スペースも、ほとんどガラガラ。
ある意味、絶好の機会かもしれない。
「……わ」
スタンドのそば。
つまり、駐車場でも1番端のスペースをお兄ちゃんは指定してたんだけど……そこに向かってみると、なんとなく種類が違う車の群れがあった。
しかも、色とりどりの色を織り成しながら。
……なんか、厳つい……。
お兄ちゃんの車もそうだけど、どれもこれも『いかにも』って雰囲気がある。
「……すごいな」
案の定、彼も苦笑を漏らした。
これじゃあ、ほかの車からすれば異様。
すごく近寄りがたいもん。
「……あ」
ハザードを焚いて駐車し終わったときになって、お兄ちゃんが歩いて来た。
手には何やら、メモみたいなものも握られている。
「……おせーよ」
「あれ。でもまだ、時間にはなってないだろ?」
「そりゃそうだけどな。でも、フツーもっと早く来るだろ?」
「そうか?」
怪訝そうな彼にまったく動じず、笑みを浮かべた彼が私を促してから車を降りる。
ドアを開けると、心地いい風。
ほんの少し肌寒い気もするけれど、でも、やっぱり春の暖かさも感じる。
「あれ? 葉月は?」
「……それだよ、それ」
「え?」
いつもなら、真っ先に目に入るはずなのに。
彼の隣には、彼女の姿が見えなかった。
……それだけじゃない。
停まっている車のそばにも、この付近にも。
とにかく、見渡せる範囲内に葉月を示す手がかりすら、何ひとつ見当たらなかった。
「羽織」
「え?」
「お前、ちょっとアイツ探してこいよ」
「…………え?」
小さくため息をついた彼が、私を見つめて言った言葉。
それは、予想外というか――……一瞬、意味を掴むのに時間がかかるものだった。
「……っていうか、葉月以前に……みんなどこにいるんだろう」
ごみごみとしたエリア内を歩きながら、バッグを抱えてあちこちを見渡す。
お兄ちゃんは、言った。
『アイツ、「ちょっと見に行ってくるね」とか言ったまま戻ってこねーんだよ。多分迷子ンなってんだろーから、ちょっと探してこい』
正直、今になって理不尽さを感じる。
そもそも、探しに行くべきなのはお兄ちゃんが1番妥当じゃない? やっぱり。
だって、葉月を連れてきたのもお兄ちゃんならば、葉月をひとりで行かせたのもお兄ちゃんでしょ?
責任は、十二分にあるじゃない。
……確かに、今回のオフ会をまとめるお兄ちゃんがいなくなっちゃったら、ただでさえ初対面で面識も文字でしかない人たちなんだから、みんなが困っちゃうっていうのはわかるよ?
わかる……けど……。
「……うー」
左を見ても右を見ても、人、人、人。
だけど、ひとりとして知っている人はいない。
……こんな状況でどうしろと……?
半泣きになりながら、思わず乾いた笑いが漏れた。
「……うぅ」
自販機コーナーを抜けて、トイレへ足を向ける。
とりあえず、探すというか、なんというか……。
あんまりきれいな話じゃないけれど、でも、人間だもの……誰しもトイレは必要じゃない?
となると、もしかしたら誰かひとりくらいは、知ってる人が行き交うんじゃないか、なんて思って。
…………。
ここで、ひとつ当然の疑問があるのはわかる。
私もね? もちろん、1番最初に思ったから。
『迷ったって、電話すればいいんだもんね』
お兄ちゃんに言われて、先生に『独りで平気?』って心配されながらも、笑顔で首を横に振れたのはこれが理由。
今は、時代が本当に違う。
ひと昔前だったら、携帯電話なんて便利なものはなかった。
だから、迷子になったら本当におしまい。
泣きながら、1台1台車を確かめて回るような方法しかなかった。
……でも、今は違う。
21世紀を無事に迎えて、いろんな意味で便利な物が溢れるようになった時代。
まさに、未来の第一歩と言ってもいい。
だからこそ、そんな時代を生きている私も、例に漏れず恩恵を授かっているわけで。
どこでも誰とでも電話ができる携帯電話というシロモノも、ちゃーんと持っている。
……持っては、いる。
………………今、手元にはないけど。
「……はうぅ……」
虚しい、右手。
握り締めても、そこには何もない。
……そう。
いつものクセで、置いてきちゃったんだよね。
彼の車の――……ドアの内ポケットに。
ドアを開けるとき、あるじゃない?
