「おかえり」
「……戻りました」
 彼の顔が、『お疲れさま』と言ってくれていた。
 それを見て、どっと疲れが戻ってくる。
 ……はぁ。
 今度からは、まず携帯を手にしよう。
 現代っ子にあるまじき行為を反省しつつ、彼の隣の席に腰を下ろす。
 ここは、S.A内にあるファミレス。
 セルフ形式で食べられる気軽さもあってか、ほかのフードコートと比べて、賑わいがあった。
 ……値段的には、絶対向こうのほうが安いと思うんだけれど……。
 なんて思うのは、現代っ子にあるまじき考えなのかな。
「アオイちゃんは何にする?」
「え?」
 すぐ隣に座っていた彼が、にこにこと顔を覗き込んできた。
 ……見つめること、数秒。
「っ……あ」
 ようやく、事態が飲み込める。
 ……そっか。
 そうだよね。
 そうでした。
 いくら本当は知り合い――……って呼べる以上の間柄だとしても、だからといって大っぴらに話せるはずはない。
 あくまでも私たちは、『初対面』なんだから。
「えっと……ユウ、さんは?」
「アイスティー」
「……やっぱり」
「何か言った?」
「え? あ、いえっ。別に」
 くすくす笑いながら普通に囁くと、いたずらっぽい顔をしてから、彼が私を覗き込んできた。
 だって、ついつい反応しちゃうんだもん。
 ……こればっかりは、仕方ないよね。
 それに――……。
「……大勢ですね」
「まぁね。14人は……多すぎる、だろ」
 1番大きなテーブルを無理矢理囲んでの、食事。
 そんなに広くない店内だけに、やっぱりちょっと……ううん。
 かなり、迷惑感がある。
「とっとと食って、外出ようってさ」
「……ですよね」
 1番端の人同士では、まったく声が届かない距離らしい。
 わざわざ立ち上がって呼びに行ってる姿なんかを見ると、やっぱり……その、この場所を選んだこと自体がそもそもの間違いなんじゃないかとすら思う。
 ……お兄ちゃんも、まさかこんなことになるなんて思わなかったんだろうな。
 人一倍どこか忙しそうに動き回っているのを見て、苦笑が浮かんだ。
「……えっと……」
 テーブルを見ると、すでにみんなそれぞれ食事を取り始めたりしていた。
 まだ何も持っていないのは、私と葉月だけ。
 でも、その葉月自身はすでに席を離れていた。
「それじゃ、私も何か買って来ます」
「ん。行ってらっしゃい」
 小さく断ってから立ち上がり、入り口へ足を向ける。
 このお店は、一般道にあるようなファミレスとは違って、セルフ形式を採用していた。
 そのため、トレーを持って各自が好きな物を取って清算するという形。
 ……デザートなんかも、あるみたい。
 1番最後の場所にガラスケースに入ったパフェが見えて、ちょっとだけ顔が緩む。
「ごめんね、羽織」
「え?」
「私のこと、ずっと探してくれてたのね」
 すぐ前にいた葉月に近づくと、眉を寄せて小さく謝られた。
 でも、すっかりさっきまでのことを忘れていただけに、瞳が丸くなる。
「いいよ、そんな。だって、お兄ちゃんがいけないんだもん」
「でも、私もいけなかったの。ちゃんとトイレって言わなかったから」
 眉を寄せて首を振ると、くすくす笑いながら葉月も同じように首を振った。
 ……相変わらず、控えめというかお兄ちゃんびいきというか。
 ホント、優しいんだから。
 なんでも、葉月の前に団体のおば様方が一気に並んでしまったらしい。
 ……それを聞いて、納得。
 確かに、大型車の駐車スペースには、観光バスが何台か停まっていたし。
 でも、まさかそんな理由だったなんて。
 どうりで、お兄ちゃんに何も連絡が来ないはずよね。
 だって、トイレの順番待ちだったんだもん。
 別に、わざわざ断りを入れる必要なんてない。
「ありがとうね」
「ううん。むしろ……私のほうが、ありがとうだもん」
「え?」
 葉月は、知らない。
 私が迷子になりかけていたことを。
 ……というか、しっかりばっちり迷子になっていたことを。
 不思議そうに瞳を丸くした彼女を見ながら、『なんでもない』とだけ笑っておく。
「でも、どうして来たの?」
「え?」
「オフ会。面白い……かなぁ?」
 参加してる私が言うなと言われるかもしれない。
 でも、彼女にとっては、面識のない人ばかり。
 私と先生とお兄ちゃん以外は、誰も知らないだろうに。
「……んー……結構、面白いよ?」
「そう?」
「うん。たーくんも、なんだか生き生きしてるし」
 ……それは、私も思う。
 なんか、今日のお兄ちゃんって本当に楽しそうなんだよね。
 さっきから、ずっとあのテーブルについたまま何かを熱心に話してるし。
 身振り手振りを交えてるから、一向にごはんは進んでないみたいだけど。
「もしかして、お兄ちゃんのため?」
 サラダを取りながら、ぽつりと言葉が漏れた。
 でも、どうやら違うらしい。
 一瞬瞳を丸くしたものの、すぐに葉月は笑って首を横に振った。
「…………」
 じゃあ、本当に面白いもの見たさ……なのかな。
 珍しそうにデザートを取ってから清算に入った葉月を見ながら、ほんの少しだけまだ疑問が残っていた。

