「…………」
「……ん?」
「あの……」
「うん」
「仕事着って……その、白い服ですか……?」
 恐る恐る指をさす。
 本当は、こうするのもはばかれるような……そんな気はするんだけど。
 だ、だって。だってだって!
 そこにあるのは、その……パーテーションに無造作に引っ掛けられているのは、明らかに『普段着』でもなければ『仕事着』とも呼べないような、そんな服だったから。
 ……え、ええと。
 まぁ確かに、ある意味では仕事着と言えるかもしれない。
 そうかもしれないけれど……でも。
「……あの……先生?」
「ん?」

「これって……もしかしなくても、特攻服とかって呼ばれるものじゃないですか?」

「そうだよ」
 鈍く音が鳴る首を回して彼に向き直り、小さく小さく口にしてみる。
 だけど彼は、予想以上にはっきりした声と表情で迷うことなく即大きくうなずいた。
「っそ……な、なんでこんなところにあるんですか!」
「なんでって……そりゃ、使うからだろ」
「使うんですか!? こ……コレを!?」
「もちろん」
 ……ええと、どうしよう。
 なんだか、ちょっぴり頭が痛くなってきたような……そんな気がする。
 くわんくわんと彼の言葉が頭の中に響いて、気のせいか、身体全体が重たくなったような。
「………………」
 ごくり。
 少し喉を鳴らしてから背を向けてしまったソレをもう一度振り返るも、やっぱりそこには何やら年季の入っていそうな白い服が霞むことなく存在した。
「……これ、何に使うんですか……?」
「後夜祭」
「後夜祭!?」
「そうだよ」
 どうして彼はこうも平然とした顔でぽんぽん返事をしてくれるんだろう。
 ……な……なんで……?
 なんだかもう、彼の言っていることと今現実に起きようとしていることが、まったくリンクしてくれなくて頭の中は半ばパニックのままだった。
「ごめんねー、お待た……って、祐恭先生!? ちょっ……何してるのよこんなところで!」
 鈍い音とともにドアが開いて、絵里が入って来た。
 両手には、ケーキの乗ったお皿。
 真っ白い生クリームとイチゴのコントラストが、まさにパーフェクト。
「何って……別に。ちょっと休憩」
「ちょっとって感じじゃないわよ! ちょっと、じゃ!」
 思いきり眉を寄せて彼に詰め寄ると、そのまま机へ勢いよくお皿を置いた。
 そのとき、ケーキが倒れなかったのはある意味奇跡だと思う。
 ……まあ確かに、その程度で崩れてしまうようなヤワな大きさじゃないんだけれど。
「ったく。純也といい祐恭先生といい……どいつもこいつも、今日1日ちっとも働いてないじゃない!」
 ち、と小さく舌打ちした絵里が、私の隣にパイプ椅子を引き寄せてから座った。
 ……うーん。
 なんでだろう。
 思いきり背を預けてカチューシャを取った彼女は、ホンモノの店長サンに見えて来た。
「……で? 何盛りあがってたワケ?」
 はーあ、とため息をついた絵里が、リボンを解いて膝に畳みながら私を見た。
 ……だけど。
「ん? 何?」
 私はただただ、何も言えずに一方を見つめるしかできない。
 だ、だって。
 なんかもう、これでもかってくらいオーラというか存在感というかを主張しているソレは、口に出すのもおこがましいようなそんな気がして。
「…………」
「…………」
「…………」
「……ああ、なんだ」
「え?」

