「うわー、先生何そのカッコ! すっご!」
「化学室の喫茶店よろしく」
「あはは! 何? エーギョーなんだ? うけるー」
廊下を通るたび、あちこちから楽しそうな声があがった。
それはもちろん、彼のこの格好のせい。
……やっぱり、目立つよね。
金と銀の糸で入っている刺繍は、遠くからでも目を引くから。
「チラシ受け取った全員が行ったら、来年の合宿は沖縄か北海道だな」
「あはは」
確かに、もう何十枚と配っている。
……来年……かぁ。
私にはもう関係のないことだけに、ちょっとだけ切ない。
来年の今ごろ、私はいったいどこで何をしているんだろう。
「…………」
だけど……どうか。
どこで何をしているとしても、彼の隣にだけはいられますように。
楽しそうに残りのチラシを数えている横顔を見上げながら、小さく笑みが浮かんだ。
「そういえば、食券買った?」
「ウチのですか?」
「うん」
腕時計を見た彼が、不意に私を見た。
ここは、ウチのクラスがある1号館の3階。
もうすぐそこに、2組がある。
「え、と……あ。コレです。私は、天ぷら月見うどん」
さすがにこの衣装には、ポケットなんて日常的なものは備え付けられていない。
なので、一応小さなポーチに携帯やお財布なんかを持ち歩いている。
……うーん……。
さすがに、ちょっとごちゃごちゃ入れ過ぎたかもしれない。
少しだけ折れてしまった緑色の食券を見ながら、苦笑が浮かんだ。
日永先生、『折ったり切ったりしたら無効』って言ってたんだよね。
ちょっと不安。
「それじゃ、先に食べて行くか」
「……え?」
手で皺を伸ばすようにしていたら、彼がぽつりと囁いた。
……え……と。
今はまだ、一般公開が始まったばかりの10時ちょっとすぎなんだけれど。
も……もう、ですか?
もう、お昼ごはんですか?
それはいくららなんでも、早すぎるんじゃ……。
「俺はもう食えるんだけど」
「えぇ!? そ……そうなんですか?」
「うん」
まるで私の考えがわかったかのように、彼が先に口を開いた。
しかもその表情は、やっぱりこれまでとほとんど大差なく。
……本気、ですよね。やっぱり。
少しだけ喉が鳴る。
確かに、まぁ……ええと、その、私だって食べれないわけじゃない。
そういうわけじゃないけれど、でも……ねぇ?
「…………」
やっぱり躊躇する第一の原因は、この格好。
いかにもってくらいすべてを出しきっているこの姿をクラスの子たちにさらすというのが、どうしてもやっぱり抵抗がある。
……だって、絶対からかわれるに決まってるもん。
ただでさえ、違うクラスの子たちに笑われたのに。
「それに、午後になって腹が減っても、万一のときは部室にあるだろ? いろいろと」
いろいろ。
それは確かにまぁ……否定はしない。
なんといってもあの化学の館のメニューは、コーヒー紅茶に、そしてジュースだけじゃなく、サンドイッチやピラフなんかの軽食までちゃんと揃ってる。
もちろん、メインはなんといっても絵里が仕入れてきた特製ケーキなんだけどね。
だって、あれすごくおいしそうなんだもん。
クリームたっぷりのデラックスショートケーキは、なくなる前にちゃんと予約して押さえておいたけど。
「だから、大丈夫だって」
「うー……ん。まぁ……それは……」
どうやら、彼はどうしても食べたいらしい。
今、ここで。
しかも――……こんな格好にもかかわらず。
……は……恥ずかしい、とかっていうのは……あんまり気にしてないのかな……?
いや、もしかしたら彼はそんなことまったく気にしてないのかもしれないけれど。
だって、これまでも先生方やほかのクラスの子に何か言われたりしたのに、笑って宣伝だけを淡々としていたから。
「じゃあ……混まないうちに、食べちゃいます?」
手にしたままの食券を見てから顔を上げると、穏やかな表情を浮かべ彼がうなずいた。
……どうしてこんなに嬉しそうなのかなぁ。
思わず笑顔がうつりながらも、少しだけ首をかしげる。
「それじゃ、決まりね」
「はぁい」
手にしていたチラシを丸めた彼が、私の1歩前を歩きながらまったく躊躇せずに教室の入り口へと歩き出した。
……うー……どきどきする。
多分、まだこの階に父兄の方々なんかは見えてないから、私たちが最初のお客さんでもあるんだろう。
最初……かぁ。
何も、そんな記憶に1番強く残るお客さんが、私たちじゃなくてもいいような気がするけれど。
「……さて。何を言われるかな」
「え?」
教室のドアをくぐるとき、そんな楽しそうな声が少しだけ聞こえたような気がしたのは……ひょっとしなくても、彼の表情からやっぱり気のせいなんかじゃなかった。
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