「いらっしゃいま――……うわー!? 先生!?」
 案の定、ほとんどの子たちの視線が私たちへ集まった。
 満面の笑みと、覇気のある声。
 それが一気に、違う方向へと向き始める。
「うわうわうわ、何? なにー!? ふたりして何!? どうしたの!?」
「あらあらあら!? 瀬那! なに? その格好は!」
「センセ、すごーい!」
 わらわらわら、と集まって来ちゃったクラスの子たちと日永先生。
 その顔はやっぱり楽しげで、だけど好奇心が先に出ていて。
 ……はうぅ。
 なんだか、恥ずかしいを通り越した何かでいっぱいになりそうだ。
 『うどん処 ちゅるめいと』
 そんな名前が付いている日永先生を筆頭としたウチのクラスは、うどん屋の催しを行っていた。
 どうしても部で出展をする子たちはそっちが優先になるから、クラスはそれ以外の子たちでまとめられている。
 ……んだけど……。
「あはは! なんか、そういうカッコしてるとアレだねー。羽織が先生のメイドみたーい」
「うぇええ!?」
「あー、それもいいね」
「えぇ!? せ、せんせっ……!」
「あ、でもさでもさ! 逆もアリじゃない? 先生が、羽織の執事みたいな!」
「あー! あるあるー!」
「……うん。それはそれで」
「先生っ!!」
 勝手に盛りあがりを見せた友人らが、手を叩いてはしゃぎ始めた。
 その波は一気に室内へ広まり、挙句の果てには調理場で陣頭指揮を取っていた日永先生にまで派生する。
「あらー、いいわね。……ふむ。それじゃ私も後夜祭でメイド服? 着ちゃおうかしら」
「うそー! 先生、かわいいかもー!」
「あ、私写真撮るよ! 写真ー!」
「おほほほほほほ」
 このクラスのモチーフは、『時代劇に出てくるような峠の茶屋』。
 だから、みんなの格好はまるで町娘のような着物姿。
 その中でもひときわ熱と力が入っているのが……そう。
 言わずもがな、手の甲を口元に持っていって笑ってらっしゃる、店長の日永先生だ。
 ……先生が、メイド服……。
 ということはイコール、この格好。
「……日永先生なら、やりますよね」
「やるだろうな」
 さりげなく呟いたものの、やっぱり同じ方向を見ていた彼からも同じような言葉が返って来た。
「あ、ねぇねぇ。ほらー座って? 注文取りまーす」
 ひとしきり楽しんだあとで、ひとりの子が声をあげた。
 それを機に、各々が自分の持ち場へと戻り始める。
 ……もちろん、独り楽しそうな顔をしていた日永先生も。
「えっと? 羽織が天ぷら月見で、先生が天ぷらおろしね。かしこまりー」
「よろしくね」
 普段みんなが使っている机。
 それを組み合わせた上に白いクロスがかかった席へつくと、食券を読みあげながらにっこり微笑んだ。
 しかも、なぜか遠くからはその復唱のような言葉も聞こえてくる。
 ……うーん。
 さすがは、日永先生。
 やっぱり、ただのうどん屋さんを展開するつもりはないらしい。
「……それにしても、俺のメイド……ね」
「っ……」
 頬杖を付いた彼が、敢えて視線を外しながらそれはそれは小さな声で囁いた。
 ……い……今のはもしかしなくても、反応しちゃいけなかったのかな。
 目だけで彼を見てみると、暫くしてからニヤっとした表情に変わる。
「かしずいて仕えましょうか? お嬢様」
「っせ……先生……!」
「それとも、逆にかしずいてもらおうかな……俺に」
 にやにやにや。
 瞳を細めた彼は、ここが教室でしかも周りにはそれとなく沢山の子たちが行き交っているというのに、敢えて楽しそうな声をあげた。
 き……聞こえては、さすがにいないと思う。
 ……そう思う。
 というか、そうであってほしい。
「…………」
 ……はうぅ。
 ものすごくどきどきしていてものすごく困ってる私とは、まるで逆。
 なんて余裕溢れていて、楽しんでいる顔なんだろう。
 ……ちょっとだけ、羨ましい。
「はーい、おまちどーさまでしたー」
「……お」
「うわぁ……いい匂いー」
 朱に塗られたお盆に載せられて、ふたつの丼が運ばれて来た。
 だしにこだわった、日永先生お墨付きのカツオと昆布メインの澄んだおつゆ。
 そこに太目の白いうどんが入っていて、すごくすごくいい匂いがする。
「ごゆっくりどうぞ」
「ありがとう」
 ウィンクしてくるりときびすを返した彼女に、笑顔で手を振る。
 見ると、まだ早い時間にもかかわらず、いつの間にかほかにもお客さんが入ってきていた。
 ……さすがは『香りで勝負!』と意気込んでいた日永先生。
 廊下前にいたお客さんも、『いい匂いねー』と顔をほころばせている。
「……うん。うまいな」
 彼を見ると、『へぇ』とか『意外にやるな』とか言いながら早くも半分ほど食べ終えていた。
 は……早い!