「……お腹いっぱい……」
 14人もいると、さっきも言った通りテーブルの端と端ではなかなか会話が成り立たない。
 とはいえ、大声で話すわけにもいかないので、ほぼ真ん中に座ったお兄ちゃんを中心にして、それぞれのまとまりで話が盛りあがっていた。
「デザートまで、しっかりフルコース?」
「……ぅ。だって……おいしかったんですもん」
 いつまでも大所帯で占拠しているわけにはいかないので、食べ終えた順に店をあとにして車へと戻る形にしたんだけど……やっぱり、私が1番最後になった。
 でも、先生は待ってくれていて。
 ……待っていた、というよりは……ペースに合わせてくれたって言ったほうがいいかもしれないけれど。
「それじゃ、戻ろうか」
「はぁい」
 残っていたアイスティーを飲み干した彼に促されながら、店をあとにする。
 ……結構、思っていたよりもずっと時間が経っていたらしい。
 携帯を見ると、自分で考えていた時間よりもずっと遅い時間が表示されていた。
「相変わらず、遠くからでもよくわかるな」
「え?」
「ほら。あの一帯だけ、なんか違うでしょ? 一般車と」
 足を止めることなく駐車場を進んで行く彼は、そう言って顎で示した。
 …………確かに。
 なんでこんなにハッキリしているのに、まったく気づけなかったんだろう。
 我ながら、自分で自分が少し不安になる。
「目立つよな、ホント」
「……ですね」
 曖昧な返事をしながら、薄い笑みが浮かぶ。
 …………なのに、わからなかったんですけどね。
 なんて、口が裂けても言えない。
「お。来た来た」
 見事なまでに、色が違う人達。
 その集団に戻ると、早速お兄ちゃんが近づいてきた。
「う――……ユウ」
「……なんだ今のは」
「気にすんな」
 ついつい、いつものクセが出る。
 バツの悪そうな顔をしたお兄ちゃんを見て、彼が笑った。
「お前もさ、見せてもらってみ」
「何を?」
「エボ」
「……へぇ」
 その車種名を聞いた途端、楽しそうな顔をしたのがわかった。
 明らかに、反応が違う。
 ……なんか、不思議な感じ。
 先生がそんなふうに興味を示すところは、やっぱり珍しいから。
「…………」
 ふと周りを見渡すと、エンジンルームを開けたり、タイヤがどうの、ホイールがどうのとすでに話が盛り上がっているのがわかった。
 ……とはいえ。
 遅れて来たということもあって、ちょっと入りにくい。
 ましてや、私、免許も持ってないし……。
 車の話題と言っても、たかが知れてる。
「見に行かないの?」
「え?」
 後ろからかかった声で振り向くと、ペットボトルのお茶を手にした葉月がいた。
 それを差し出してくれながら、すぐ隣に並ぶ。
「せっかくの機会だし、見てきたらいいのに」
「……んー……でも、私……」
「それじゃ、一緒に行く?」
「え?」
 あまりにも、普通の声。
 そして、テンポ。
 すべてにおいて違和感がまったく感じられないほど、ごくごく普通の雰囲気の葉月に、ちょっとだけ瞳が丸くなる。
 ……あれ?
 葉月って、そんなに車とか好きだった……?
「え? あっ……」
「ほら、行きましょう?」
 ぱちぱちとまばたきしながら見ていると、『ね。せっかくだし』と言ってから、私の手を引いて歩き出した。
 ……なんだか……やっぱり、今日の葉月はちょっと不思議。
 お兄ちゃんだけじゃなくて――……彼女自身も、どこか嬉々としているように見えた。
「……へえ。なるほどね」
「だからさ、やっぱサーキットは1回行ってみると考え方とかも変わると思うよ」
「…………俺も行ってみようかな」
「お。行く気出たか?」
「だから、まだ検討段階だって」
 輪になって話していたところへ、すんなりと入り込む。
 ちょうど、先生とお兄ちゃんの間。
 何人かまだほかの車のところにはいたけれど、でもほとんどの人がここに集まっていた。
「そういや、今回もkyoさんは不参加か……」
「みたいだね。残念だよなー、俺、ちょっと話聞きたかったのに」
「あ、俺も」
「彼さ、すげー玄人タイプっつーか……なんかこう、違うんだよな」
「そうそう!」
 kyoさん。
 その人の不参加を残念がる声が聞こえて、ちょっとだけ反応してしまう。
 だって、その人は私もよく知っている人だから。
「……あー。彼は、外国に住んでるからさ」
「だよなー。ホント、会えないのがもったいないよ」
 ……そう。
 みんなが会いたいと言っているその人は、葉月のお父さんである恭ちゃんのこと。
 これまでも何度かオフ会と称して集まる機会があったんだけど、残念ながらいつも不参加。
 ……でも、しょうがないよね。
 だって、遠いもん。
「アオイちゃんは、どんな人か知ってる?」
「え!? あ……えっと……えへへ」
 不思議そうな顔をした先生に、曖昧な笑みしか浮かばない。
 ちょっと……あの、い、言いづらい……かなぁ。
 なんてったって彼は、kyoさんが『あの』瀬那恭介とは知らないんだから。
「……ホント、残念」
「1回会いたいよね」
 今回のオフ会も、日本に住んでいるのに、距離が理由で参加できない人がいる。
 それを考えれば、恭ちゃんが参加できないのは、ある意味当然。
 ……ていうか、お兄ちゃんもお兄ちゃんだよね。
 どうせなら、今度帰って来るときの予定を聞いて、そのときにオフ会を開けばいいのに。
 うんうんとうなずく沢山の人たちを見ていたら、そんな考えが浮かんだ。
 ……うん。
 今度……っていうか、今日帰ったら言ってみよう。

