暗幕を引いた、室内。
 そこには、多くのキャンドルが揺らめいていた。
「チーフ! 開館時間が迫ってます!」
「なんですって!? さぁ、急ぎなさい!! 早くしないと、ご主人様がお帰りよ!!」
 銀のトレイを持った絵里が、あたりに散らばっていたメイドたちを配備しにかかる。
 室内は、クーラーの働きによってひんやりとした快適な空間ができ上がっていた。
 まさに、館。
 ほどよい暗さが、怪しげな雰囲気をかもし出す。
「さぁ、羽織! まずはアンタよ!」
「えぇ!? わ、私!?」
 そんな中、未だにバーナーの調節練習をしていた彼女が、指差された。
 多くのメイド衆から注目を浴び、慌てて立ち上がる。
「さあ!」
 ばさ。
「…………え。これ、何……?」
「そのチラシ配り終わるまで、戻ってこなくてよし!」
「えぇえぇぇえええ!?」
 両手に置かれた塊は、明らかに今重たそうな音を立てた。
 厚さ、約6センチ。
 ものすごく薄い紙だからこそ、果たして配り終えるには何人に貰ってもらう必要があるのか。
 計算するまでもなく、明らかに無理だと物語っている。
「む、無理だよ! そんな!」
「大丈夫!! アンタはメイドの鑑だから!! その恥ずかしげな上目遣いぷらす、おどおどした従順な態度! ああもう、ばっちり!! 絶対のずぇったいに、いろんなおにーさんが貰ってくれるから!」
「えぇええ!?」
 まったく説得にならない説得。
 だが、誰も口を挟めなかった。
 彼女を庇うことはできないのだ。
 なぜならば――……そんなことをしたが最後、我が身に火の粉が降りかかって来ることを、みなは知っているから。
「あ、そうそう。写真撮影は駄目って断りなさいよ?」
「っ……え……あの、いや……っ」
「だけど、できるだけ多くの人に見てもらって、多くの人に愛でてもらいなさい! 大丈夫! アンタならできる!」
「だからっ! そういう問題じゃなくて!!」
 ばしばしと両肩を叩いている彼女は、ある意味恐喝にならないんだろうか。
 言葉こそやんわりしているものの、やっていることは脅しそのもの。
 ……今日の部長には、絶対に逆らわない方がいい。
 そんな暗黙の了解が、部員たちへ浸透したのは間違いなかった。
「………………」
「………………」
「……なんだコレ」
「なんですかね……」
 そんな猿芝居にも似た拷問を眺めていたバトラーふたりは、白い布で覆われた実験台にもたれて頬杖を付きながらため息を漏らした。
「ちょぉっと! 世界観について来なさいよ! 顧問でしょ!?」
「……関係ないだろ、それは」
「お馬鹿! 大いにあるでしょうが!」
「なんつーか、これじゃ冥土のほうだよな、絶対」
「あ。うまい」
「ちっともうまくないわぁーー!!」
 すっかり、オッサンギャグじゃない! オッサン!
 オッサンをひたすら連呼する彼女に、純也はまた切なげにため息をついた。
「だいたい、羽織ちゃんに全部任せるのは無理ってモンだろ?」
「なんでよ」
「そもそも、ひとりだけ公然に出すっていうのは……かわいそうすぎる」
 憐れ。
 とんでもない枚数を任された彼女は、今にも泣き出しそうな顔でふたりに助けを求めていた。
 まるで、雨の中段ボール箱に入れられて新しい飼い主を探し求めている子猫の如きに。
「それじゃ、純也も一緒に配ってきなさいよ」
「……な……何?」
「そーよ。それなら文句ないわ。うん。行きなさい」
「いや、ちょ……ちょっと待て! それは違うだろ!?」
「何がよ」
 ヤバイ。
 こっちにまで火の粉が飛んで来た。
 言ったはイイが方向性が違ってきたこともあってか、彼は慌てて手を振る。
「なんつーか、ほら! やっぱ、客寄せってなると男が行くよりよっぽどメイド服のほうが……」
「何言ってんのよ。知らないの? 今の世の中はね、執事の需要も高いのよ?」
 平然とした顔で言われ、もはや取り付く島もないかのように思えた。
 横を見てみても、先ほどまで賛同していたはずの祐恭の視線はなく。
 すっかり顔を逸らされてしまい、たらりとひと筋汗が流れた。
 ……さあどうする。
 いったい、どうすれば正解だ。
 確かに、羽織ちゃんひとりで行かせるのは問題もあるだろうし、ある意味いじめの要素も含まれているように思える。
 だがしかし。
 改めて我が身を振り返ってみると――……なんなんだ、この服は。
 ひらひらがやたら多く、色こそシックながらも見た目からして普通じゃない人に間違いなく。
 ……こ……こんな格好で行ったら、同僚からどんな冷やかしを受けるかわかったモンじゃない。
 だがしかし、やはり自分の彼女の尻拭いはやっぱり俺がしなくては……。
 そんな狭間に揺れ動く、田代純也。26歳。
 だが――……。
「あの……田代先生」
「……え?」
「大丈夫ですから。……ひとりでも」
「…………羽織ちゃん」
 悩んでいたのを察知してか、彼女が苦笑を浮かべながら首を横に振った。
 だからと言って、それじゃ『よろしく』などと言えるはずもなく。
 ……相変わらず、ホントに健気な子だな。
 半分泣きそうになった。
「それに、あの……もしものときは、優くんが手伝ってくれるって言って――」
 ぴくり。
 その人物の名前を聞いて、これまで100%我関せずに徹していた人物が初めて反応を見せた。
「なんでも、一気に集客すると同時に一気にさばける? とかって言ってて……」
「……それは……」
 果たして、合法的なモノなんだろうか。
 ふとそんなよこしまな考えが浮かび、口をついて出そうになる。
 しかし、幾らあの彼とはいえ、従妹にあたる彼女をどうにかすることはないだろう。
 が、しかし……もしかすると、あられもないようなことを考えているかもしれない。
「あ、それもそうね。このメイド服とか企画とか、助けてくれたのも菊池先生だし」
「な……っ」
 さらりと絵里もうなずき、顎に指を当てる。
 そんな彼女の発言を聞いた純也が横を見ると――……やはり。

