「ちょっと!! 羽織! 羽織はいないの!?」
パンパン、と手を叩きながらぐるりとあちこちを見渡す。
だが、彼女の求めている人間はそこにいなかった。
「……ったくもー……!! この忙しいときに、どこ行ってるのよ!」
くるり、と彼女が身を翻すと、途端にレースがスカートの下から覗いた。
ふんわふんわの、スカート。
真っ白いエプロン。
そして、同じく真っ白い――……カチューシャ。
……そう。
まごうことなき、『メイド長』絵里様のおでましである。
「……あの……さっき出て行くの見ましたけれど……」
「ぬぁにぃ!?」
「ぅっ! え、ええと、その……な、なんでも、執事? の方が呼んでらして……」
「執事だぁ……?」
ギッと睨みつけられ、同じような格好をしている子が一瞬怯んだ。
だがそれでも少しは慣れているようで、すぐに気を取り直したように、すぐ隣の部屋のドアを指差した。
「……バトラー瀬尋か」
ち、と小さく舌打ちが聞こえたのは気のせいではないだろう。
明らかに瞳を細めて不機嫌そうな顔になった彼女は、ずんずんと大またでそちらへ近づくと――……ノックもせずに、ドアから隣室へ侵入した。
「くぉらぁ!! 何してんのアンタたちは!!」
「きゃあ!?」
ばたーん、と音を立てて中に入ると、いきなり甲高い悲鳴が聞こえた。
だからこそ、容易に想像が付く。
今ここで、何が行われていたのか。
そして――……ああ、自分の考えは間違ってなかったんだ、と。
「え、ええええ、絵里っ!?」
「絵里、じゃないわよお馬鹿!! ……ってゆーか、そっち!!」
「ん?」
「ん、じゃなーい!! 何してんのよ! ってゆーか、勝手に手を出すんじゃないわよ!! 商品よ!? 商品!!」
「……人の彼女をモノみたいに言ってもらいたくないね」
「あのね! 時と場合ってモンがあるでしょうが!!」
白い手袋をはめ、燕尾服にも似たそれを着込んでいる男性。
いわゆる『バトラー』の様相である彼は、ゆったりと椅子に腰かけたまま大して悪びれた様子もなく肩をすくめた。
そんな彼の目の前には、今の悲鳴の原因。
思いきり顔を赤くして困ったようにもじもじと短いスカートを押さえる、羽織の姿がある。
「あああーーもー!! あのねぇ! 今日がどんな日かわかってんの!?」
「やたら忙しそうだね。随分」
「だね、じゃないわよ! 呑気に!! てゆーか、だから!! まだ準備終わってないんだから、手も舌も足も出してる暇があるなら、とっとと手伝ってよね!!」
「俺は、足を出す趣味はないけど」
「ッ……そーゆー問題じゃないだろうがーー!!」
「わー!! え、絵里! 絵里待って!!」
ぶちーん、という太い音が聞こえたような気がした。
間違いなく今この――……普段の4割り増しまでモノが詰め込まれた、化学準備室内に。
「文化祭始まっちゃうじゃないのよ、ホントにもーー!!」
ぎゃー! と叫びながら両手を突き上げた彼女のセリフは、まさに正解。
……そう。
今日は、何よりも忙しく何よりもかき入れどきのフェスティバルそのものであった。
「よし、『化学の館』をやろう」
部長のとっぴな意見が出たのは、今から3週間ほど前のことだった。
今日の部活の議題は、文化祭での出しもの。
……とはいえ、クラス単位ではもちろんすでに準備に取りかかっているので、部活でも何かをやるとなると、それぞれの仕事が2倍3倍になる。
よって――……。
「却下」
「なんですってっ!?」
窓際のパイプ椅子に足を組んだまま座っていた純也が、頬杖を付きながらジト目を向けた。
「だいたい、お前な。ウチのクラスだってお化け屋敷やるんだよ」
「馬鹿言わないで! 私たちにとっては、コレが最後の文化祭なのよ!? 最後! ラストチャンス!! だもん、どうせならこれまでできなかったことやりたいじゃない!」
「……あのな。そういう我侭な超個人的意見を、部長という立場の人間が言うんじゃない」
「なんでよ! いいじゃない別に! っていうかむしろ、部長だからこそ権限を使って敢えてやるんじゃない!」
「馬鹿かお前は」
「うっさい!」
ヒートアップしてしまった、案の定の組み合わせ。
それだけに、部員たちの間には『ああまた去年と同じ光景が』というため息が漏れつつあった。
「……でも、絵里。質問なんだけど……」
「ほほぅ。食いついたわね、羽織。何? なんでも言ってみなさい」
おずおず手を挙げた途端、なぜかものすごく嬉しそうな顔をしてから絵里がパチンと指を鳴らした。
……どこかのホストみたい。
そんなことを思ったのは、羽織だけじゃなかったはず。
「その、化学の館って……具体的に何をするの?」
「ふふん。よくぞ聞いたわね」
まるで、待ってましたと言わんばかりの反応だった。
背を伸ばして腕を組み、胸を張る。
にやりと浮かべられた笑みを見て、羽織は反対に眉を寄せて後悔した。
「ずばり!! この部屋を、メイドと執事が従事する喫茶店にするわよ!!」
しかも、化学器具使って!
びしっと指差しながらとんでもない発言した絵里を見て、純也がますます頭を抱えたのは言うまでもない。
「ほら!! そっち、ちゃんとテーブルの真ん中にバーナー配置して!」
「……うぅ。私、ガスと空気の調整苦手なのに……」
「今さら泣きごと言うんじゃないの! あんだけ練習したんだから、平気よ!」
「ていうか、なんでバーナーでお湯沸かすの……?」
「馬鹿ねー。化学室のメイドたるもの、バーナーくらいテキパキ扱えなきゃ一人前と言えないのよ!」
いったいどんな躾なんだ。
そうは思うが、今さら口を出しても仕方ないだろう。
これまでも、何度となく口にしてきた疑問質問群に、ひとつとしてマトモな回答を得られなかったのは実感してるんだから。
「だって、なんか……空気の調整してたらいつか、コトンって上が外れちゃいそうで……」
「……アンタね。それは部員にあるまじき――……いや、メイドたるもの失格よ」
「うー……。だから私、メイドじゃ……」
「普段から、似たようなモノじゃないの」
「ち、違うってば!」
ジト目が、こちらからあちらへと向いたのを見て、慌てて羽織が訂正した。
その先には、言うまでもなくバトラーと化した彼氏その人が面倒くさそうながらも、教卓を片付けている。
「手伝います」
「ん? あー……うん…………」
「……な……なんですか? その沈黙は」
「いや。なんかこー……あながち、絵里ちゃんの発案も間違いばかりじゃなかったんだな、って」
「……うぅ……先生、見すぎ……」
彼の目線は、決して顔にこなかった。
一瞬目が合ったものの、次の瞬間からは首から下だけに感じる視線。
特に、胸元だったり腰だったり……足だったり。
いたるところに熱っぽい眼差しを感じて、なんとなくもじもじと身体を庇うように身体が動く。
「もぅ……」
「うん。すっかりメイドらしくなったね」
「っ……な、なんですか! そんな!」
「いや……ねぇ?」
にやり。
顎にこそ手は置かなかったものの、瞳を細めてすぐに口角を上げる。
その顔を見て、顔が赤くならないはずはない。
困ったように眉を寄せた羽織は、当然のように視線を落とした。
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