「いますよ」

「……え?」
 静かな高い声が、私のすぐ隣から聞こえた。
 私の、隣。
 つまりそれは――……葉月、自身。
「……へ……?」
「え……?」
 一斉に注目が集まったことで、彼女自身よりも、葉月のそばにいたお兄ちゃんと私のほうがよっぽど大きな反応を示した。
「っ……おま……! 何言って……!」
「え? だって……私が、『kyo』なんだけど……」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………え……」
 誰かがまず、沈黙を破った。
「なにぃいい!?」
「えぇぇええぇえ!?」
「……うっそ。君が……?」
「はい」
「え、まじで! 俺、てっきり同年代のおっさんだと思ってた」
「……同じく」
「ちょっ……! オイ! 待て! おまっ……はぁ!? kyoって、恭介さんが元々――」
「……もしかして……知らなかったの?」
「っ……な……」
 けろっとした顔。
 それは、まさしく『真実』を何よりも表していて。
 改めて、お兄ちゃんは大きく口を開けたまま『は!?』と口を開けた。
「最初は確かにお父さんだったかもしれないけど……でも、ここ数年はずっと私だったんだよ?」
「…………マジ……?」
「うん」
 にっこり。
 いつもの葉月スマイルでうなずいた姿を見て、お兄ちゃんがごくりと何かを飲み込んだように見えた。
 ……ううん。
 私も同じように、喉が動く。
「……まさか、彼女がみんなのカリスマだったとはね」
 先生がぽつりと呟いたひとことが、あまりにも印象的だった。
 だって、そのあとはしばらく誰も何も言わなかったんだもん。
 ……というよりは、『言えなかった』のかもしれない。
 見事なまでに、ほぼ全員が葉月を見つめたまま、お兄ちゃんと同じような反応をしていたから。
「……えっと……何から始めたらいいかな」
「え?」
「どうしたら、みんなが私のこと信じてくれる?」
 ぐるりと見渡した葉月が、少し困ったように顎に指を当てた。
 でも、なかなかその答えを出してくれるような人は現れず。
 結局は、葉月が経緯を説明すると同時に、みんなも舌を巻くような発言を何度か繰り返したことによって、徐々に『本物だ』と浸透していったんだけど――……でも。
「……はは……」
「この子が……あの、kyoさんとは……」
 ある意味、みんなの精神的ダメージのほうが大きかったらしい。

 ちなみに。
「つーかお前……そもそも、免許とか持ってんの?」
 最もな質問をしたお兄ちゃんに対して、葉月の答えはいとも簡単だった。
「持ってるよ?」
「マジで?」
「うん。だって私、もう誕生日過ぎてるし。それに、ちゃんとお父さんの許可を得て、お父さんとドライブ行くこともあるんだから」
 疑り深いお兄ちゃんに対して、葉月はごくごく普通の顔で答えていた。
 ……なんだけど。

『お父さんとドライブに行く』

 というところに、ある種のポイントがあって。
「ちょ、待て。……何? 恭介さんと? てことはお前――いろいろ教わった?」
「えっと……運転技術ってこと?」
「いや、なんかいろいろ」
「んー……どうだろう。それは、たーくんじゃないと判断できないと思うけれど」
 くすくす笑いながら首を緩く振った葉月を見て、お兄ちゃんは『マジか』と独りごちた。
 でも、何よりもお兄ちゃんを納得させる何よりの発言であったことは、先生のお墨付きだった。

 …………そして、そして。
 以来、掲示板でのkyoさんに対する発言が、何やらやたら丁寧になったのは、明らかに目に見える変化だったと付け加えておく。


 

2005/4/19
2007/7/27 加筆修正


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