 今初めて聞いたぞ、それ。

 明らかに口を開けて怒りのオーラをかもし出している同僚が、そこにはいた。

「俺が行こう」

「……あ……」
 手を上げるでもなく、颯爽と一歩踏み出す。
 白手袋。
 刺繍の入った、燕尾服。
 そして――……眼鏡。
 いや、眼鏡は元からのオプションであって執事とはなんら関係ないのだが、それでもなぜか絵里は独り『完璧な執事ね』とひとりうなずいていた。
「配るのが半分になれば、時間も半分になるだろ」
「……で、でも……っ!」
「田代先生は正顧問だからここを離れるワケにいかないし……となれば、俺が行くしかないだろ?」
 ある意味正論。
 ……だが、なぜだろう。
 彼の表情からは、この正論がまるで口からでまかせのようにさえ聞こえるのは。
「というワケで。ここはチーフに任せるよ」
「モチのロンよ。行ってらっさい」
 一瞬、彼らふたりの間にビリっとした強い何かが走ったように感じた。
 とはいえ、誰も何を言うことはできない。
 あのふたりに関わってはいけない……そんな暗黙の了解は、この部にきちんとあった。
「よし。アンタも行って来なさい」
「は?」
「ぐるり3周」
「……は……?」
「だーかーら、ぐるり3周よ。3周。校内3周、ゆっくり歩いてきなさい」
 とぼとぼ……というよりは、むしろどこか独特の雰囲気を残したまま部屋を出て行った羽織と祐恭を見送った、正顧問。
 その背中を叩いたメイド長は、真顔で彼に言い放った。
「……なんで俺が」
「顧問だもん、利益向上に協力するのは当然よね?」
「いや、そうじゃなくて……」
 彼らが行ったから俺は別にいらないんじゃ。
 そんなことを目線とジェスチャーで一応抵抗してみるが、両手を腰に当てている彼女はやたら威圧感があった。
 目は笑っていない。
 それどころか、『アンタだけ何言ってんの?』という冷たさが滲み出ている。
「愛想振りまけないアンタは、今のところ邪魔」
「くっ……! お、ま……ッ! それを言っちゃおしまいだろうが!!」
「だってしょうがないじゃない。ホントのことだもの」
 優しさの欠片もなかった。
 ……だが、仕方ないのかもしれない。
 なぜなら彼女は――……やはり、今や躾を担当するメイド長になりきっているから。
 見た目以上に、ツンツンしていて当然だ。
「…………3周だな」
「そ。したら帰ってきていいわ」
 ぼそりと呟いた彼の背中には、何やらいろいろなモノが漂っていた。
 渋々というよりは、仕方なく。
 諦めて。
 ……ひたすら、自分を言い聞かせて。
 コレも仕事なんだ。仕事のうちなんだ。
 そんな暗示が、ぶつぶつと聞こえたとか聞こえなかったとか。
「……ふ。行ったわね」
「部長……よかったんですか?」
 ふふふ、と笑みを浮かべた彼女に、さすがの部員も手と一緒に声をあげた。
 だが、彼女は何も言わず首を横に振るだけ。
「使えるモノはなんでも使えって言うじゃない」
 ゆっくりと振り返った化学部部長は、それはそれはオトコらしいたくましやかな顔をしていたという。

「……はぁ。俺何してんだろ」
 とぼとぼ歩き出した、田代純也26歳。
 その背中には、哀愁とともに1枚の白いモノがべったりと張り付いていた。

『2号館化学室にて 「化学の館」 開館中 おもてなしは、最上級の 喜んで! にてうけたまわります』

 筆で書きなぐられた、宣伝文句。
 自分が歩く宣伝マシーンと化されているなどとは、露も知らぬ憐れな顧問である。


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