取っ手のところに、掴んでドアを開けるための取っ手。
あそこって、割と携帯電話を置いておくのに便利なんだよね。
だから、その……つ……ついつい、置いてきたというか。
……あーもうっ……!
これはもう、本当に『今さら』でしかないんだけど。
やっぱり、携帯電話っていうのは普段から携帯して初めて、その機能が十分発揮されるというか……なんというか。
とにもかくにも。
今の私は、まさに自業自得で迷子になった愚か者なのだ。
……とほほ。
「は――……ぁわっ!?」
しばらくトイレの前で待ってみたんだけど、一向に知ってる人が通りそうな気配がなかった。
それで、諦めてトイレに入って来ようかなーなんて、思ったとき。
俯きながら歩いていた私もよくなかったんだけど、割と思いきり肩がぶつかってしまったのだ。
「きゃ……っ、ごめんなさい」
「ごめんなさい!」
慌てて顔を上げ、眉を寄せる。
寄せ……。
「っ……葉月!?」
「あれ? ……羽織、どうしたの?」
「どっ……どうしたのじゃないよーー!!!」
「え?」
そこに立っていたのは、まさしく彼女。
今の今までずっと探し求めていた、張本人だった。
「うえーん、葉月ーっ!」
「羽織……? なぁに? どうしたの?」
「もーっ!!」
なんでそんなに落ち着いてるの……!!
思わずそう胸の中で思いきり叫びながら、彼女の腕をしっかと掴む。
……ああもう、ああもうっ……!
言いたいことも聞きたいことも沢山あるんだけれど、でも、今だけはすべて帳消しでいい。
だって、すごい確率だと思うよ?
こんなふうに、トイレで会うなんて。
……ほんのちょっと、なんだかなぁって思うけれど。
「葉月、携帯持ってる?」
「え? 持ってるけど?」
「っ……持ってるの!?」
「うん」
普通の顔で、普通にうなずかれた。
途端、へなへなと身体から力が抜ける。
……と、同時に。
当然と言えば当然ながら、お兄ちゃんに対しての怒りがふつふつとこみあげてきた。
…………ありえない。
本当に、本っ当にありえない……!
だって、携帯持ってるんだよ?
だったら、最初にそれ言ってよ!
そうすれば、何もわざわざイチから葉月を探しに出なくたって、携帯で居場所を聞いて、それから歩き出せたのに!!
「お兄ちゃんの馬鹿……ッ!」
思いきり眉を寄せて、さりげなく小さな悪態。
……とは言え。
もちろん、最初にそれを気づけなかった自分も――……同類だってわかっていたけれど。
だからこそ多分悔しかったんだと思う。
……ああもうっ。
私の20分間弱、なんとしてでも穴埋めしてほしい。
ぱっと浮かんだのが、まずそれだった。
――……ちなみに。
「あ、もしもし? たーくん、今どこにいるの?」
「…………」
「え? ……私、トイレに並んでただけなんだけど……」
「……え。そうなの……?」
「うん。……わかった、それじゃお店の中に入ればいいのね」
電話をしながら『うん』と私を見てうなずいた葉月は、呟いた言葉をちゃんと拾ってくれたらしい。
小さく『ごめんね』と仕草で作りながら、すまなそうに笑ったから。
……それにしても。
まさか、そんな結末だったなんて。
「……はふ」
葉月を探し求めて得た結果は、たった数秒で元通りに復元できるというあまりにも残酷な現実だった。
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