 私なんて、まだおつゆひと口飲んだだけなのに!
「……っ」
 このままじゃ、独りきりでここへ置いていかれかねない。
 もちろん、そんなことを彼がするなんて思えないけれど、でも、万が一そんなことになったら……やっぱりつらい!
 だって、こんな格好で独りでうどん食べるなんて……。
 事情を知らないいろんなお客さんは、『いまどきの高校生は』なんて目で見るに違いないもん。
「……ん、おいし」
 アツアツのうどんをお箸ですくい、口へ運ぶ。
 もちろん、まだ半熟の温泉卵は潰さずに。
 えへへ。
 あと半分くらいまでおつゆが減ったら、食べよう。
「……え?」
「…………」
「あの……先生?」
 ひとり、卵を見つめてにんまりしてしまったら、目の前の彼が何も言わずにお箸を止めた。
「俺だったら、真っ先に潰すのに」
「……ぅ。だ、だって……」
「だいたい、月見なんだから潰してつゆと混ぜて食うのが一般的だろ?」
「そっ……そんなことないですよ! だって……混ぜたら、黄身が溶けちゃうじゃないですか」
「それがうまいのに」
「だめですよ!」
 眉を寄せて首を横に振る彼を見ながら、こちらも首を振る。
 だって、卵は卵で食べるか……もしくは、うどんと一緒に食べたいんだもん。
 それがおいしいのに!
 …………。
 ……でも、なんかこう……前にもこんな話をしたことがあったような気が……。
 やっぱり、いつでもどこでも卵論は起きるらしい。
「はー……。さすが、日永先生。うまい一品を提供してくれるね」
「ですね。おいしかったです」
 徐々に混み始めた室内を見ながら、ひと息ついて立ちあがる。
 ……うん。ホントにおいしかった。
「ご馳走さまでした」
「あ、はーい。じゃあそっちも、がんばってね」
「うんっ。ありがとう」
 教室の一角にある厨房スペースへ声をかけると、忙しそうにしている中手を振ってくれた。
 そういえば、私たちは私たちで――……ちゃんとした出店、してるんだよね。
 絵里が計画した、『壮大すぺくたくるな実験器具でおもてなし』喫茶店が。
「そういえば……あっちは大丈夫なのかな……」
 ふと、教室を出てから足が止まる。
 メイド喫茶ならぬ、男女問わずおもてなし喫茶。
 あれだけチラシを配ったんだから――……もしかしなくても、その……やっぱり、暇でたまらないという想像は決してできない。
 しかも、彼が持っていた大量のチラシ。
 アレはすべて、彼が『配った』のではなくて『渡した』と言うのがミソだったりする。
 ……そう。
 実は、生徒会の子たちに頼んで、パンフレットと一緒に一般のお客さんに配ってもらっているのだ。
 ――……ということを、あとになって聞いた。
「……そろそろ、戻りましょうか」
「それがいいかもね」
 もしかしたら、彼も私と同じことを考えていたのかもしれない。
 ちょっとだけ……ほんの少しだったけれど、『マズかったかな』という言葉が聞こえたようなそんな気がしたから。


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