「コレ、純也のじゃない」

「えぇえええ!?」
 まじまじとそれを見つめていた絵里が、普段と大して変わらないような顔で呟いた。
 今……い、いまいまいまいま、確かに言ったよね……?
 コレは、田代先生のモノだって。
 間違いなく!
「嘘っ……え、本当に? ホントにこれ、田代先生のなの!?」
 思いきり彼女に身を寄せながら、肩に手を置く。
 だけど絵里は、私にゆさぶられながらも、『あーもー何よー』なんて普段とまったく変わった様子は見せなかった。
「こんなことでイチイチ嘘ついてどーするのよ。間違いないわ。だってアレ、昨日の夜押し入れの1番奥から取り出して、自分でアイロンまでかけてたもの」
「…………ホントに……」
「……アイロン……」
 絵里の言葉ひとつを取ってみても、私と彼とはまったく違うところに驚いていた。
 ……まぁ確かに、彼はきっと知ってたんだろうとは思うけれど。
 これがここに掛かっている以上、その持ち主も理由もどちらも。
「なんでも、『新説・桃太郎』とかってのを、やるんでしょ?」
 足を組んだ絵里が、私じゃなくて彼を見た。
 すると、同じように足を組み直した彼が、小さく笑う。
「まぁ、正確には『桃姫』だけどね」
「桃姫ぇ……?」
「そう。主役は、とある女性が張るから」
 とある女性。
 くすくす笑いながら言われたその名詞ながらも、顔を見合わせた私と絵里は、もしかしなくてもきっと同じ人物をちゃんと想像できていたんだと思う。
 ……ただし。
 あくまでもそれは人物こそ同じものの、その格好は全然違うはず。
「……メイド服……ですか」
「ご名答」
「え? 何それ。……メイド服って?」
 彼を見たまま眉を寄せると、にっこり笑いながらうなずいた。
 理由を知らないのは、絵里だけ。
 ……そうだよね。
 だって、まだその格好でうどん食べに行ってないだろうし。
「何? 日永先生、メイド服着るの?」
 まだ人物こそ言っていなかったにもかかわらず、やっぱり絵里の中では日永先生で決定らしい。
 確かにまあ……彼も否定しなかったし、それが事実なんだろうけれど。
 でも、ある意味さすがだとは思う。
 だって、彼女以外に脚本を書けるような人はいないだろうから。
「それで、鬼役に抜擢された若手の男連中は……みんなアレを着るワケ」
「みんなって……え。そんなに、数あるんですか…?」
 当然の質問だったとは思う。
 だけど彼は、顎に手を当てたまま小さくうなるだけ。
「まぁ……ほら。純也さん、顔広いから」
「……そう……なんですか?」
「でしょ?」
「まぁ……そうなんじゃないの? よく知らないけど」
 私じゃなくて絵里を彼が見ると、肩をすくめてからまた椅子に寄りかかった。
 その手。
 そこには、すでに先ほどのケーキのお皿が納まっている。
「別になんでもいいわ。楽しめるなら」
「……それはまた、随分達観したご意見で」
「そお? でも、純也以外考えられないじゃない? 釘バットとアレが素で似合いそうな人なんて」
 ひとくち、ケーキを食べてからまるで当然といった顔をした絵里に、小さく喉が鳴った。
 ……え……絵里はやっぱり、知ってるんだよね。
 ええと、あの、その……田代先生の過去というか、そのあたりの若気の至りというかを。
「釘バットって……そんなモンはさすがに用意してないと思うけど」
「えー、そうかしら。きっとあるわよ。だって、日永先生そういうトコ凝るから」
 ごくり。
 一瞬、メイド服を纏った彼女が笑顔でスペシャル小道具を取り出すシーンが頭に浮かび、思わず喉を鳴らしていた。
 ……な……なんで、こうも簡単に想像できるのかな。
 不思議というよりは、そんな自分がちょっと怖い。
「……ん? 珍しいな、みんなで集まってるなんて」
「っ……!」
 そんなとき。
 急に廊下側のドアが開いたかと思いきや、のん気で穏やかそうな声が聞こえてきた。
 その人は、もちろん振り返るまでもなくわかる――……今の話題の中心人物。
 いろんな意味で、主人公だ。
「……? どうしたの? 羽織ちゃん」
「へっ!? あ、え、ええと、あの……っ……い、いえ……」
 不思議そうな顔で覗きこまれ、慌てて手と首を振る。
 ……うぅ。どうしよう。
 やっぱりなんだか、ちゃんと真正面を見ることができない。
 だって、こんなに温厚で優しくて真面目な田代先生が……だよ?
 実は昔、ものすごい“伝説”とかいっぱい作っちゃってたかもしれないような人だったかもしれないなんて。
「後夜祭、楽しみでしょ」
「ん? ……ああ、アレか」
 ケーキを食べる手を止めることなく、絵里が彼を見た。
 すると――……そのとき。
 私には、はっきりくっきりと……それはそれは特別な笑みが確かに見えたのだ。
 まんざらでなく、それでいてどこか懐かしげにソレを見る――……田代先生、その人の。

「……久しぶりだよな、着るの」

 また袖を通すとは思わなかったぜ。
 小さく小さくそう呟いた彼が見せたのは、一瞬きらりとした何か特殊な色を含んだ何かをヤりそうな顔。
「………………」
 一瞬、くらりと意識がもつれて、目の前の光景が白い光に呑まれそうになったような気がした。

 ――……ちなみに。
 日永先生が考えた、『新説・桃姫』は、いろんな意味で大盛況だった。
 中でも特に、鬼頭役の田代先生。
 その演技がまるで『ホンモノみたーい』と後々まで語り継がれることになったのは……言うまでもない話。


2007/10/29


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